最速列車で行く函館 2013.06.27〜28
函館に夜景を見に行った。いま日本で一番速い列車に乗ってだ。いうまでもなく時速320kmで東京から新青森までを3時間弱で結ぶ「はやぶさ」だ。そしてそこから先は青函トンネル内を140km/hで突っ走る特急「スーパー白鳥」に乗り継ぐのである。全体の所要時間は約5時間だが、陸路で函館まで行くには今のところ最速の方法だ。それぞれJR東日本とJR北海道が誇る特急列車である。

かつて函館に行くには必ず津軽海峡を船で渡らねばならなかった。国鉄の青函連絡船に乗って青森港から函館港まで4時間かかった。海が時化ると運休や遅れがでた。1988年に開業した青函トンネルによって所要時間は半分に短縮されたが、意外に遅いという印象だ。青函トンネルが青森と函館間を直線で結ぶルート(113km)だったらもっと劇的に短縮できただろうが、海底トンネルを掘る関係上もっとも短い距離で済む地点を選ぶ必要があって、津軽半島最北端の竜飛岬と北海道松前半島南部の福島町の間の海底がルートとして選ばれた。このため、青森・函館からそれぞれの地点へのアプローチ部分が長くなり、全体で約160kmの長さとなったのだ。アプローチ線となったのが在来線の津軽線(青森駅−新中小国信号場間)と江差線(木古内駅−函館駅間)である。新中小国信号場と木古内駅間が青函トンネルを含む海峡線として新たに建設された区間で、JR北海道の所有となっている。海峡線内は複線で130km/h(青函トンネル内は140km/h)の高速運転をするが、津軽線と江差線区間は在来線をそのまま利用するので高速運転ができず、所要時間が長くなる要因となっている。2015年度内に開業が予定されている新青森−函館(駅名未定)の新幹線では所要時間は35分程度になるという。これなら劇的短縮と言ってよい。その暁には青函トンネルの真価が発揮されるだろう。

なお、青函トンネルは新幹線の規格で造られており、在来線と共用するために3線式の複線線路が敷かれているが、一足先に在来線の列車が往来しているのだ。

東京駅にて スーパー白鳥 函館駅にて 函館市内 函館市電 函館山

東京駅にて
東京駅には九州新幹線と山陽新幹線の一部の車両を除くすべての新幹線列車が集まる。数年後にはさらに北陸・北海道新幹線からの直通列車も姿を見せる。まさに田中角栄が説いた列島改造論の姿がここにある。

「はやぶさ」E5系電車 
単独で最高時速320kmで走る列車と、盛岡まで「こまち」を併結して300km/hで走る列車とがある。
E5系は「はやて」にも使用されている。




「はやぶさ」の1号車はグランクラスという特別仕様の上級車両。

「はやぶさ」のエンブレム
ハヤブサをデザインしたのだろうが、イカのようにも見えなくもない。


E2系電車「はやて」
JR東日本の新幹線の標準型車両として位置づけられている。
そのため、東北新幹線の「やまびこ」・「なすの」・「はやて」、上越新幹線の「とき」・「たにがわ」、長野新幹線の「あさま」など多くの列車で運用されている。



E2系電車「あさま」長野行き
2014年度中に開業予定の北陸新幹線は長野以遠の金沢まで延伸するが、これによって現在通用している「長野新幹線」の呼称はなくなる。


E4系電車
通勤用途にあてるため、2階建て車両により乗車定員増を図った結果、16両編成で1634人となり高速列車では世界一の収容力で、ギネスブックに載っているという。
新幹線随一のブサイクな顔の列車。




E4系はMax(Multi Amenity Express)の愛称が与えられている。
さて、初めて「はやぶさ」に乗って時速320kmを体感することになったが、座席に座っている限りにおいては、これまでの「はやて」と変わらない走行感覚だ。ただ、デッキに出てドアから外を見ていると速いという感覚は確かにある。デッキは騒音が大きいのでよけいに感じるのかもしれない。知らない間に320km/hに達してその速さを意識しないまま新青森駅に着いてしまった。

スーパー白鳥
新青森駅からは「スーパー白鳥」で青函トンネルをくぐって函館に向かう。トンネルについては2年前に竜飛岬に行って予備知識があるが、初めての走行に胸が躍る。
「スーパー白鳥」はJR北海道の789系電車で運行される。新青森駅を出るとすぐに青森駅だ。この区間は奥羽本線で、青森駅からは津軽線にはいる。青森駅はかつての青函連絡線との乗り換えのため、港に向かってまっすぐホームが伸びているどん詰まり駅だ。このため、「スーパー白鳥は」逆向きに方向転換して函館を目指す。座席は新青森出発のときにすでに函館方向にセットされている。青森駅を出ていま走ってきた奥羽本線と別れると単線の津軽線にはいる。ここから函館までは蟹田駅(青森県)と木古内駅(北海道)だけに停車する。青函トンネルは両駅の間にある全長53.85km海底部分23.30kmでいまのところ世界最長の海底鉄道トンネルだ。このトンネルを「スーパー白鳥」はおよそ24分で駆け抜ける。表定速度は133km/hとなるので、最高速度140kmで走っているのは間違いない。このトンネル内の線路は全長にほぼ等しい52.57kmをレールを溶接した継ぎ目のない超ロングレールとしている。これも世界最長というが、継ぎ目がないので鉄道につきもののゴトンゴトンという音はなく、ゴーッというだけの音が続く。最深部付近ではその音も妙に小さくなってきわめて静かになった気がしたが、これは気圧の変化で耳が遠くなったせいかもしれない。

「スーパー白鳥は」2002年東北新幹線が八戸駅まで開通直後から八戸−函館リレー特急として走り続けてきた。その後、2010年の新青森延伸で八戸−青森間が廃止となり、ついには北海道新幹線開業後に全面廃止となる見込みだ。


新青森駅の「スーパー白鳥」789系

蟹田付近では陸奥湾の海岸沿いに走る。対岸は下北半島。


津軽線蟹田駅
JR東日本とJR北海道の分界駅で、乗務員交代が行われる。
実際の津軽線と海峡線の分岐点はこの先の新中小国(しんなかおぐに)信号場で、海峡線は木古内まで複線となる。

車内各座席には青函トンネル通過時刻表が掲げてある。

青函トンネルにはいる旨の表示が出る。
このあと列車は12‰の下り坂を下って水面下240mの最深部を通り、再び12‰の上り坂を上る。この間に竜飛海底と吉岡海底という海底駅がある。竜飛海底駅に停車して青函トンネルの工事跡や資料館を見学できるツアーがある。

JR北海道の発表によると、新幹線工事のために両海底駅は2014年春にも廃止となり、竜飛海底駅見学ツアーも2013年11月をもって終了するという。(2013.08.02)
関連ページ:竜飛崎


木古内駅
新幹線の駅を建設中だが、江差線は江差−木古内間が新幹線開業とともに廃線となることが決まっている。

函館湾越しに函館山が見えてきた。山の左手に市街地が広がる。

函館駅にて

現在の函館駅舎は2003年に完成した5代目となるが、なんと!初代(1902年)・2代目(1904)・3代目(1914)の駅舎はいずれも火災で焼失したという驚くべき歴史がある。4代目は戦時中の1942年で資材不足のために小規模な造りになったものの、1945年7月の空襲にも耐え、現駅舎が開業するまでの60余年間無事に使命を果たしたという。



函館本線函館−旭川間458.4kmの0キロポスト



ここの0キロポストにはふたつの距離程が記されている。
左側の”0k219m00”はかつて青函連絡線桟橋までの線路が短縮されたことを示す「断キロ」といわれる標記。

789系交流特急形電車 2002年東北新幹線八戸延伸により、函館−八戸間を結ぶ対本州連絡列車用として導入され、特急「スーパー白鳥」として運用されている。そのほか派生型車両(1000番台)が札幌−旭川間のエル特急「スーパーカムイ」および札幌−新千歳空港間の快速「エアポート」として運用される。



「スーパー白鳥」と並ぶ特急「北斗」キハ183系気動車。
函館から函館本線−室蘭本線−千歳線経由で札幌まで走るが、函館駅−東室蘭駅間は非電化のため、「北斗」には気動車が使用される。



函館本線、江差線のローカル列車はキハ40形気動車で運用される。
寝台特急「カシオペア」・「北斗星」が発着するため、ホームは非常に長い。

函館市内
函館は北海道では幕末から明治維新にかけての動乱にまきこまれた唯一の都市だが、明治になってからは北海道の玄関口として発展した。市内は当時の古い町並みや建物も多く残り、港町らしい詩情あふれる街である。
この日はどんよりした曇り空で、おまけに風が強くて寒い!地元の人も6月の末としては珍しいくらい寒いと言っていた。



函館は坂の町
函館山の裾から海に向かって19本の坂が並ぶ。
ここ八幡坂から函館港を望む景色は定番。とくに夜景が絶品で映画やCFによく使われる。

港町には坂がつきもののようで、よく似合う。神戸、横浜、長崎もそうだし、サンフランシスコも同じだ。




青函連絡船として活躍した「摩周丸」が係留されている。




八幡坂を下から見上げる



二十間坂
右は東本願寺函館別院



大三坂(だいさんざか)の先の狭い坂にも「チャチャ登り」なる名前が付けられている。

特別史跡五稜郭跡

五稜郭は幕末の箱館開港に伴い設置された箱館奉行所の防御施設として1857年から1864年にかけてつくられた。明治維新により箱館奉行所は明治新政府の役所となったが、明治元年(1868)に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍がこの地を占領し、戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争が繰り広げられた。



箱館奉行所
箱館戦争後には開拓使によって郭内のほとんどの建物は解体され、大正年間に公園として開放されたが、2010年に箱館奉行所の役所部分が復元された。

新撰組「土方歳三」最後の地
明治元年10月、旧幕府脱走艦隊は箱館に上陸し、五稜郭に立てこもったが、翌年5月には箱館は明治新政府軍の手に落ちた。土方は箱館を奪還すべく一本木関門から五稜郭を出て、50名の兵士を率いて箱館市中に切り込んだが、新政府軍の銃弾に斃れた。
京都で結成された新撰組が幕府と運命をともにして、遠く箱館まで行き着いてこの地で壮絶な最期を遂げた事実は胸を打つ。

金森赤レンガ倉庫群
明治時代に商業倉庫として建てられた赤レンガの倉庫が立ち並ぶ。現在はショッピングモールとして使われている。
函館ハリストス正教会
安政6年(1859)に建てられた初代ロシア領事館の付属聖堂として建立されたのが始まりで、正式には「函館復活聖堂」という。文久元年(1861)に来函した司祭ニコライ・カサートキンがここを起点に日本で最初にロシア正教を布教したという。ニコライは明治5年(1872)東京に転任し、正教伝道に生涯をささげた。建設に尽力した神田駿河台の「東京復活大聖堂」は通称「ニコライ堂」として呼びならわされる。国の重文。

旧函館区公会堂
明治43年(1910)に建てられた木造公会堂。現在も市民に利用されているという。
左に見える建物は旧北海道庁函館支庁庁舎。
国の重文。

函館市電
函館市企業局交通部が運営する路面電車は、2系統10.9kmの路線を持つ。
1897年(明治30年)に東京馬車鉄道の技術指導を受けて開業した馬車鉄道を起源とする。大正2年に電化されて北海道初の路面電車として開業した。東京馬車鉄道を起源とすることから、軌間も東京都電と同じ1372ミリである。

函館駅前停留場 700形電車 東京都電8000形の流れを汲むといわれる。


3000形
1993年に登場。
(十字街停留場)


低床型車両
9600形「らっくる号」
2007年運転開始。
(十字街交差点)
30形「箱館はいから號」
1910年に製作され、当初成田電気軌道で使われていたが、1918年に函館に移り、旅客運用されていた。1937年に除雪車(ササラ電車)に改造され、1990年代初頭まで除雪車として運用された。1992年に函館市の市制70周年記念事業として明治から昭和初期までに使用されていた車両を復元することになって、本車両に白羽の矢がたった。
足回りは2軸で、出入り口はデッキ式だが、扉がなく運転士も車掌も吹きさらしの状態となる。そのためか、運行期間は4月中旬から10月末までという。(十字街交差点)

函館山
函館のシンボル函館山は海抜334mで、山頂からは津軽海峡と函館湾に挟まれて大きくくびれた形をしている函館の市街地を一望することができる。特に夜景の美しさは有名で、神戸、長崎と並んで三大夜景と称讃される。山頂には展望台があり、ふもとからかけられているロープウエイに乗れば数分で登頂できる。

函館山の山頂 函館駅前からタクシーで登山 

灯ともしごろ(19:09)の景観 右に津軽海峡、左は函館湾 晴れた日中には前方に遠く駒ヶ岳も見えるという。

19:51 大混雑の展望台 落ち着いて撮影していられないが、なんとかかいくぐって撮影に成功。

中央にライトアップされた摩周丸。

中心街をズームアップ。中央の大きな建物は函館市役所。
帰りのロープウエイ搭乗は大行列で、結局路線バスで下山したがこれは大正解だった。
鉄道総合ページ:「鉄道少年のなれの果て」