東急8000系



東急8000系は東急電鉄初の全長20メートル大型車両として1969年に登場した。爾来35年以上にわたって東横線、大井町線で活躍してきたが、このところ廃車になるものや地方の私鉄に譲渡されるなどの動きが一段と進んでいる。数年後には5050系などの新鋭車両に置き換わってしまうのだろう。

8000系が初めて東横線に登場したとき、それまでの主力であった7000系、7200系よりもひとまわり大きいステンレス製の図体は目立ったものの、前面はまったいらで、なんのアクセントもなく、全然面白くない顔つきをしていたのを憶えている。7000系や7200系はそれぞれ前面デザインに個性を持っていたのに、8000系には東急は力をいれてないな、と思ったものである。だからその後、高運転台と前面の赤帯で顔を引き締め、精悍ないでたちで颯爽と登場した8500系には非常に新しさを感じた。しかし、8500系は東横線にごく短期間いただけで、田園都市線に移籍してしまった。いまはいささか飽きられてしまった感のある8500系であるが、1976年に優秀車両に贈られる、鉄道友の会のローレル賞を受賞している。

そのベースになった8000系はデザインはいまいちとしても技術的には当時の先端をゆく画期的な車両だった。デザインよりも性能重視であったらしい。冷房車もたしか8000系が最初だったと思うが、屋根の上にクーラーカバーが載っているのを見て、いよいよ東急にも冷房車が来たか、とワクワクしたものだ。しかし、車両の増備に冷房化が追いつかず、屋根の上のクーラーカバーの中はからっぽの冷房準備車が多く、同一編成でも実際にクーラーが載っている車両と載っていない車両があって、涼しい車両と暑い車両が混在していた時期があった。

その後さらに8000系は増備が進み、後に登場した8590系、9000系とともに東横線の主力車両となる。内外装の更新も頻繁に行われ、前面に8500系と同様の赤帯がつけられたり、前面のドア部分を黒く塗装して周りを赤くくまどりをした、妙な顔つきのバージョン(マニアの間では歌舞伎塗装と呼んでいる)や、側面にも赤帯をまいたものも現れてバラエティに富んできた。
2004年9月現在の資料では、東横線8両編成10本、大井町線5両編成3本が営業運転にでて活躍しているが、2005年にはいって東横線には5050系が4編成増えて8000系の淘汰は確実に進んでいるようだ。
(2005.06)


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