五能線の旅                                                       2009.07.06 〜 07
JR五能線は、秋田県東能代駅と青森県川部駅をむすぶ全線147.2km、単線、非電化のローカル線である。かつては一部の鉄道好きがたまに訪れるようなローカル線中のローカル線であったが、昨今のローカル線ブームも手伝って、いまや全国でも「いづぬ(一二)」を争う人気である。それは沿線の背後にある白神山地が世界自然遺産に登録されたからで、一躍観光路線として鉄道ファンだけでなく、一般人の関心も集めているのである。JR東日本も観光の目玉として「リゾートしらかみ」と称する特別仕様の快速列車を仕立て、一日3往復を走らせているが乗車率も上々のようである。

五能線は、能代駅から鰺ケ沢駅までは海岸に沿って走るが、そのほとんどが波打ち際すれすれに線路が敷かれている。海が荒れる冬には線路が波をかぶるという”波っかぶり路線”である。”その海岸には奇岩怪石群が続き、さらに日本海に沈む夕日が絶景を作り出す。。。”というふれ込みにつられて五能線の旅にでかけてみた。

朝6時56分東京駅発秋田行き新幹線「こまち1号」に乗ると、秋田駅11時05分発の「リゾートしらかみ3号」に接続する。これに乗って、途中の十二湖駅で下車し湖沼やブナの森を散策して、「アオーネ白神十二湖」に宿泊する。翌日は9時09分発の普通列車に乗って五所川原駅までローカル線鈍行列車の雰囲気を満喫。五所川原駅では津軽鉄道の駅と車両をちょっと覗いて、次の「リゾートしらかみ1号」で弘前駅へ。弘前城など市内散策ののち、弘前駅を出入りするJR車両と弘南鉄道弘南線をチェックし、18:46発の寝台特急「あけぼの」にて帰京する。というのがプランである。

秋田新幹線「こまち1号」は盛岡駅までは八戸行きの「はやて1号」に併結されて走る。盛岡駅で切り離されて田沢湖線にはいり、大曲駅で新幹線唯一のスイッチバックをして奥羽本線にはいり秋田駅に向かう。在来線を活用して新幹線列車が走れるように改良した、いわゆるミニ新幹線だが、てきめんに速度は落ちる。表定速度から見ても東京−盛岡間の204km/hに対し、盛岡−秋田間は85km/hとなって差は歴然である。それは当然で、もはや新幹線ではなく田沢湖線の特急列車なのである。だから盛岡からの1時間半がなんとなく長く感じられて、秋田は遠いという印象になるようである。

田沢湖線は新幹線にあわせて1435mmの標準軌に改軌したが、大曲駅から秋田駅までの奥羽本線部分は標準軌線と狭軌線(1067mm)が並んで複線を成しているという変わった形となっている。ちなみに、奥羽本線は大曲から先、新庄駅までは1067mm、新庄駅からは山形新幹線のために1435mmとなって福島駅に至る。

秋田駅では「リゾートしらかみ3号」への乗り換え時間が短いために、駅弁を買って乗り込むとすぐに発車となった。この列車はキハ48形をベースにして改造した特別車両で特急並みの設備を持つ。通常3両編成で運転される。現在3編成(”ぶな”、”青池”、”くまげら”と命名されている)があって、11月いっぱいまで1日2〜3往復運行している。列車種別は快速で全席指定、料金は510円である。

この日のリゾートしらかみ3号は緑色の「ぶな編成」だった。予約座席は最後尾車両の最後尾列。秋田駅から東能代駅までは奥羽本線を走るが、内陸なので一面水田が広がる。とくに八郎潟の干拓区域は秋田の米どころとあって広大な緑の絨毯が地平線まで続いている。

東能代駅でスイッチバックして五能線にはいる。走る方向が逆になるのですべてが逆になる。それまでの最後部車が先頭車となって最後尾列が最前列となる。かくして我々の座席は1号車の最前列という垂涎の的の席に早変わりしたのである。まことにラッキーだった。各自で進行方向に座席を回転させる。
ここでは10分間停車するのでホームに降りて列車の写真を撮ることができる。正面にまわってみると、なにやら厳めしい風貌である。原型のキハ48形からは想像もつかないスタイルである。編成は1号車と3号車は1列が2+2のリクライニング式の普通座席で、中間の2号車は4人掛けのコンパートメント式になっている。1、3号車の運転室寄りには展望ラウンジがあって、”かぶりつき”用のとまり木や海側に向いたシートなどが設けてある。写真を撮るには好都合だが、飲食をしたり長時間の居座りはしないよう注意書きがある。にもかかわらずやはりルール破りの人間がいる。大声を発してしゃべくり、弁当を広げ、車掌の注意にもタヌキ寝入りを決め込んでどこ吹く風、とうとうその厚顔無恥なオバサンたちは秋田駅からわれわれが降りる十二湖駅まで居座り続けた。そのあとはどうなったか知らないが。。。


東能代駅を発車すると、さっき通ってきた奥羽本線と別れていよいよ五能線にはいる。さっそくかぶりつきで分岐の様子を見る。右方向に曲がっていくのが五能線、左方向が奥羽本線。

しばらくは内陸部を走り、やがて「あきた白神駅」あたりから海岸線を走るようになる。「岩舘駅」から「大間越駅」の間ではもっとも景色が良いということで、列車は徐行して奇岩怪石の風景を見せてくれる。
「岩舘」ー「大間越」間は駅間距離が10km以上もあり、ずっとこのような風景が続く。
水平線がはっきりせず、空が海に溶け込んでいるように見える。
白神岳登山口駅
十二湖駅は近い。

十二湖駅到着、迎えのバスで宿舎の「アオーネ白神十二湖」へ。広大な敷地にコテージ、和室棟、レストラン、温泉施設などが点在する。

十二湖は津軽国定公園内にあり、江戸時代の大地震によって谷がせき止められてできたといわれる。実際には33の湖沼があり、山の上から見ると12の湖沼だけが見えることから十二湖と呼ばれるという。湖沼とともにブナの森が広がり世界自然遺産「白神山地」の一角を占めている。
青池
不思議な青色の水をたたえた池。
透明な水面に写りこむ対岸の樹木。
鶏頭場(けとば)池
うっそうとしたブナの森
空気がうまい!
日本キャニオンの異様な景観

日本海に沈む夕日は五能線沿線の名物。アオーネ白神十二湖にも夕日の展望台がある。さっそく登ってみたが、太陽の位置が悪く、海に沈まず陸に沈んだ。しかも前面にある大きなマツの木が伸び放題で景観を台なしにしている。要するに管理不行き届きなのだ!

翌日、十二湖駅から五所川原駅までの鈍行列車の旅。なにしろ、本数が少ないので途中下車することもままならない。わずかに上り列車との交換駅でホームにおりて外の空気を吸い、写真を撮る。
十二湖駅。
大きく立派だが無人駅。なかは物産店などがある。
バンザイしているのは相棒。
9時09分の定刻より2分早くやってきた、普通列車弘前行き。
キハ40形の3両編成。
これから五所川原までの79km22駅を2時間かけて律儀に停まって行くのだ。
さっそく先頭車両に乗ってみるとガラッガラである。先客は2人。他の車両も同様。予想はしていたが、これほどとは。。。
そのかわり、かぶりつきは独占状態。
カーブで車体が傾く先にトンネルが連続する。手前の短いほうは”ガンガラ穴”と呼ばれているらしい。
十二湖−陸奥岩崎間
ウェスパ椿山駅
ローカル線には似つかわしくない駅名。2001年に開業した、五能線ではもっとも新しい駅。いまふうのリゾート施設が集まっているらしいが、駅前に置いてある8620形蒸気機関車(78653号機)もびっくりしているだろう。
横磯駅
めずらしや、お客さんが待つ。
深浦駅で乗務員の交代。
深浦は江戸時代に北前船の風待ち湊として栄えたという。いまも漁港としてこのあたりの中心地。
深浦を出ると、つぎの広戸駅までのあいだは、また奇岩怪石群が現れる。
やがて、奇岩群から砂浜に沿って走るようになり景色が変わる。
追良瀬(おいらせ)付近

そして五能線でもっともローカルっぽい駅、というので有名な「驫木(とどろき)駅」に着く。駅舎などはほかの駅とそんなに違わないのに、どうしてかと思っていたのだが実際に見ると、どうもホームの前に海が開けているから、らしいのだ。冬の海から吹きつける寒風のなか、ひと気のない駅舎がポツンとたたずむ光景はたしかに寂しげだ。ローカル色濃厚である。それにこの難しい字の駅名も印象的だ。ここで降りてそんなローカルな雰囲気に浸りたいのだが、つぎの普通列車は夕方5時までないのであきらめる。
驫木駅ホームの前は海が広がる。いまは穏やかだが、荒れ狂う冬にこの古ぼけた駅舎で列車を待つのはいかにもわびしい。しかしそんな目に遭ってみたい気もする。

「驫木」のほか次の駅名「風合瀬(かそせ)」や「艫作(へなし)」など難読駅が多い。
驫木駅の駅舎
もちろん無人駅だが、よく見ると駅前には新しい住宅らしき建物もあってそれほど孤立しているようには見えないが。。。

北金ヶ沢駅に近づくと、すれ違い交換をするために上りの「リゾートしらかみ2号」がすでに待機している。この列車は「青池」編成。4分間停車なのでホームに降りて撮影する。ホームは上下線でずれていて撮影にはベストだ。「青池」はすれ違い交換のための停車なので客扱いはしない(ドアは開かない)。そのためホームに人影はない。

鰺ヶ沢で上り普通列車とすれ違い交換する。ここでは8分停車。
キハ40形(左、いま乗ってきた)とキハ48形(右)上り普通列車。
キハ48形はリゾートしらかみ車両の原型。40形との違いは片運転台のため単行運転はできないということくらいで、パッと見にはほとんど区別できない。
鰺ヶ沢駅駅舎
人影は少ない。
鰺ヶ沢駅を出ると急な上り坂がある。
20‰(パーミル)くらいか。

鰺ヶ沢をでると五能線は海岸線を離れて内陸に向かう。広々とした津軽平野を走ると右側に岩木山が見えてくる。残念ながら視界は不良で、うっすらとした輪郭しか見えない。

やがて列車は五所川原駅に到着。ここでいったん普通列車を降りる。五所川原から津軽鉄道が出ている。乗る時間はないがちょっと覗いてみる。
五所川原の名所案内
「立佞武多(たちねぷた)の館」では製作現場を見学できる。立佞武多というもののとてつもない大きさに驚く。
改札口付近に展示してある、立佞武多白神の顔部分。毎年新しく作られ、これは平成14年製作という。
JR五所川原駅
五能線の宣伝をしている。
JR五所川原駅の隣にある津軽鉄道の五所川原駅と本社。窓についたアーチ型の枠がレトロ。
津軽鉄道21形気動車
ここから、津軽半島を北上して20.7kmさきの津軽中里までをむすぶ。
五所川原駅の機関庫にしまってあるDD35形ディーゼル機関車。
冬の名物、ストーブ列車を牽引する。

そして再びリゾートしらかみ号で最後の五能線を弘前駅へ。この列車で弘前駅までは27.8km22分の乗車である。
五能線の終点は本来奥羽本線との接続駅である川部駅だが、多くの列車が奥羽本線にはいって弘前駅や青森駅にも向かう。川部駅ではスイッチバックして奥羽本線にはいるので、東能代駅と同様進行方向が逆になる。けっこう面倒なのである。しかしあと少しの乗車なので座席は回転させずに後ろ向きのまま弘前駅へ向かう。

入線してくる「リゾートしかみ1号」くまげら編成。
川部駅を発車し、奥羽本線に転線したところ。後ろ向きに進行している。
3線あるうち右の2線(複線)が奥羽本線、左の単線が五能線。

弘前駅に到着。これで五能線の旅は無事に終わった。このあと、夕方の寝台特急「あけぼの」に乗車するまでのあいだ、弘前市内を散策し、弘前駅を発着する列車をチェックする。
市内散策は弘前城と禅林街などシブイところを巡るも、その日の弘前は気温31度という暑さですっかり参ってしまった。そこで、市内のデパートに併設されている天然温泉(それも立派な!)に寄って汗を流しさっぱりした。じつにいい湯だった!

下乗橋から見る弘前城天守。なかは資料館になっている。 国指定重要文化財。
弘前公園内にはこのようなしだれ桜がいたるところにある。
いまは葉がしだれているが、春はさぞかし見事な眺めだろう。
禅林街
曹洞宗の寺院ばかりが33ヵ寺も集まる寺町。最奥には津軽藩主菩提寺の長勝寺が鎮座する。
長勝寺三門。
寛永六年(1629)の建立。国指定重要文化財となっている。
このほか、本堂、庫裏、梵鐘、霊廟などが残されている。
弘前駅を出入りする列車
JR701系
奥羽本線経由秋田行き

701系は東北地区幹線用の交流電車で、この車両は秋田支社の秋田車両センターに配置されている。羽越本線(鶴岡-秋田)、奥羽本線(新庄-青森)、東北本線(青森-浅虫温泉)、津軽線(青森-蟹田)の各線で運転される。
JR701系
青森方面行き電車
JR485系
特急「つがる」
青森経由で八戸駅までを走り、東北新幹線との接続を行う。

リゾートしらかみ5号
最終便が到着。
弘南鉄道弘南線のホームが隣接する。弘南線は弘前−黒石間16.8kmをむすぶ。ほかに大鰐温泉との間をつなぐ大鰐線があるが、ここから少し離れた中央弘前駅が起点となる。
弘南鉄道7000形
東急電鉄の旧7000系を譲り受けた車両で、大鰐線と合わせて22両が在籍する。
この車両は中間車を改造して前面を非貫通型にしているが、そのほかは原型のままだし、ディスクブレーキが外側についたパイオニア型台車もそのままである。車齢50年の電車を大事に使っているのだ。
寝台特急「あけぼの」が到着。
牽引はEF81139号機。
上野まで12時間の夜行の旅で締めくくる。
「あけぼの」のルートは、青森(奥羽本線)秋田(羽越本線)新津(信越本線)宮内(上越線)高崎(高崎線)大宮(東北本線)上野の776kmとなる。日本海縦貫ルートの羽越本線は真夜中の走行で残念ながら何も見えない。
鉄道総合ページ:「鉄道少年のなれの果て」