都電荒川線 2013.06.01
東京都交通局荒川線は、唯一廃止を免れた都電で、三ノ輪橋と早稲田間12.2kmを走る。廃止されなかった理由は、専用軌道区間が長かったことが大きい。現在、自動車と一緒に走る併用軌道は王子駅前から飛鳥山までの500m区間(明治通り)だけとなっている。荒川線のルーツは王子電気軌道という会社が1932年(昭和7年)に開業した三ノ輪橋-早稲田間の路線で、1942年に当時の東京市に買収され、のちの都電となった。そしてその後、路面電車廃止が進められるなかで現在まで生き残ってきた。

都電の歴史は古く、1880年(明治13年)の東京馬車鉄道から始まり、1903年(明治36年)に馬車を電車に替えることで東京電車鉄道として品川-新橋間を開業した。さらに同年東京市街鉄道が数寄屋橋-神田橋間を開業。翌年の1904年には土橋-お茶の水間を東京電気鉄道が開業した。その後各社は路線を伸ばしたが、1906年3社は合併して東京鉄道となった。そして、1911年(明治44年)東京市が東京市電気局を設立し、東京鉄道を買収して東京市電となった。その後も路線拡大は続き、1942年には上記王子電気軌道を含む周辺の私鉄軌道線をも統合して、営業路線は延長200kmを超えるまでになった。1943年7月1日からは都制施行により都電となった。戦後もしばらくは都電は広く利用され、最盛期の昭和30年代には41系統・90路線を数えるに至った。しかし、東京オリンピック終了後の再開発や、自動車交通の普及による道路の混雑が進み、路面電車である都電は廃止されることになって急速に撤去されていった。そして、1972年11月2日には上記荒川線をのぞく全線が廃止されたのである。

都電(市電)は明治以来、身近な足として親しまれてきた。路面電車は道路上の軌道を走るので乗り降りしやすく、停留場もたくさんあって利用しやすい。東京の市内交通は山手線以内は市電が担うという不文律があって、そのために網の目のように電車の路線が張り巡らされていた。第二次大戦後に地下鉄が続々と建設されて置き換えられるまでは、都電はけっこう混雑していた。明治・大正時代も市電は混雑でたいへんだったらしい。大正時代にはやったパイノパイノパイ(東京節)などで「東京名物 満員電車 いくら待っても乗れやしねぇ」と歌われていたという。

・夏目漱石も愛した市電
文豪夏目漱石の作品には市電がよく出てくる。小説「坊つちゃん」の主人公は松山の中学教師を辞めて帰京し、月給25円の街鉄の技手になったとある。街鉄とは、上記に述べた東京市街鉄道のことだ。
「三四郎」では、熊本から出てきて大学にはいった三四郎が、東京でいろいろなものを見聞して驚くが、第一に驚いたのは電車がちんちん鳴ることだった。真面目な三四郎が講義を取り過ぎているのを同級の与次郎が「気晴らしに電車に乗るがいい」といって電車で連れまわす。
「それから」では随所に市電の場面が出てくるが、高等遊民の主人公代助が友人の妻との不倫で親兄弟から絶縁され、最終場面で仕事を探しに飯田橋からやみくもに電車にとび乗る。走る電車内で、もう後戻りできないこれからの主人公の行く末が暗示されて終わる場面が印象的だ。
「彼岸過ぎまで」では奇妙な探偵を依頼された主人公敬太郎が市電の停留場に張り込み、指示された男を見つけるために小川町交差点の停留場に赴くが、ここはT字路のため電車は3方向からやってくる。どこで見張ればよいかをいろいろ思案するが、そのあたりの地理や電車の運転系統などが詳しく書かれている。こうしてみると、漱石先生はずいぶん電車に乗っていたらしいことがうかがえる。

また、落語にも当時の市電が出てくる。古今亭志ん生がよく演っていたまくらで、市電の停留場が危ないという噺だが、停留場には高さ20cm位の縁石で囲まれた島がある。ここから電車に乗るのだが、自動車も走っているので安全地帯としての役割もしている。ところが、夜になると真っ暗でこの島がよく見えず、それにつまずくことが頻発したらしい。つまずくとそれはそれは痛いので、注意し合ったという。「あぶないよ!そこ。。。安全地帯だから。。。」
荒川線ではこのあぶない島型のホームをやめて嵩上げし、屋根つきの本格的なホームに改善した。電車もそれにあわせて出入り口のステップのない形になった。

このように路面電車は、文明開化の交通手段の象徴として、その便利さから長い間市民生活の中に溶け込んでいたのだろう。しかし、クルマの交通の邪魔になるからという理由で、東京だけでなく各地の大都市でもほとんど路面電車は姿を消した。代替えとしてバスや地下鉄が整備されたが、地下鉄は駅のホームまでが遠いし、路面電車ほどこまめに停まってくれない。遠くまで行くにはいいが近くには向かない。その点バスはだいたい元の電車の停留場のとおりに運行していることが多い。
一方で地下鉄を建設するほどでもない地方都市では、路面電車を温存しているところも多く、LRTなど新しい形の路面電車に発展した都市もある。

その意味で、東京で唯一生き残った荒川線は、路面電車の良さを再認識させてくれる貴重な存在だ。都交通局としても便利さだけでなく、レトロ調の電車を投入したり、イベント電車を走らせたりして楽しさをPRしている。さらに沿線住民も線路際に四季の花を植え込むなど地元の電車を大事にしよう意気込む。そんな努力の甲斐あってか、休日の荒川線は観光客も加わっていつも混雑している。電車に乗らなくても走る姿を外から眺めるのもいい。普通の鉄道線と違ってスピード感はないが、単行の電車が交差する道路での信号待ちを繰り返しながらノンビリ走る。
荒川線は専用軌道区間が多いので、周りを自動車に囲まれることは少ない。そのため絵になるので鉄道マニアでなくともカメラを向けたくなる。最近はケータイやコンパクトデジカメなどが普及し、そこかしこでカメラを構える人たちでいっぱいだ。

(撮影日記載のない画像は2013.05.25撮影)

早稲田停留場(2004.09.09)
面影橋-学習院下
混雑する道路を横目に専用軌道を走る
(2004.09.09)
学習院下停留場
さらに上り坂が続く
(2004.09.09)
鬼子母神前停留場
このあたりも起伏がある
(2008.06.15)
雑司ヶ谷停留場
副都心線に「雑司ヶ谷」を譲って現在は「都電雑司ヶ谷」となった。
(2004.09.09)

飛鳥山停留場から専用軌道を見る 三ノ輪橋方面ゆき電車が接近中

飛鳥山停留場から明治通りの併用軌道に出ると、そこで約2分間の信号待ちがある。かなり長時間に感じる。
飛鳥山交差点の様子はこちら

王子駅前停留場 右上にJR京浜東北線の電車が停車している。

王子駅前停留場を発車すると、大きく左にカーブしてJR線の高架をくぐり、飛鳥坂の上りにかかる。この坂は右に左にカーブが連続する難所だ。電車は喘ぎ喘ぎ上って行く。

荒川車庫前停留場 地元の人たちが植えたバラが咲き乱れていい香りが漂う。

小台停留場 ここから宮ノ前までの200m区間は2004年に軌道と車道が分離され、同時に架線柱が上下線の間に立つセンターポール方式になった。

三ノ輪橋停留場 (2007.04.01) 旧王子電気軌道の発祥の地 王電ビルという建物が今でも残っている。
荒川線の車両
荒川線の軌道幅(軌間・レール幅)は1372mm(4フィート6インチ)だが、この軌間は東京馬車鉄道時代に決められた。このため、「馬車軌間」と呼ばれるが、スコットランドの一部で使われたことがあるので、英国では「スコッチゲージ」とも呼ばれているという。日本では東京で使われていることから「東京ゲージ」と呼ぼうという向きもある。日本で多く採用されている狭軌の1067mmと世界標準軌の1435mmとの間にあって特殊な軌間である。都電のほか京王電鉄(井の頭線を除く)とそれに相互乗り入れする都営地下鉄新宿線、かつて市電と直通していた玉川電車の末裔である東急世田谷線および東京馬車鉄道の技術指導を受けて発足した、函館の馬車鉄道の流れをくむ函館市電で使われているという少数派だ。

三四郎が驚いた、”ちんちん♪”という音は車掌が安全確認したあとに鳴らす発車の合図で、運転席にあるベルを後ろまで張られた紐を引いて鳴らすのである。これは路面電車発祥のころからやっていたのだろう。この音から「ちんちん電車」と呼ばれるようになったのだ。いま、荒川線はワンマン運転である。にもかかわらず発車するときにはやはり”ちんちん♪”と鳴っている。だれが鳴らすのかといえば、電車が自分で鳴らすのである。ワンマンなので、乗降ドアの開閉は運転士がおこなう。乗客の乗り降りが終わって乗降ドアの両方が完全に閉まるとベルを鳴らす仕掛けが設置されているのだ。運転士はこの音を聞いて電車を発車させるわけである。

都交通局は荒川線の車両を積極的に更新してきた結果、現在7000形22両、8500形5両、9000形2両、8800形10両の総計39両となっている。電車のサイズは全長13m・全幅2.2m・全高3.8mと一般的な鉄道車両に比べてかなり小ぶりである。とくに幅がせまいのが特徴的で車内も当然狭く、すぐに満員になる。定員は7000形で90人、ほかは60人前後となっている。いずれも座席数は20前後である。

・7000形
1953年(昭和28年)に登場した最古参のシリーズで1956年までに93両が造られ、当時の都電全線で活躍した。荒川線存続にあたって後期に製造された31両の車両に対して1977年から新しい近代的なデザインの車体に載せ替える更新改造が行われた。その後廃車や譲渡などで9両がいなくなったが現在22両の最多勢力となっている。
駆動系は当初からの吊り掛け式のまま。集電装置はビューゲルから菱型パンタグラフに交換されたが、車体に不釣り合いなほど大きなパンタグラフが屋根のまんなかに居座る。
7003号車
王子駅前
早稲田行き
交通局の財政改善のため、多くの車両にラッピング広告を施している。
7013号車
飛鳥山
7019号車
王子駅前
7022号車
旧都電色塗装
小台-荒川遊園地
7031号車
荒川車庫前
この付近は線路の両側にバラが荒川遊園地まで植え込まれている
・8500形
1990年(平成2年)に登場した都電初のVVVFインバーター制御車。車体のデザインはさらに近代化され、パンタグラフもシングルアーム型となった。現在5両が在籍する。
8502号車
荒川車庫前-荒川遊園地
8503号車
荒川遊園地-小台
・9000形
2007年(平成19年)に荒川線活性化を目的として新製された「レトロ調電車」。明治末期から昭和初期の東京市電をかたどった車体となっている。内装は木目調で間接照明などで昔の雰囲気を演出し、外観も戸袋窓は丸窓、屋根は二重屋根、前照灯はひとつ目、正面は3枚ガラスといった見るからにレトロなスタイルだが、走行制御は最新のIGBT素子VVVFインバーター制御となっている。現在2両が在籍する。

9001号車 丸窓が目を引く。 飛鳥山

9002号車 二重屋根の部分には冷房装置などが収納されているという。 飛鳥山
・8800形
2009年(平成21年)から投入が始まった最新形式。走行系などは9000形と同じで車体は一般仕様となっている。正面外観は丸みをおびたデザインで、側面もブラックアウトした横に長い大型窓を採用している。特徴的なのは車体の塗色で、正面と側面上下縁部分に4色(ローズ・レッド、バイオレット、オレンジ、イエロー)のバリエイションがあり、側面は白が基本となった。現在10両が在籍する。

8803号車と8807号車 飛鳥山
8803号車
飛鳥山
本来、側面色は白だが広告で埋め尽くされている。
8809号車
荒川車庫前
8808号車
飛鳥山
8810号車
熊野前
8804号車
荒川車庫前-荒川遊園地
鉄道総合ページ:「鉄道少年のなれの果て」
RailVideo:「都電荒川線 飛鳥山」