一畑電車    2012.08.25
出雲大社に参拝に来たので、松江まで一畑(いちばた)電車の旅をした。

一畑電車の歴史は古く、一畑薬師(一畑寺)への参詣客輸送を目的とした一畑軽便鉄道として1914年(大正3年)に出雲今市(現・出雲市)〜雲州平田の開業に始まる。翌1915年に一畑薬師の門前である一畑まで延伸した。1925年(大正14年)には一畑電気鉄道と改称して路線の電化をめざし、2年後の1927年(昭和2年)に全線が電化された。翌1928年には、小境灘(現・一畑口)から分岐して宍道湖北岸に沿って北松江(現・松江しんじ湖温泉)に至る路線(北松江線)が開業。1930年(昭和5年)に大社線の川跡(かわと)〜大社神門(現・出雲大社前)間が開通して現在の路線(北松江線・大社線)が全通した。その後、島根県内で路線を敷設していた出雲鉄道、島根鉄道を合併したが、いずれも不採算路線となって廃止になっている。また、当初の目的地であった一畑〜一畑口間も1960年に廃止になった。社名の由来が消えてしまったことになる。
北松江線・大社線の利用者数は1967年度(昭和42年)の589万人を境に減少し続けて、2003年度(平成15年)にはピーク時の1/5の116万人まで落ち込んで、島根県・松江市・出雲市による運行維持補助金によって支えられている状況のため、2006年に一畑電気鉄道が100%出資する「一畑電車」として鉄道事業部門が分社化された。その後も今日に至るまで150万人あたりで低迷している。

山陰きっての名門私鉄といわれる一畑電車だが、このように御多分にもれず利用者数の減少という地方鉄道の宿命を負っている。どこの鉄道でも自動車の普及と鉄道利用は反比例の関係にあるが、それに過疎化による沿線人口の減少が輪をかける。これは時代の流れで止めようがない。鉄道は利用されてナンボのものであるので、その地域の住民が乗ってくれなくては成り立たない。乗る人がいなくなるというのは、もう不要ということだ。鉄道会社はボランティアではないので、本来は不採算のまま運営を続けるわけにはいかない。しかし、公共性というタガをはめられているために、多くの鉄道会社が赤字でも続けざるを得なくなっている。そのために国や地域の自治体が支援してかろうじて命運を保っているところが少なくない。つまり税金で電車を走らせているのである。鉄道会社もそれなりに努力して、いかに利用客を増やすかに知恵を絞っているが、一時的に効果はあっても長期的・安定的な抜本策は見当たらないのが現状である。
一畑電車も、カタカナ入りで妙に長い奇をてらったような駅名改称をしたり、自転車持ち込みを可能としたり、アテンダントを添乗させたり、古い車両でイベントをしたりと、あの手この手で奮闘しているようだが、成功しているのかどうか気になるところだ。いずれにしても沿線人口が減っているので、それを増やすしか根本的な解決策はないのである。鉄道会社ひとりだけでできる話ではない。地域全体で考える必要がある。すでに「一畑電車沿線地域対策協議会」が設置されて協議が繰り返されているようだが、残念ながら先行きは明るくないだろう。

一畑電車は、北松江線(電鉄出雲市駅〜松江しんじ湖温泉駅間33.9km)と大社線(川跡駅〜出雲大社前駅間8.3km)の2路線をもち、川跡駅で接続する。軌間1067mm、全線単線。

 出雲大社前駅
大社線の終点駅。参道に面していてユニークな建物だが、うっかりすると見過ごしてしまうくらいまわりに溶け込んでいる。1996年(平成8年)に国の登録有形文化財となった。

頭端式ホームで待機する5000系(左)と3000系電車。右の電車は松江温泉直通で所要時間は約1時間。
電車の扉は開いているのにホームが閑散としているのは発車10分前くらいにならないと改札しないからだ。運転頻度は1時間に1本という過疎ダイヤである。たまたま前の電車が出たばかりで1時間待ちとなった。旅行者にとってこのダイヤは効率が悪い。今回はこの電車に乗りたくて来たので1時間我慢したが、そうでない人はバスやタクシーに乗ってしまうかもしれない。それにこのようなダイヤでは途中下車もままならない。そのためもっぱら車内からの撮影に限られてしまった。しかし、これも利用客の低迷を織り込んでのぎりぎりのダイヤなので仕方がないのだろう。

 5000系電車 
元京王電鉄の5000系を大幅に改造した車両。3扉を2扉に、前面を非貫通形にしたほか、前照灯を丸形1灯、尾灯も丸形にして位置を変えた。軌間が異なる台車は東京メトロの旧3000系のものに交換した。さらに車内は小田急のロマンスカー3100形NSEから流用したクロスシートを設置している。この車両は観光客向けに松江しんじ湖温泉〜出雲大社前間の直通列車のほか、特急用として使われる。2連2編成の4両が在籍。

 3000系電車
元南海電鉄の21001系。かつて南海電鉄高野線の山岳路線を走っていた。ワンマン運転対応や、3扉を2扉化するなどの改造を受けている。2連4編成の8両が在籍する。
 運転席
むかしのままの2ハンドル式
 サボ置き場 

 出雲平野の穏やかな田園地帯を走り抜ける。ただし、保線状態があまりよくないのか、かなり揺れるので写真を撮りづらい。

 川跡駅
大社線と北松江線の合流駅。右側の直線は大社線でいま走ってきた線路。左に分かれるのが北松江線の電鉄出雲市方面。右の電車は出雲大社前行き3000系。左は電鉄出雲市行き2100系電車で、元京王電鉄5100系だが塗装も京王時代のアイボリーホワイトと赤帯に戻されている。

 雲州平田駅
一畑塗装の2100系。2100系は京王5100系にワンマン運転対応、台車交換や3扉を2扉化するなどの改造を施している。2連4編成の8両が在籍する。

 雲州平田駅には車両基地がある。5000系と南海電鉄当時の塗色の3000系が留置されている。同じ塗色の元南海21001系は大井川鐵道でも活躍している。

 一畑口駅
かつて一畑駅に向かう線路が伸びていたが、1960年に廃止となってからスイッチバックの駅となった。いま走ってきた右側線路は出雲方面で、左に分岐するのが松江方面の線路。

 ここからは進行方向が逆転して前向きになる。松江方の出発信号が青に変わって出発進行!渡り線を渡って左側の線路にはいる。制限速度は20km/hとある。

 津ノ森駅
このあたりは宍道湖に沿って走る。下り電車と交換。

 松江しんじ湖温泉駅
頭端式(行き止まり)2面2線のホームに留置線が付属する。

 電車が到着してから改札口が開く。その後、車内の清掃をしてから乗車改札を行う。
 駅舎正面
2001年に旧駅舎を建て替えた。
鉄道総合ページ:”鉄道少年のなれの果て”