PCの標準化 |
1991年、マイクロソフトとIBMはPCの規格を共同で標準化することになった。それまでのPCはハードウェアもOSも各社各様のつくりになっていて、かつての汎用機と同じ状態になっていた。このため、ソフトウェアの互換性もなくユーザーとしては、同一のメーカーにしばられる格好となり、きわめて不合理なかたちであった。 マイクロソフト社は1981年にMS-DOSを商品化し、IBMをはじめとするいくつかのPCメーカーが採用していた。IBMは1984年に現在のPCアーキテクチャの基本となるPC/ATを発表した。 そして1991年に、Intel-80386MPUをCPUとした「IBM−PC/AT」上にマイクロソフトの「MS-DOS5.0(DOS/V)」を搭載して世界標準とすることを決めた。これに伴い、ハードウェアのアーキテクチャは公開され、いわゆる「IBM互換PC」ビジネスの道が開けた。これによって、世界中に「IBM互換PCメーカー」が出現し、大量のPCが生産されるようになった。 |
マイクロソフトの戦略 |
ここで特筆すべきは、マイクロソフトの戦略である。マイクロソフトはMS-DOS(現在のWindows)を世界標準のOSとし、そのプラットフォームも標準化することで独占的な地位を狙ったのである。その結果、OSを押さえることはハードウェアを押さえるよりも絶大な効果があることを証明した。しかも、マイクロソフトはこのOSを非公開とし、他社の追随を不可能にした。さらに多国語サポートのおかげで瞬く間に全世界に広まり、IEやMS
Officeを提供することでPCが単なる便利ツールを越えて社会インフラに進化した。 また、PCが標準化されたことで、ハードウェア関連のビジネスのほかに、ソフトウェアのビジネスが大隆盛となった。そして便利なソフトウェアが続々と商品化されてさらに利用者が増え、PCおよびWindowsの売り上げも増えるという相乗効果のサイクルが続いている。 いま、世界中の企業や十何億人かの人がWindowsを使って日常の活動を行っている。これがなければ仕事もできず、社会が成り立たない。否応なしにWindowsを使わざるを得ない状況に陥ってしまった。こんな状況で、もしWindowsに支障があるとたちまち影響をこうむり、場合によっては社会の活動が停止することにもなりかねない。その意味でマイクロソフトの動向は世界を左右するほどの勢力となっている。このことから、ビル・ゲイツ氏は人類史上初めて世界制覇を成し遂げたといってよい。 |
マイクロソフトのジレンマ |
しかし一方で、マイクロソフトも当局から独禁法の発動を受けたり、常に監視下におかれている。そのうえ、敵意をもつ人間どもがウィルスなど、いろいろな攻撃をしかけてくる。この影響は利用者にそのまま跳ね返ってくる。マイクロソフトは世界中のユーザーを敵にまわすことはできないので、そのたびにパッチを全世界に公開しなければならない。また、新バージョンがでるたびにマイグレーションさせて行く戦略も、ユーザーの抵抗にあってうまく行かなくなってきた。最近、Windows98のサポート終了を延期したのもその表れだろう。いずれにしても独占ゆえのジレンマを抱え込んでいるのである。 |