東急目蒲線 最後の日

東急目蒲線は大正12年(1923)11月に当時の田園都市会社により目黒、蒲田間が全通した。現東急電鉄の発祥となる由緒ある路線である。
以来77年間、東京南西部の品川区、目黒区、大田区、世田谷区住民の足として活躍してきた。

しかし、2000年8月をもって多摩川園(現多摩川)駅を境にニ分され、文字通りの目蒲線としての使命を終えることになった。ニ分されたあと目黒、多摩川間は目黒線多摩川、蒲田間は東急多摩川線して新しい時代が始まることになる。 その最後の日、2000年8月5日、自宅に近い奥沢駅周辺を巡って、明日からはもう見られない電車の姿を記録してきた。


7700系 (7901F) 目黒行き(田園調布-奥沢間)

1000系 (1013F)
蒲田行き(大岡山-奥沢間)


1000系 (1017F) 目黒行き(奥沢-大岡山間)

7700系 (7908F) 蒲田行き

7700系 (7903F) 蒲田行き 7700系 (7908F) 蒲田行き

明日からの出番を待つ3000系(奥沢車庫)


東急電鉄のシンボル 田園調布駅

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