路面電車の走る町-熊本市・鹿児島市鉄道歩き 2015.07.20~21
都市内の公共交通機関では、多くの地域をこまめに停まって、しかも頻繁にやってくるような運行が求められるが、これに応えてきたのが路面電車である。いわゆる六大都市(東京・大阪・名古屋・京都・横浜・神戸)では明治時代から路面電車の稠密なネットワークができあがっていて市民の足としての要求を満たしていた。しかし、高度成長期の自動車の急速な普及による道路の渋滞や、人口の急増によって高速性・輸送力・定時運行などの面で対応できなくなってきた。そしてこれらの大都市では、いずれもが1970年代後半までに市内交通としての路面電車が次々と姿を消していった。かろうじて東京都電の荒川線だけが唯一生きながらえている状態だ。路面電車の代わりとして高速で輸送力の大きい地下鉄が建設されたが、当然ながら建設コストなどの面で路線密度は旧来とは比較にならないほど小さく、駅間距離も長くて、これまでのようにこまめに停まってはくれず、その意味では代替えとはならない。線路跡を比較的忠実に走るのは路線バスで、これが路面電車の実質的な代替えとなっているようだ。

一方、地下鉄を建設するほどではない規模の地方都市では路面電車が健在で、市民や観光客の足として活躍しており、なかなかに隆盛なのだ。路面電車は省エネや地球温暖化対策として、世界的にもその価値を見直す方向にあって、いったん廃止された路面電車が復活する例も多い。

このような日本の地方都市で活躍する路面電車を中心に、その他の鉄道や街の様子などを見聞するシリーズを順次掲載します。今回は九州。熊本市と鹿児島市。

羽田空港8:25発のANA641便で熊本空港へ向かう。B777の機内は空席がかなりあって快適だ。天気は晴れ。絶好のフライト日和だ。窓側の席から下界の景色を楽しみながらノンビリ過ごす。
実は鉄道旅ながら、できるだけ現地での滞在時間をかせぐために前後は空路を使うことにしている。帰りは鹿児島から羽田に戻るのだが、かねてから乗りたいと思っていたB787便を取った。
10:20定刻通り熊本空港に着陸し、直ちにバスでJR熊本駅前に向かう。市街地が近づくと路面電車の姿が見え始めた。古そうな車両もあれば最新型の低床電車も走っている。これは期待が持てそうだ。
熊本駅の正面には市電のりばがあって、ひっきりなしに電車が発着している。ここから鉄道歩き旅がスタートする。

熊本市電 熊本電鉄 熊本城 九州新幹線 鹿児島中央駅 鹿児島市電
  
熊本市
熊本市には2系統の路面電車があり、熊本市交通局が運営している。A系統・B系統と名付けられており、電車の前面に赤(A)または青(B)のサボが掲げられているのでわかりやすい。熊本市東部の健軍町と市内の中心部と繁華街である辛島町との間はA・B両系統が走り、辛島町でJR熊本駅方面(A)とJR上熊本駅方面(B)とに分かれる。

JR熊本駅  こちらは東口で新幹線の駅は西口側にある。

熊本駅前市電のりば 駅の出入り口から大きな屋根が設置されている。

市電の利用者は多いらしく、行列が絶えない。


熊本市内きっての繁華街の
通町筋(とおりちょうすじ)停留所










賑わうアーケード街
 ↓

定番の撮影テーマ
「お城と電車」

黒塗りの0800形電車が行く。0800形はブレーメン形超低床電車という部類の車両だが、この0803AB編成は2014年に熊本市電90周年記念事業の一環で導入された。愛称として「COCORO(こころ)」と名付けられ、塗装などのデザインを水戸岡鋭治が担当したというが、そのとおり外観を見ただけでも水戸岡流がてんこ盛りだ。

「COCORO」とは、「利用者への思いやり」と「熊本を訪れる観光客をおもてなしの心でお迎えする」という意味があるとしている。-Wikipedia

1200形
製造初年1958年という古参電車。
青いBラインのサボをつけている。
軌道内に芝を植える緑化事業を進めているという。
熊本市電の運賃は全線150円均一で、全国各地のIC乗車カードが使えるのは旅行者にとって便利だ。

右の建物は熊本の老舗デパート「鶴屋百貨店」。売り場面積は日本最大級という。

デパートのアーチ型アーケードが街を立派に見せる。Bラインの上熊本駅前行きが進入。

8200形電車 製造初年1982年の本形式は営業用車両として日本で初めてVVVFインバーター制御を採用したことで知られ、1983年に鉄道友の会ローレル賞を受賞したという栄光の車両だ。

「くまもん」の下を行く8500形電車
Bラインで上熊本へ

Aラインと辛島町で分かれたBラインは、先馬橋停留所を過ぎると新町までは専用軌道にはいる。専門的になるが、架線の張り方が直釣式になっているのに気が付いた。併用軌道部分ではシンプルカナリー式になっているのだが。(下の写真)

再び併用軌道にはいって北進し、やがて左側にJR鹿児島本線の高架が近づいてくると、終点の上熊本駅前停留所に到着する。停留所にはいる手前左手に車両基地がある。

上熊本駅前停留所 2面2線のなかなか立派なホームだ。

ホーム上屋も立派!

JR鹿児島本線上熊本駅
高架化されて新装なった駅舎。
さて、なぜ上熊本駅まで来たかというと、それはとりもなおさず、ここにはあの熊本電鉄が来ているからだ。そしてあいつに会うためだ。そう!あの「青ガエル」だ。ここ熊本電鉄で余生を送っている青ガエルすなわち元東急5000系(初代)電車が、近々引退する話が出ているのだ。すでに後釜も来ているという。そこで、今のうちに最後の青ガエルの姿を見届けようとはるばるやってきたのである。
 
熊本電鉄


熊本電気鉄道:
・菊池線 上熊本駅-御代志駅間10.8km
・藤崎線 北熊本駅-藤崎宮前駅2.3km
全線単線・電化(直流600V)、軌間1067mm

古くから他社の譲渡車両が走っている鉄道で、現在は
東急5000系(初代)、都営地下鉄6000系、南海電鉄22000系だが、新たに東京メトロ01系が加わることになった。





←熊本駅入口:道路から直接ホームにはいれる。

ホームの前にまわってみると、そこに青ガエルの後釜がいた。東京メトロから来た01系だ。2015年2月に2両編成が搬入され、3月から営業運転している。引き続き今年度中に2両編成が導入される予定。01系は東京メトロの銀座線でいまも活躍しているが、新鋭1000系が導入されるにおよんで置き換えが急速に進んでいる。むかし通勤で毎日乗っていた01系がここ熊本の新天地で活躍しているのはうれしいことだ。

導入に当たっては、かなり大掛かりな改造を必要としたという。まず、軌間が違うので(1435→1067mm)台車を交換。集電装置が第三軌条方式から架空線方式となるため、パンタグラフ2基を新設。車体幅が少し狭いために各ドア部にステップを取り付けている。バックミラーがついているのも地方鉄道の特徴か。
2両で1編成を組むために元の編成(01-136F)の両端の制御車2両(01-136と01-636)を使っている。外観や車番はメトロ時代のまま残し、さらに側面のロゴも東京メトロと同じ色合い(水色と紺色)のものを張り付けている。

01系電車に乗って上熊本駅から約10分で藤崎線との分岐駅の北熊本駅に到着。
ここには車両基地があってお目当ての青ガエルがいるはずだ。

青ガエル発見!ちょっとアングルが悪いが、ともかく昔の姿を残していた。この東急5000系(初代)が登場したのは1954年(昭和29年)私が中学生のころで、電車好きの友達から「東横線に5000系が来たゾ」と教えられ、わくわくしながら見に行ったものだ。その明るいグリーンに塗られた電車はそれまでの、ごつい、重そうな車両と違って丸みを帯びたいかにも軽快そうな車体で、颯爽と走っていたのを思い出す。その後東横線の主力として大量に増備されたが、東急電鉄のステンレス車への移行は早く、1962年に登場したオールステンレスの7000系(初代)を皮切りにそれ以降の新造車両はすべてステンレス車となった。これにより、青ガエルは1970年ころから東横線を引退しはじめ、目蒲線や大井町線に移動したり、他社に譲渡されていった。中古市場での青ガエルの人気は高く、地方鉄道では引手あまただったそうだ。ここ熊本電鉄でも1981年に2両が、1985年には4両が譲渡されたというから、かなり早い時期にやってきたことになる。オリジナルの塗装のままの青ガエルの姿を残して走るのは現在この鉄道しかないため、熊電も積極的にPRした結果、日本中からファンがやってくるという。

熊電では5000系を単行運転するために両運転台に改造した。こちらが運転台を増設した側。この姿は東急時代にはなかったものだ。
たまたまこの時は撮影クルーが来ていて(上の写真の人物たち)、ディレクターらしいおねえさんが話しかけてきた。NHKの撮影班でこの電車を取材に来たとのこと。カメラをもってうろうろしていた小生に目を付けたらしい。どこから来たのか、この電車を見に来たのか、などと聞かれた。実はNHK熊本局の番組で、青ガエル引退間近の特番を作るのだそうだ。残念ながら全国区の番組ではなかった。
この日、青ガエルは運行を予定していたが、不具合がでて調整中だったそうだ。よく見ればあちこち傷んでいて、まさに老骨に鞭打つ状態だ。あと半年、最後の走りで有終の美を飾ってほしいものだ。

6000系-東京都営地下鉄の三田線で活躍していた6000形
1969年に第9回鉄道友の会ローレル賞を受賞している。1968年から1976年まで130両が製造され、そのうちの5編成から両端部の先頭車のみを2両ずつを東京都交通局から譲り受け、2両5編成として10両が1995年から2001年にかけて導入された。ごついスカート(排障器)をはかされている。

駅の横には北熊本車両工場の側線群。

最古参の「モハ71」と塗装中の「200系(元南海22000系)」
モハ71は昭和3年製造で、昭和29年に国鉄から譲り受けた。営業運行はしないが、この車両工場で車両の入換用として使われている。200系は1998年に南海電鉄より2両1編成を譲り受けた。
 
熊本城
熊本に来て1か所だけ行くとなれば、なんといっても熊本城だろう。

日本三大名城のひとつに数えられる熊本城は、加藤清正が築城したものだが、清正が天正16年(1588)に肥後北半国の領主に任じられて入城したのは隈本城(古城)だった。この城は明応5年(1496)に築かれたもので、現在の熊本城がある茶臼山の西南麓にあったといわれる。
その後、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦における論功により、肥後南半国も含めた54万石の大大名となった清正は翌年新城の築城に着手し、慶長12年(1607)新城が落成したのを機に隈本を熊本に改称したという。
慶長16年(1611)に清正が没し、三男忠広が家督を継ぐが、寛永9年(1632)加藤家改易となり出羽庄内へ配流に至った。
そのあとに肥後54万石の領主となったのは細川忠利で、以後明治になるまで細川家の治世が続く。しかし、熊本城は明治時代になって西南戦争開戦3日前に原因不明の出火により、天守閣など主要な建物が焼失した。昭和35年(1960)に天守閣が再建され、平成10年(1998)からは熊本城復元事業が始まり、現在に至る。


清正公銅像

備前堀

「石垣」
加藤清正による築城では、石垣を巧みに配して堅固な城郭にしていることが特徴といわれる。このような石垣に挟まれた石段や坂をいくつも登っていかなければならない。汗だくになって登る。

「二様の石垣」
古い年代に造られた傾斜の緩やかな石垣(右)に、後年継ぎ足された新しいタイプの急傾斜の石垣(左)。石垣も年代によって形状が異なることがわかる。左の石垣のように上にいくほど傾斜が急になる形式を「武者返し」と呼ぶそうだ。

「大小天守閣」
昭和35年に外観復元されたもので、内部は加藤家、細川家、西南戦争の資料の展示室がある。

「宇土櫓」
往時の熊本城には62もの櫓があったといわれ、そのなかでこの宇土櫓は創建当時から残る唯一の多層櫓という。一見天守閣と思わせるほどの大きさと風格だ。

「闇り(くらがり)通路」
本丸御殿はふたつの石垣をまたいで建てられたために地下通路ができた。御殿入口への正式通路になっている。この上に本丸御殿があるわけだが、行ってみると入場に行列ができていて断念。
 
九州新幹線
翌日は今回の旅で楽しみにしていた九州新幹線に乗って熊本駅から鹿児島中央駅に向かう。
2011年3月12日に新八代駅と鹿児島中央駅間が開業して九州新幹線鹿児島ルートが全線開業した。奇しくもその前日には東日本大震災が起きて全線開業のお祝い気分は殺がれてしまった。九州新幹線はいわゆる整備新幹線で、鹿児島ルートのほかに長崎ルートが計画されている。鹿児島ルートは博多駅-鹿児島中央駅間256.8kmを最速列車で1時間19分で結ぶ。800系電車による「つばめ」と「さくら」は九州新幹線内のみ、N700系7000番台(JR西日本所属)・8000番台(JR九州所属)による「さくら」と「みずほ」は山陽新幹線直通で新大阪まで運転される。
JR九州の800系電車は、九州内だけの運用で、現地に来なければ見ることはできない。そのため今回の鹿児島中央行きでは、800系使用の列車を選んだ。
また、九州新幹線は東京駅には乗り入れしない唯一の新幹線となる。これは、仮に東京駅から鹿児島中央駅までを直通運転すると最速でも6時間かかる。空路では2時間弱なのでまったく競争にならず、そのような運用は無意味である。同じように将来の北海道新幹線札幌ルートも東京からの直通は意味のないものとなるだろう。もっとも、この場合は、整備新幹線の最高速度制限260km/hを撤廃するなら違ってくるかもしれない。

熊本駅13番ホーム
鹿児島中央方面のりば
列車は8両(N700系)ないし6両編成(800系)

上り博多方面ゆきホームでは、自由席の行列ができている

入線するN700系(8000番台)新大阪ゆき

800系博多ゆき6両編成 ロングノーズの速そうなボディーだ。
2004年に登場し、2005年ローレル賞を受賞している。現在9編成が所属する。

JR九州のオリジナル車両は在来線も含めて車体の車両番号表示などでやたらと飾り立てるのが特徴だ。この800系の先頭車両には「KYUSHU SHINKANSEN 800」の文字が4か所もついている。そのうち2つはさらに「SINCE 2004」が追加されおり、とにかくクドイ。ドア下の「U004」は編成番号。丸いロゴマークはツバメ。ひし形は「800」をイメージしたロゴマーク。見れば見るほどしつこいのだ。

発車してゆく800系 望遠レンズの圧縮効果でなんとなくマンガチックな表情になった。

博多から来た熊本止まりの区間列車が進入する これも面白い顔となった。

全車両普通車で、グリーン車両はない。
車内は2席+2席ずつ4席の座席でゆったりしている。座席は木製で、モケットは西陣織となっているが、車両によって座席の木部の色とモケットの色の組み合わせを変えているというほど、凝ったものになっている。

足回りも非常に広く窓側から通路に出やすい。テーブルは中央の肘掛けに収納されている。

8:27 「さくら405」で出発
熊本駅を出ると、
新八代-新水俣-出水-川内の順に停車する。
途中の車窓風景は高い遮音壁が続いていてあまりよろしくない。

9:25 鹿児島中央駅到着
所要時間は58分、表定速度は176.4km/hだった。
予報では100%雨だった鹿児島だが、着いてみると雨は上がっていた。

いま乗ってきた電車 U007編成 後期増備車でヘッドライトのガラス部分が盛り上がっているのが特徴。いっそうひょうきんな顔になったようだ。

直通列車はないものの、線路は東京からつながっている。その距離1325.9km!東京起点の鉄道路線距離で最長。ここがその終端部だ。


鹿児島中央駅前広場 中央のモニュメントは「若き薩摩の群像」。薩摩藩が送りこんだ英国留学生たちの銅像だそうだ。

左側の黒い建物は鹿児島アミュプラザ・プレミアム館。この1階に駅の入口がある。観覧車のある建物はアミュプラザ本館。中央の大きな樹木はシンボルツリーのクスノキとのこと。
 
在来線鹿児島中央駅
鹿児島中央駅はかつて「西鹿児島駅」と称しており、その当時から鹿児島市の中心駅として、特急や寝台列車などの優等列車をはじめ、ほとんどの列車の起終点駅となっている。むかし、屋久島に行ったときに東京から当駅までの急行列車で20時間かかって着いたが、屋久島行きの船が出る鹿児島港はひと駅先の鹿児島駅まで行かなくてはならない。やってきた蒸気機関車牽引の普通列車に乗り換え、駅を出るとすぐにトンネルにはいって、開けっ放しのデッキからはいってくる機関車の煙にむせながらやっとたどり着いたことを思い出す。
ここはぜひ見ていかなければならない。入場券を買って在来線ホームへ。
当駅には鹿児島本線・日豊本線・指宿枕崎線の列車が乗り入れる。鹿児島本線も日豊本線も終点は隣の鹿児島駅で両線の本来の境界駅だが、実際には鹿児島中央駅が境界駅となっている。したがって当駅と鹿児島駅間は日豊本線の列車が担っている。

当駅始発の日豊本線国分行き

こちらも当駅始発鹿児島本線川内行き
車両はガングロの817系電車。

顔は黒いが車体は白い。例によっていろいろ書いてある。
「CT Commuter Train」、「KYUSHU RAILWAY  COMPANY」、囲み文字で「クモハ817 2」など

鹿児島本線から特急「きりしま」が入ってきた。これまた黒づくめの787系。JR九州の看板列車のひとつだ。
ホームをまたいでいるのは新幹線ホーム。新幹線電車が停まっているのが見える。

仔細に見ると面白い。
「787 AROUND THE KYUSHU」、「787 LIMITED EXPRESS SINCE 1992」、「787 LIMITED EXPRESS/GREEN CAR」、囲み文字で「クロハ786 10」、7個のロゴマークの満艦飾。

さらに「INTERCITY AROUND THE KYUSHU」などと書いてある。とにかくゴテゴテだ。

指宿枕崎線は専用の1番ホームに発着する。車止めのある頭端式ホーム。非電化なので架線は張られていない。

停車中の車両はキハ200系気動車。快速「なのはな」喜入行き。
 
鹿児島市電
鹿児島市電は日本最南端を走る路面電車である。鹿児島市交通局の運営で、鹿児島駅前を起点に2つの系統の路線がある。途中の高見馬場で分岐して1系統は指宿枕崎線の谷山駅まで、2系統は鹿児島中央駅を経由して第1系統の郡元までをむすぶ。

鹿児島市電は軌道の緑化に熱心だ。架線柱はセンターポール式で非常に見栄えが良い。架線は普通の鉄道線並みのシンプルカテナリー式。

鹿児島中央駅前。天文館・鹿児島駅方面のりばと9500形電車。

郡元方面のりばと7000形超低床電車

超低床電車1000形。

2110形 2113号車は姉妹都市ナポリ市を記念した電車 鹿児島中央駅前電停
うしろは長沙市(中国)との友好都市号となっている。 水族館口電停

鹿児島駅前電停 JR鹿児島駅横にある。左に鹿児島本線線路が見える。

JR鹿児島駅 鹿児島港への最寄り駅だが、ちょっとうら寂しい雰囲気。

鹿児島本線上を鹿児島中央駅に向かう日豊本線の411系列車。

旅の最後は桜島で締めようと鹿児島港へ。ところが、雲がかかっている。ときおり雲が薄くなるので1時間ばかり様子をみたが、残念ながら雲が切れることはなかった。不運だったが大自然相手なので仕方がない。
しかし不運だったのはこれだけではなかったのだ。

あきらめて、再び市電で鹿児島中央駅に戻って付近を散策し、駅前のバスターミナルから空港に向かう。空港には40分ほどで到着。空港ビルにはいってANAの出発カウンターに行くと恐ろしく混んでいる。なんでもフライトがキャンセルになったので、チェックインの調整をしている、というような放送をしている。わけもわからず行列の最後尾についたが、とても埒があきそうにない。ふとカウンターのほうを見るとプレミアムクラスはガラガラだ。今日はプレミアムクラスを取っていたので、すぐにそのカウンターに移動してチェックインは済んだ。「やれやれラッキー!」と保安検査を通って搭乗ゲートの待合ブースから、お目当ての羽田行きANA628便B787機が到着するのを見張っていた。乗客は続々やってくるが、B787機にしてはどうも多すぎるように感じた。やがて着陸した飛行機がゲートの前に来て静止した。が、それはB787ではなくB777なのだ。しかし時間的に見てもこの飛行機に乗るのは間違いない。狐につままれたような気でいると搭乗が始まった。Pクラスのおかげで優先的に早く搭乗できた。機内でCAに787機でないことを糺したが、はっきりした理由は言わず「申し訳ございません」と言うばかりだ。考えてみると、どうやらキャンセルになったのは前便のANA626羽田行きだったのだ。その便もB787である。これが何らかの理由によってキャンセルになり、後続の628便に振り替えたと思われる。つまり2フライト分の乗客がいたのだ。多いと思ったはずである。しかしこの便の787機では2フライト分の乗客が収容できず、ピンチヒッターとして機体の大きい777機に変更したのだろう。はっきりした理由を言わないのは787機に対して、就航当時の連続不具合のトラウマがあるからかもしれない。おそらく乗務員には余計なことを言わないよう箝口令を敷いているのだろう。そんなわけで、せっかく楽しみにしていたB787機への搭乗がフイになってしまい、これも不運だった。
そして、満席になった628便は飛び立った。順調に飛行を続けていたのだが、羽田空域にきたときに、機長からバードストライク(鳥が飛行機に衝突すること)が発生したために空港全体を調査中であるので、着陸が遅れるというアナウンスがあった。上空を旋回しながら時間を消費するのだ。これも不運といえば不運だが、最終的に30分の遅れで無事着陸した。滑走路が4本ある羽田ならではのことで、これは運がよかったのかもしれない。また、B787機はだめだったがJR九州の787系電車に遭遇したのもちっぽけな幸運だった。

ピンチヒッターとしてやってきた
ANAのB777機
鹿児島空港
関連サイト 鉄道総合ページ「鉄道少年の成れの果て」
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