復活する蒸気機関車

いま、全国各地で蒸気機関車が走っている。JRをはじめ、いくつかの私鉄でそれぞれ蒸気機関車を保有し運行しているのである。多くは蒸気機関車人気にあやかってのイベントとしての運行だが、なかには通年で毎日列車を走らせている大井川鐵道のような例もある。
現在運行されている蒸気機関車は動態保存という意味合いもあって、日々のメンテナンスをかかさず大事に使われている。これらの機関車は一度廃車になったものを修理・復元したものも多い。いま、全国には約500両の国鉄時代の蒸気機関車が静態保存という形で公園や博物館などに存在するという。ほとんどが雨ざらしになっているのだろうが、このようななかから比較的保存状態の良いものを選んで復元するのだそうである。

JR東日本でも「C57 180」と「D51 498」の2両の蒸気機関車を保有し、磐越西線や上越線、信越線で客車列車を引っ張って走っている。そして、さらにもう1両の蒸気機関車が加わることになった。「C61 20」機関車である。この機関車は1949年から1973年まで東北や九州で活躍した後廃車になり、群馬県伊勢崎市の公園に展示保存されていたものである。それが2009年12月に復元の決定がされて以来復元・修復作業が行われ、2011年2月に37年ぶりに復活したのである。

この復元の一部始終が山田洋次監督によってドキュメンタリーとして作られ、NHKで放映された。山田監督は旧満鉄の技師であった父君とともに大連にあって、幼少時から鉄道に親しんで育った。なかでも満鉄の誇る「特急あじあ号」を引く、当時世界最強のパシナ形蒸気機関車には特別な思いがあったという。そんなことから、後年映画監督としての仕事に蒸気機関車が登場する作品が多いと語っている。


C6120機関車復元の作業は、機関車をすべて分解して、2万点におよぶ部品のひとつひとつをチェックし、修理すべきものは修理して再使用し、使えなくなったものは新たに作り、再び組み上げるというものだが、なにしろ40年近く放置されていた鉄のかたまりのため、よごれやサビのほか、長年の酷使による材料の疲労などさまざまなハードルが立ちはだかる。さらにこのような復元に携われる技術者はそう多くない。復元にあたった大宮総合車両センターの工場では経験者11人から成るプロジェクトチームで作業を行ったという。

実際分解している過程をみると、ボルト1本はずすのにもバーナーで熱しつつレンチとハンマーでナットを回して手作業でやらねばならない。電動工具などというものはほとんど使えないのである。分解されたあと、重要部分のボイラ、主台枠、シリンダ、動輪などは入念な検査が行われる。ボイラは大阪の「サッパボイラ」という会社に送られる。ここは現在このようなボイラの修理をこなすことができる日本で唯一のすごい会社なのである。

ボイラも主台枠もあちこちボロボロだったという。それを溶接によって、摩耗した部分や穴を埋め、ヒビ割れを修復してゆく。まさに職人の経験と技による作業が延々と続く。そして修理後の組み立て前にはそれぞれが徹底的に試験される。とくにボイラの検査は圧巻で、水を満たしたボイラに実際の蒸気が発生した時と同じ圧力を加えて、水漏れがないかを試験する。圧力が上がってくるとあちこちで水が漏れ出てくる。煙管の取り付け部分やボイラ本体のつなぎ目が著しい。水漏れ箇所をすべてチェックし、接合部分の締め直しやリベット打ちなどで補強する。真っ赤に熱せられたリベットを受け渡しては穴にセットし、すかさずリベットハンマーで打ち込む、この連携技に目を見張る。

このようにしてすべての部品が修復されて、再び巨大な機関車に組み立てられる。そして塗装工場で昔の姿に戻ったC6120機関車はいよいよ試運転に臨む。釜への火入れから蒸気圧の上がリ具合や汽笛のチェックが終わると、ディーゼル機関車に引かれて「吹き試し」の現場に向かう。吹き試しとはシリンダーに残った油分やゴミなどを高圧の蒸気で吹き飛ばす重要なテストというが、機関車の両脇から噴き出す真っ白な蒸気の迫力は、吉永小百合のナレーションのとおり、37年ぶりによみがえった雄叫びそのものだ。その後の自力での構内試運転で運転台の機関士が加減弁を引くと、ピストンがゆっくり動きだし巨大な3軸の動輪を回して走り出す。C6120機関車の復活の瞬間だ!この瞬間まで11人のスタッフたちは無事動いてくれるかどうか本当に心配したという。4日間にわたって1.7kmの試運転線を何度も往復するが、線路際には大勢のファンが鈴なりで、そのなかをC6120は軽やかに走り抜ける。隣接する鉄道博物館の脇を通り抜けるときに館内にいた人たちがビックリして見送るシーンが印象的だ。その後所属先の高崎の機関庫に送られ、上越線で客車をけん引しての本線試運転を無事終了してデビューしたのである。

山田監督は、あの震災後の福島原発事故によって科学技術への信頼が揺らいでいるいま、蒸気機関車というものが、科学技術に全幅の信頼をおいていた時代の象徴だった、と語っている。しかしその信頼の根底にあるものは現場の技術者や職人たちのたゆまぬ努力と誇りだったと思う。蒸気機関車のテクノロジーはすでに過去のものである。古い技術は人のかかわる部分が多い。それだけに高い技術力が必要で、かつては各分野で多くの神様や名人、匠と呼ばれる人たちがいた。こうした人たちも高齢化や引退でどんどんいなくなっている。今回の復元ではかろうじて11人の技術者を確保できたが、今後このような復元をするのであれば人材の確保をどう解決するのかが重要な課題である。

ナレーションでは蒸気機関車は文化財と言っているが、同じように文化財の寺社の保存などでもヒトの問題は深刻である。古いものを保存してゆくのは大変なコストがかかる。単純な懐古趣味では済まないのである。多くの古い建造物を保存しているヨーロッパ各国のやり方を参考にするなど行政機関はきちんとした戦略を立てるべきである。
(2011.07.18)


  復活したC6120          YouTube (karibajct氏)より