隠しビジネス

このところ、いろんなところで隠蔽発覚事件が起きている。ニセ温泉から元首相の献金隠し、M自動車の欠陥隠し、代議士の学歴詐称等々枚挙にいとまがない。海の向こうでも、大統領の軍歴疑惑や最近の韓国における核開発隠蔽などが発覚している。
「くさいものには蓋」のとおり、だれでも都合の悪いことは知られたくないから隠したくなるのはわからないでもない。

問題は社会的責任をもつ政治家や企業のトップなどがそのようなことをして世間を欺こうとすることにある。とくにM自動車のように、自動車という生命にかかわるものを扱っていながらだ。現に大事故は起きて何人もの犠牲者が出てしまった。

この手合いは、発覚しなければそのままズルをきめこんでいて、そのうちほとぼりが冷めるだろうとたかをくくっているのだ。そしてバレたら、それは運が悪かった、という感覚しか持ち合わせていない。世の中をなめてかかっているのだ。

しかし、いまのように情報伝達が発達していて常に衆人看視の状態にある時代には隠したところでほとんど隠しおおせない。必ず明るみに出てしまう。そうなった場合には、これまで発覚した事件に見るようにとことん追及されるのである。これによって犯罪者として葬り去られた企業や個人も数多い。

ところがその一方で、いまの日本の社会では、隠蔽が大はやりである。なにかというと、隠すビジネスが繁盛しているのである。隠すといえば古来から鬘があるが、このごろは頭だけではなく、不都合なものはなんでも隠してしまおう、という風潮にある。
たとえば、最近の日本は潔癖症の人間が多く、汚いもの、くさいもの、バイキンなどを徹底的に嫌う。その結果、手に触れるようなものにはなんでも抗菌処理をすることが売り上げを伸ばす手なんだそうである。
臭いに関しての対策はとくに熱心で、あらゆるところで消臭製品が氾濫している。消すためには臭いの元を断つことが必要だろうが、それができないときは隠すことになる。つまり隠蔽である。

歴史的に見ても、洋の東西を問わず、この「隠臭」は古くから行われてきた。お香や香水などはその代表である。これは、芳香をもって悪臭を封じ込める方法だが、最近は悪臭の成分を化学的に分解して無臭にすることもある。文字通りの消臭である。

つい最近もある洗剤会社がニンニクを食べたあとの悪臭は口だけでなく、体全体から出ていることをつきとめた。だから、これまでの方針を変更して、体全体を消臭する薬剤を開発するという。ニンニクを食べれば体内で悪臭物質ができることは生物学上のきまりである。これをどのように消すのかはわからないが、おそらく隠蔽だろう。

しかし、自然の臭いを封じ込めたり消してしまうことが、すべての場合に正しいのかどうか疑問である。いやなにおいを放つということは、その源になにか異常なことが起きている信号である。これを隠してしまえば、その異常事態を見逃すことになり、事故の発生を促進してしまうことになりかねない。

どうも、このあたりの感覚が安易すぎると思う。なんでも手軽に「しゅっしゅっ」と吹き付ければさわやかになる、と宣伝しているがそのおおもとはどうなるのだろう。だいいち、その消臭成分は化学物質である。そんなものを吸い込んだり触れたりして、あらたな弊害を引き起こす可能性だってある。

元を断つことができるのに、それをしないで安易に隠すという行為があらゆるところで横行し、それがあたりまえになってしまっている。しかし、根っこは残る。その根っこがやがて成長して問題を起こすようになる。つまり、むかし消臭剤のCFにあった、「元を断たなければダメ!」なのである。

表面づらを隠すということで本当の問題を忘れさせるという風潮はきわめて危険である。冒頭にあげたいろいろな隠蔽事件もこの風潮の典型である。しかし、懲りない連中はいくらでもいる。これからも同じようなことが続くだろう。しかし、そのたびに記者会見で報道陣に向かって一斉に頭を下げるというバカバカしい醜態は見たくもない。(2004.11.21)