房総半島横断ローカル線の旅 - 小湊鉄道・いすみ鉄道
小湊鉄道線(左)と、いすみ線の接続駅 上総中野駅 手前が五井方面、奥側が大原方面
JR内房線の五井駅と外房線の大原駅のあいだを、房総半島を横断する形でつなぐ私鉄線がある。五井駅−上総中野駅間39.1kmを走る「小湊鉄道線」と、大原駅−上総中野駅間26.8kmを走る「いすみ線」である。両鉄道線は上総中野駅で接続していて実質的な房総半島横断鉄道となっている。そこで、この鉄道に乗って、まだ残暑の厳しい房総半島横断の旅を試みた。

小湊鉄道線は1925年から、いすみ線は1930年からずっと走り続けているというからかなり古い。小湊鉄道線は小湊鉄道株式会社が有する鉄道線で、同社は鉄道のほかに路線バスや観光バス事業を展開していて、バス事業のほうが高い収益をあげているという。

一方、いすみ線はもともと、旧国鉄の「木原線」で、国鉄民営化に伴って不採算路線を国鉄から切り離す、特定地方交通に指定されたため、1987年に大多喜町などの自治体が出資する第三セクターの「いすみ鉄道」が継承して再出発した。しかしその後も、いすみ線は赤字続きで存続の危機がいっこうに解消されない状態といわれる。そのためついに、2008年から2年間を収支決算検証期間として存続させるが、2010年の収支決算で好転しなければ廃止も検討される、というまさにガケっぷちに立たされているのである。ローカル線の多くは同じような状況になっているが、なにも手を打たずに放置すればこれからもどんどん減っていくことは確実だろう。ともあれ、2年後にどうなるのか、そんな不安を抱えながら、いすみ線は今日も走っていた。(2008.09.03)

小湊鉄道 五井駅 広大な車両基地が広がる。

小湊鉄道の主力車両のキハ200形気動車 五井駅
五井駅はJRとの共同駅(改札などが同じ)で、1925年(大正14年)に開業した。左に見えるホームはJR内房線。
キハ200形気動車は、旧国鉄のキハ20系をモデルに1961年に登場し、1977年までに14両が製造されて現在すべて現役である。最新の車両でも30年を越える古参ぞろいである。
車体の色は、むかし(昭和30年代ころ)の京成電鉄の車両と似ているが、小湊鉄道は当時京成電鉄の子会社であったことから類似の塗装となったのだろう。。
2扉で、座席はロングシート。14両のうち12両が冷房つきで、「冷房車」の表示がある。ワンマン運転は実施せず車掌が乗務している。運転士、車掌とも女性乗務員のことがある。
小湊鉄道は単線、非電化。
全線にわたって線路の保線状態はよくないので、かなり揺れが大きい。望遠レンズのせいもあるが、レールのでこぼこがよくわかる。
上総山田駅

上総牛久駅で上り列車とすれちがい交換
この駅は利用客が最も多い駅だそうで、当駅と五井との間は1日28本が運転される。

たんぼの中を通って山合いへと線路は続く 上総鶴舞−上総久保間
養老渓谷駅に到着 この車両は当駅止まりで折り返し五井行きとなる。
五井−養老渓谷間は1日8本運転されるが、五井−上総中野間は4本にすぎない。そのため、上総中野行きは1時間半の待ち合わせとなった。これがローカル線のつらいところ。
養老渓谷駅
1928年(昭和3年)に朝生原(あそうばら)駅として開業、1954年(昭和29年)に養老渓谷と改称した。
有人駅。
むかしながらの出札口

終点上総中野駅に到着 左はいすみ線のホーム
五井駅から当駅までの全線を走る列車は1日4本しかない。所要時間は1時間8分。
いすみ線大原行きは30分の待ち合わせ。
いま走ってきた線路を振り返る
上総中野駅

上総中野駅
1928年(昭和3年)開業。
無人駅で接続駅にしては寂しい雰囲気。しかし、せっかく古い駅舎を残しながら、自販機やら電話ボックスやら竹のお化けが、寂しい雰囲気を台なしにしてしまっている。竹のお化けはトイレ。このあたりはタケノコの産地とか。
上総中野駅に入線する、いすみ線の「いすみ200形」気動車
1988年開業と同時に投入され、現在7両が在籍する。
この気動車はレールバスとも言われ、ローカル路線用に富士重工が開発したもの。一般の鉄道車両より軽量、製造運用コストが低いのが特長で、バックミラーがついていたり、出入口の折り畳み式ドアなどバスに似ている。
座席はロングシート、冷房完備。ワンマン運転のため、運賃は後乗り前降り整理券方式で、運転席横の料金箱で徴収する。

上総中野駅で、いすみ線から小湊鉄道線に乗り換える学校帰りの子供たち。 
この時間帯には乗客が増えるのか、小湊鉄道は2両編成になっている。

長い坂道 いすみ線上総東−新田野間
いすみ線は車両が新しいのと、保線が比較的良いらしく、小湊鉄道よりも乗り心地は良い。レールも1ランク上の規格のものを使っているようだ。

いすみ200形の2両編成 大多喜駅
当駅は大多喜町の中心部にあり、車両基地がある。
徳川四天王のひとり、本多忠勝が城主であった大多喜城祉の最寄駅。

国吉駅ですれちがい交換 
とにかく、どこも線路は草ぼうぼう。
大原駅に到着
いすみ線は、大原駅が始点で、1日に上総中野行きが13本(所要時間53分)、大多喜止まりが3本運転される。
大原駅いすみ鉄道改札口
1930年(昭和5年)木原線大原駅として開業。JR駅に隣接する。
JR外房線 大原駅
1899年(明治32年)開業。
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