岩城宏之さんを悼む

また訃報である。

6月13日、指揮者の岩城宏之さんが亡くなった。長年NHK交響楽団を率いて、日本を代表する指揮者のひとりとしてなじみ深かっただけにまことに残念である。

岩城さんといえば、あの汗だくになって指揮棒を振っていたエネルギッシュな姿をすぐに思い浮かべるが、近年テレビなどに登場する姿はめっきり衰えを見せていたので、単にお年のせいかなと思っていた。しかし、聞くところによれば、岩城さんはこれまで幾多の病気との闘いの連続であったという。手術も20回を数えたが、そのたびに生還して指揮活動を続けてきた。とくに、ここ2年にわたっては、ベートーベンの交響曲連続演奏という独自の演奏活動をしていた。これは、大晦日から元旦にかけてベートーベンの第一番から第九番までの交響曲を連続して演奏指揮するというもので、第九交響曲が終わるまでに10時間かけて行われる。

それにしても、ベートーベン交響曲連続演奏とは演奏するのも大変だが、聴くほうも大変である。よく、「ベートーベン・チクルス」というベートーベンの曲ばかりを一定の期間に演奏することはあるが、これでも一回あたり2、3曲である。10時間にわたって延々と演奏するというのはまず例がないのではないか。

指揮者・岩城宏之はなぜこのようなことに挑戦したのだろうか。先日NHKテレビでこのマラソン演奏の様子をまじえて岩城さんへのインタビューを綴った追悼番組が放送された。もうかなり衰えた体に鞭打つという感じで、語るすがたも痛々しいところはあったが、音楽に対する情熱にはいささかの衰えも見られない。そのなかで岩城さんは、自分の指揮活動はストラビンスキー以降の現代音楽に比重をかけてきたが、「現代曲振りのまま終わるのはいやだな」、と思うようになったそうだ。そうなると、あらゆる音楽のなかで行き着くところはやはりベートーベンになるという。それも9曲の交響曲である。

ベートーベンの交響曲は9曲のそれぞれがすべて異なる個性を持っている。つまりそれぞれが作曲されたときには、なにかしら革新的な要素を持っていたといわれる。そしてこれらが、後世の作曲家、ひいてはその音楽に大きな影響を及ぼしているのである。後世の作曲家の多くがベートーベンの交響曲を目標にした。よく取り上げられるのがブラームスの第一交響曲で、第十交響曲と呼ばれることがある。つまりベートーベンの第九交響曲を引き継ぐ交響曲というわけである。ブラームスはこの第一番に21年という長い年月をかけ、完成したのは43歳だった。たしかにベートーベンを意識して念入りに作ったのだろう。堂々たる大作である。しかし、音楽はまさしくブラームスそのものであって、ベートーベンの雰囲気などはない。最終楽章で低音弦楽部が奏でるテーマが第九の歓喜のテーマに似ているなどとよく言われるが、似ているから第十交響曲というのであれば、あまりにも幼稚な発想である。ブラームスはその後さらに3曲の交響曲を作るが、いずれも丁寧に書かれた個性豊かな名作であり、その意味ではブラームスはベートーベンを継ぐ交響曲作家としてふさわしい。だから、第一交響曲は第十交響曲なのである。

このような音楽史上の金字塔ともいうべきベートーベンの交響曲であるが、岩城さんは一曲一曲にはそれぞれベートーベンの凄さが込められていると語る。上述のようにかならず革新的な工夫がされていて、同じことは繰り返されていないというのである。ということは、一番から順番に九番までを演奏することで、ベートーベンの音楽とともにベートーベン自身の成長を見て行くことになり、ベートーベンの凄さがわかるということなのだろう。

そのような演奏会を通してベートーベンの偉大さ、凄さを聴衆と共有しようとしたのだろうが、こんなことを考えついて実行してきた、指揮者・岩城宏之という人も凄いと思う。しかも度重なる病との闘いで体力的にも厳しい状況下での挑戦である。よくぞ10時間もの指揮を執れたものと驚く。音楽への情熱がそうさせたのだろう。

岩城さんの話は普段からいつもユーモアに溢れていて、聞いているとつい笑ってしまうことが多々あった。今回のインタビューのなかでも、ベートーベンに対する批評があって、田園交響曲の第二楽章で木管楽器がウグイスやカッコウなどの小鳥の鳴き声を真似るところなどは、ベートーベンらしくない未熟さだ、とか第九の終楽章に声楽を入れてあのような形にしたのは、くだらない俗っぽい劇仕立てだ、となかなか辛辣である。もっとも、ベートーベン先生もそこは先刻承知で、俗っぽいから聴衆に受けているので、まじめにきちんと作った第八番は人気がない、などとちゃんと自覚していたという話もあって、笑ってしまった。

インタビュー時点では、あと10年くらいはやりたいと述べていたが、惜しくも2回で終わってしまった。しかし、この偉業は永く残るだろう。
こころよりご冥福をお祈りしたい。
(2006.06.20)