テクノロジーの進歩と社会 |
ITの世界は相次ぐ技術革新によって支えられてきた。技術者たちは、「いつでも」、「だれでも」、「どこでも」、「簡単に」、を常に目指して研究開発をしてきた。 その成果がいまのインターネットや携帯電話を中心とするIT社会である。 ITに限らず技術革新によってとにかく便利なったという実感は大きいが、その反面便利になればなったでいろいろな問題も派生してくる。 便利になったことで本来やるべき基本的な思考や動作が省略されるため、低年齢層には基本的な物事に触れないまま成長することによる弊害が現に起こりつつある。長期的に見れば人間性が大きく退化してゆくことになりかねない。 テクノロジーの真価は最終的には使いかたに帰着する。使うことによる結果を常に検証する必要がある。 米国のハイテク分野の技術者のなかには、自分たちが進めてきたことが結果として社会的な問題になっている部分があることを憂慮し、なんとかしなければならないという気運があるという。 最近の日本では携帯電話に関連する社会問題が多発している。悪用する者は論外であるが、通話やメールにしてもマナー違反やルール違反は日常茶飯事である。しかし、もっと深刻な問題もあるとされる。それは、昼夜を問わずケータイにのめりこむ現象が急増してきたことで、ダラダラと際限なく時間を浪費することである。 とくに、このような現象の低年齢層などへの浸透は脳の発育に深刻な影響をおよぼすことが専門家によって指摘されている。何時間もケータイメールをやっていて疲れないのは脳の深いところを使っていないからで、これが中毒状態となってゆくのだそうである。このような状態を長く続けると脳の発育がとまることは事実らしい。 精神的な面への影響も見逃せない。別の専門家は『時間と空間を選ばずにケータイに没頭すると、周りが見えなくなり、しかも話し相手との親密性が増したように錯覚してしまう。いわゆるジコチュー的になり、本質的な人間関係を見失う』と指摘している。精神的に未熟な時期にこのような症状が続けば行く末は見えている。 さらにこのように、何十万、何百万人という人間が、ケータイやメールでダラダラと時間を浪費して行くことは国家的な損失である。メーカーやケータイ会社もこんなことで業績を上げても本意ではなかろう。また一方で、年間に百万人もの使用者が通信料の支払い不能に陥っているという。根本的なところで何かが間違っている。 テクノロジーの発達が思いもよらない結果をもたらすという一例であるが、このような問題は使う人間にあるのか、こうした便利を与えたテクノロジーおよび事業者にあるのか、このような問題をどのように解決すればよいのか、皆さんのご意見を伺いたい。 |