甘やかしの果て

このところ、若さを売りにして活動していた人間たちがボロを出して一転、「幼稚」とか「未熟」ということばで袋叩きにあっている。

例のL社のH元社長やM党N議員のことである。結果的には彼らのやったことは、幼稚であり、未熟さがゆえの増長と思い上がりが原因だったが、しかしその過程において彼らの行動を周りがチェックしたり、指導したりする環境はあったはずである。にもかかわらず、彼らの暴走を容認してしまったのは何だったのか。

マスコミその他の煽りは最大の原因だが、とくに気づくのは、いまの社会全体が、「若い者」に対してある種のコンプレックスをもっているのではないか、ということである。

いまの世の中、なんでも若者中心の流れにある。とくに商業的にはターゲットを10代から30代にしたものがほとんどである。この世代は価値観が多様で、しかも変化が早い。逆に言うと煽動に乗りやすい。したがって、モノを売るほうはこぞってこの層をターゲットにするのである。TVをはじめ最近はインターネットというインフラを最大限に使って次々に大量の情報が流されるが、ついて来るのはこの層である。そして、情報の多くは若者におもねるようなものばかりである。そうなると若者は頭に乗ってつけあがる。このように、実は踊らされているのに気づかず、なんでも思い通りになる、という勘違いの風潮が蔓延するのである。

一方、これより上の世代は分別盛りの層であるものの、ハイテクやら激しく変化する世の中に追随できず、諦めに陥ってしまうか、初めから拒否反応を示して遊離してしまうような状態になってしまう。ここにジェネレーションギャップが広がる。さらに悪いことに若い世代に対するコンプレックスをもつようになる。こうなると指導はおろか意見もできない。

家庭においては子を持つ親の世代が同じような状況に陥っている。父親は仕事を口実に家庭をかえりみず、母親も自分の趣味や仕事にかまけていて、子供に対してある種の負い目を持っている。普段から親をやっていないものだから、親として自信がもてず、その結果子供を甘やかすことになる。

家の外でも子供を増長させる環境が揃っている。
たとえば最近の高校野球部での飲酒暴力事件などが象徴的である。飲酒をしたのが野球部の卒業祝いだったというが、その席は飲み屋である。その店では客が未成年者であることは承知していたはずである。にもかかわらず、飲酒を容認したのは、もうかりさえすれば未成年だろうがなんであろうが構わない、という店側の腹がみえみえである。たまたま暴力沙汰があって報道されて発覚したのだが、学校当局の罪も重いが、その店の店主の罪はもっと重い。

同じような話として、盗んだ金で高級外車を買って乗り回していたという、中学生だか高校生が捕まったという報道がずいぶん前にあった。これなどはその自動車販売店の、商道徳などというものがかけらもない行為に唖然とするばかりだった。未成年者が大金をもって自動車を買いに来るといったことを不自然に思わなかったのか。そもそも自動車の登録というのは所有者や使用者の素性が必要になるし、車庫証明などでも警察が確認しにくるくらいである。こういった関門を易々と通り抜けたということは、自動車販売店が一切を代行して巧妙に処理したのだろう。とすれば、私文書偽造である。あるいは盗んだカネと知っていて親もグルになっていたのかもしれない。この場合は窃盗幇助である。

いずれにしても、カネさえ儲かればいいという情けない風潮がはびこっていてこのような事件を起こす。躾がされてなくて、ものの善悪の区別がつかないガキどもが勝手し放題するのを周りの大人が見て見ぬふりをする。それどころか己のもうけ欲のために、それを助長することを平気でやっているのである。

学校はどうか、というとこれはもう末期的である。教師はサラリーマン化し、教科書どおりに漫然としゃべるだけである。こどもは先生を友達扱いし、教師もそれを容認している。ここには教育などというものはすでに存在しない。

昔から洋の東西を問わず、若年者は年長者を見て育つという。若い者がダメなのは年長者がダメだからである。人間教育は家庭が基本であるが、隣近所のような地域社会ぐるみで育てることが重要であるなどと、よく指摘はされている。しかし、これも上に述べたように、親や年長者の妙な自信喪失によってはかが行かない。

このようにして家で甘やかされ、社会でも甘やかされた子供の行く末が冒頭の例ではないか。件の容疑者は己の勝手な判断で「自分のやったことは正しい、それがなぜ悪い」といまだに開き直っているそうだが、こういった手合いが大手を振ってまかり通るのを許してきた世間も相当に甘い。みんながモノの善悪の判断がつかなくなってバカになっているとしか思えない。

今回のことで、思い上がりにお灸効果はあったかどうかわからないが、このような人間はこれからも出てくるに違いない。若い芽を摘む気は毛頭ないが、まわりの年長者はもっとしっかりする必要がある。L社では60代の社長に、M党では70代の国対委員長にそれぞれ代わったが、どう変わって行くか見ものである。(2006.03.16)