新井薬師

通称、新井薬師と呼ばれるが、正式には「新井山梅照院薬王寺(あらいさんばいしょういんやくおうじ)」と号する真言宗の寺院である。本尊は表側を薬師如来、裏側を如意輪観音とする、ニ仏一体の坐像石仏で、弘法大師の自刻とされている。天正14年(1586)この仏像を僧行春が梅の木の穴から発する光によって発見し、これを奉安するために一堂を建立し、新井薬師の開創となった。
薬師如来は病気平癒を司る仏であるが、この如来より啓示を受けた第五世玄鏡が元和3年(1617)に作り上げたという小児薬「夢想丸」がこどものあらゆる病気に効くと評判になり、子育て薬師として知られるようになった。その後、二代将軍秀忠の第五子和子が眼病を患ったときもこの薬は効能を発揮し、以来、「目のお薬師さん」として信仰を集めてきた。(参考:JTB刊「江戸東京の古寺を歩く」)

西武新宿線の「新井薬師前」駅をおりると参道に続く商店街があり、約10分ほど歩くと新井薬師の山門に着く。そう広くない境内には本堂を始めとするいくつかの堂宇が建っているが、桜の大木も多く桜の名所としても知られている。入り口に「新東京百景」の石碑が建っている。これは1982年、東京都と都民が「自然の景観」、「都市の景観」、「名所・旧跡」の中から100の景観をと選んだ都内100の景色で、都民の日制定30周年を記念して選定されたときに「名所・旧跡」部門で新井薬師も選ばれたものである。今回訪れたときは参詣者もまばらで静かな雰囲気だったが、縁日には露店や植木市などが出て大いににぎわうという。(2005.02.21)


山門

不動堂

薬師霊堂

鐘楼

本堂


西武新宿線「新井薬師前」駅

各駅停車のみがとまる


山門


新東京百景の石碑
「東京都知事鈴木俊一書」とある


山門に下がる「新井薬師」の提灯

新井薬師正門入り口


不動堂
ここにも「お不動さん」が祀られる。右端のお地蔵さんは「お願い地蔵尊」で、体の具合の悪いところと同じ箇所を水で洗うと治してくれると信仰されている


本堂再建供養等
この塔は、梅照院(新井薬師)の再建に尽くした住職運樹の業績と、信徒の信仰心に応えるため、安永8年(1779)後継者の英俊が高野山延命院の引導地蔵尊を模して建立した。
碑文によれば、
「梅照院は天正14年(1586)行春が建てたことにはじまる。本尊の薬師仏は弘法大師の手刻といわれている。住職が薬師仏のお告げでつくった小児の妙薬「夢想丸」はどんな難病にも効能があった。延享元年(1744)運樹が住職に迎えられるとご利益が広まり、いっそう寺運が盛んになったが、明和元年(1764)寺院が焼失した。老僧運樹は直ちに仮仏殿を造り、さらに本堂再建の大願をたて、趣意書を示して広く喜捨を募った。しかし明和4年(1767)本堂の完成を待たず75歳で没した。あとを継いだ英俊は、10年以上の苦労の末、安永8年(1779)の春ついに本堂の落成にいたった。」と記されている。
(説明板:中野区教育委員会)

左の像は弘法大師の立像。


「薬師霊堂」と名づけられている


鐘楼堂


「プリンセス 雅」
平成5年6月9日皇太子妃雅子妃殿下ご成婚記念として新種の桜に「プリンセス・雅」と名称登録された銘木で、平成13年12月1日、敬宮愛子さまご誕生を慶祝し、ここに植樹した。
(説明板:中野通り桜祭り実行委員会)


本堂
本尊薬師如来は秘仏とされ、寅年に開帳される

本堂扁額「瑠璃殿」


犬もお参り