「ヒトラー〜最期の12日間〜」 |
映画「ヒトラー〜最期の12日間〜」は昨年(2005)の夏ごろに公開されたが、映画館では見損ねたので、そのDVD版を購入して鑑賞した。 副題のとおり、ナチスの第三帝国が崩壊に至る12日間のクライマックスが描かれている。原題は”Der Untergang”で、「破滅」とか「終焉」という意味である。 この映画は、当時ヒトラーの個人秘書をしていた、トラウドゥル・ユンゲ(Traudl Junge)という女性が目の当たりにした事実を中心に、刻々と進むナチス・ドイツ破滅の様子を見事に描ききっている。 映画はユングが個人秘書の面接を受けるために地下要塞に来るところから始まる。そして、ここでヒトラーが姿を現わす。正直、このシーンにはビックリした。これは普通のヒトラー映画ではないなと直感した。 それは、熱狂する大群衆を前に激しい身振りと口調で演説していたかつてのヒトラーの姿ではない。出てきたのは老いぼれた小男そのものだった。 ベルリンの首相官邸の地下深くに造られた要塞(総統地下壕)に立てこもり、SS(親衛隊)に護られて指揮を執るが、日に日に悪化する戦況におびえながらも、それを前線の将兵のせいにして罵り、実行不可能な命令を発する。迫り来るソ連軍に対して徹底抗戦を主張し、国民のことなど微塵も考えず、焦土作戦を主張し、いっそ廃墟になったほうが次の都市建設のために好都合だ、などと口走る。側近の助言にはいっさい耳を貸さず、そのために裏切る者や去る者も増えてくるが、そのたびに激昂して罵倒する。そのような末期的な総統ヒトラーがそこにいる。しかし、やがて状況好転が絶望的になると自殺を決意し、側近たちにそのあとの処置を命ずる。 ヒトラーが長年の愛人エヴァ・ブラウンと結婚式をあげ、その翌日に一緒に自殺した話はよく知られている。この映画では、側近たちと最後の別れをかわしたヒトラーとエヴァが居間にはいったあと、銃声が聞こえて事が終わったことを告げる。部屋の外で待機していた側近たちが手際よく遺体を地上に運び出し、そのままガソリンをかけて火をつける。またたく間に炎が燃え上がり、側近たちはいっせいに右手を斜め前に上げるナチ式敬礼で総統を送る。かくして、1945年4月30日、歴史上もっとも有名な独裁者は滅亡したのである。 しかし映画はここで終わりではなくまだ続く。 この映画はヒトラーが主人公ではなく、彼に付き従ってきた親衛隊員たちの運命と、ナチ組織が壊れていく過程にも焦点があわされている。なかでも、腹心ゲッベルス一家の悲惨な結末はショッキングである。ゲッベルス夫妻はナチスとヒトラーの狂信的崇拝者だったが、最終的に6人の子供を連れて地下要塞に移り住み、ヒトラーの死を見届けた。ヒトラー夫妻が自殺した翌日5月1日に、夫人マグダは6人の子供たちに睡眠薬を飲ませたあと、眠っている子供ひとりひとりの口に毒薬カプセルを入れ、頭とあごを押さえつけてカプセルを噛ませて殺害してゆく。このときのマグダの冷静沈着な行動は見ていて眼を覆いたくなるほどの真迫力である。部屋の外でうなだれてじっと立ちつくす、夫ヨーゼフ・ゲッベルス。やがて子供部屋から出てきたマグダはドアを閉めるや、顔を手で覆ってしゃがみこんでしまう。ヨーゼフが近づいて手をさしのべるが、その手を振り払って自室にはいりトランプを始める。その異常さが錯乱した彼女の心理状態を表わしている。そのあと、ヨーゼフとマグダは非常口から地上に出て最後のときを迎える。ふたりは向き合って立ち、ヨーゼフが拳銃をマグダに向ける。2発の銃声が轟く。将兵たちが直ちに遺体を運んでガソリンをかけ、火をつける。このゲッベルス一家の最期はおそらくこの映画のクライマックスであり、おぞましい反面、非常な感動を覚える。 ソ連軍がなだれをうってベルリン市街に押し寄せ、敗戦は決定的と知って地下要塞の住人たちは脱出を始めるが、親衛隊の多くは脱出せず拳銃で自殺を図った。 そして、5月2日ベルリンは陥落し、5月7日にドイツは無条件降伏をしたのである。 ヒトラーの個人秘書トラウドゥル・ユンゲは脱出し、途中でついてきた少年とともにソ連兵の眼をかいくぐりながら、逃げ延びるところで映画は終わる。 最期の12日間とは、4月20日のヒトラーの誕生日から5月2日ベルリン陥落までのことである。この間に急速にナチ党が壊れてゆき、ドイツの命運が尽きたのである。 このわずかな期間にも地下要塞では、作戦会議が行われ、ヒトラーはナチ将校たちにしばしば現況を無視した無理難題を吹っかける。しかしこれに対して正面きって反対を表明するものはいない。ここにいたってもまだヒトラーの独裁者としての権勢が保たれていることに驚く。 しかし一方で、地下壕のなかではエヴァを中心に連夜パーティーが開かれるなど退廃が進み、さらに兵士たちの士気も落ちて酒盛りに明け暮れているように、組織として崩壊の一途を辿ってゆく。 歴史上、独裁者はたくさん出現したが、そのほとんどは哀れな末路をたどっている。近いところでもムッソリーニやルーマニアのチャウチェスクなどは民衆に殺され、さらし者になって、その犯した罪を清算している。ある意味で潔い。しかしヒトラーは民衆の目の届かないところで自殺し、遺体を焼却させて最後までナチという組織に護られて消えてしまった。つまり、この最大の罪人はいまだに裁かれずにいるのである。現在のドイツではヒトラーやナチを語ることはタブー視されているというが、このことがドイツ人の心の中に重くのしかかっているのではないかと思われる。 しかし、こういう状況の中で、あえてこのタブーを破って作られた、ドイツ人の監督、俳優による、この正真正銘のドイツ映画は発表されたとき、ドイツのみならずヨーロッパ中に衝撃を与えたが、公開されると大きな評判をよび、大ヒットとなったという。 この映画を予備知識なしに観ると、登場する人物の正体がわからず、誤った解釈をする危険性はある。つまり、おおかたの登場人物は、多かれ少なかれナチスの犯した罪に加担しているのである。このことを知ったうえで観るぶんには大変に良い映画であると思う。(2006.01.17) |