便利さとはなにか

今の時代、何でも気軽に、簡単に、いつでも、どこでも、を目指している。たしかに何でも便利になって誰もがその恩恵に浴するのはいいことに違いない。便利さの追求は人類の絶えざる欲求である。それを文明の発達として具現化してきたのである。

太古の時代から人間は道具を考案し、肉体的な労力を減らす努力をしてきた。それは人間が生活するのに必要不可欠のものであったからである。時代が進んで機械を発明して大幅に肉体労働の負荷を軽減した。鉄道や自動車、航空機などで移動の労力を軽減した。

そして、コンピュータが登場して、肉体的な労力だけでなく頭脳の労力を軽減することに成功した。いま、これらの成果は生活に不可欠な社会インフラとして根付き、われわれはその恩恵を最大限に享受している。

そこで、人間は何を得たかというと、効率である。言い換えれば時間である。つまり、人間誰しも持てる時間には限りがある。それが道具や機械、コンピュータに手間を肩代わりさせることによって、この限りある時間を有効に使えるようになったのである。これを称して「便利になった」という。こうして人間は多くの仕事をこなすことができるようになり、長足の進歩を遂げた。

しかし、いまの時代、便利なものを何でもかんでも、もろ手を上げて歓迎というわけにはいかない面がある。便利さを追求してきた果てに、社会的な規模でマイナスの効果が出てしまう現実がある。便利さの向こう側には落とし穴がある。

その典型がケータイである。
別稿でも書いたが、今、便利なものの代表格はケータイである。便利だけでなく、いまや重要な社会インフラになっている。しかし、その便利さとは裏腹に負の面があることはすでに認識され、警鐘が鳴らされ始めている。

もともと電話というものは、個人の都合や状況にはおかまいなしにズカズカと割り込んでくるものである。だから、かけるほうは先方を気遣って利用をしてきた。それが、ケータイになって時や場所を選ばずに使えるようになり、おまけにメールがついていて相手の声すら聞かずに会話できるようになった。

これによって、若い層に昼夜を問わずケータイにのめりこむ現象が急増してきた。ダラダラと際限なく時間を浪費し、通信料を払い続けることになる。いわば搾取され、奴隷化してしまっているのである。

とくに、このような現象の低年齢層への浸透は脳の発育に深刻な影響をおよぼすことが専門家によって指摘されている。何時間もケータイメールをやっていて疲れないのは脳の深いところを使っていないからで、これが中毒状態となってゆくのだそうである。このような状態を長く続けると脳の発育がとまることは本当らしい。

精神的な面への影響も見逃せない。別の専門家は『時間と空間を選ばずにケータイに没頭すると、周りが見えなくなり、しかも話し相手との親密性が増したように錯覚してしまう。いわゆるジコチュー的になり、本質的な人間関係を見失う』と指摘している。精神的に未熟な時期にこのような症状が続けば行く末は見えている。これが何十万、何百万人の規模でそうなったらどうなるか。すでにそういった兆候はそこらじゅうに出ているのだ。やはり、一億総白痴化は現実のものになるかもしれない。

さらに私見であるが、ケータイから出る電磁波はペースメーカーに影響があるとか、航空機の電子装置を妨害するなどが言われているが、ケータイで電話している本人への影響は何も触れられていない。ケータイから出る電波はマイクロ波である。出力は弱いが電子レンジの電磁波と同じである。ということは、脳に近い耳のそばからマイクロ波が出ているわけで、脳に何らかの影響があってもおかしくはない。いまのところ「影響はない」と言われているが、まだデータがなくて実証されていないだけではないのか。しかし、長期的に見て、四六時中耳にあてていれば、脳が煮えるとか、焼ける、までいかないにしても、何らかの障害がでてくることはあり得るのではないか。愚にもつかない話だが、かなり真剣に危惧している。

いま、日本のケータイは8000万台を超えたらしい。もう台数は限界まできたと言われている。このあとは買い換え需要に期待するしかない。そうなるとまた、メーカーやケータイ会社はいろいろな「便利」を考えて押し付けてくるだろう。しかし、もうすでに十分便利なのだ。これにさらについてくる「便利」機能というものは不用不急のものだろう。それを使うか使わないかは、使用者側の選択であって、その結果は使う側の責任である。不都合な結果となっても「使うほうが悪い」場合もある。

便利さの提供者側は、はじめから落とし穴を作ったわけではなく、結果として上記のようなことになったのだろう。むしろ、使う側が自分で落とし穴を掘って落ちた、というのが正しいかもしれない。

それにしてもいま、何十万、何百万人という人間が、ケータイやメールでだらだらと時間を浪費して行くことは国家的な損失である。メーカーやケータイ会社もこんなことで業績を上げても本意ではなかろう。また一方で、年間に百万人もの使用者が通信料の支払い不能に陥っているという。根本的なところで何かが間違っている。

とにかくこの時代、氾濫する「便利」の奴隷にならないよう、利用者自身が選択眼をもって賢くなることが求められる。単にお金を取られるだけでなく、人間がバカになって堕落してゆくのは容認できない。

さらに、ケータイは新しい機能がどんどん付け加わる一方、それを悪用する輩が絶えない。テクノロジーの進歩はときとして人間を置き去りにする。しかし、悪いやつらはしっかり付いてゆく。「ただ使うだけの人」が置き去りになって餌食となるのである。ボンヤリしていてはいけない。これだけ普及してしまったケータイだが、行く末には危うさがつきまとう。だから、いくら警鐘を鳴らしても鳴らし過ぎることはない。

最近の携帯電話についての世論調査(朝日新聞 2004.11.17)では以下のような結果がでた。


携帯電話を使っている・・・・64%
男性の20〜50代、女性の20〜40代・・・80%超

使っていない・・・35%
60代・・・55%、70歳以上・・・85%

携帯電話の多機能を望む・・・26%
通話とメールだけでよい・・・61%
(携帯利用者・・・71%)


この数字からも携帯電話の多機能化はそれほど望まれていないと考えてよい。
(2004.12.01)