カメラメーカーの衰退 |
いまやディジタルカメラ全盛である。このあおりを食って写真フィルムやフィルムカメラが消えようとしている。なんでもディジタルの時代の趨勢として仕方のないことだが、悪いものが駆逐されるのと違って、写真としての優位性があるにもかかわらず、駆逐されて行くのはどうも納得がゆかない。フィルムメーカーやカメラメーカーも、そこのところは重々わかっているものの、もうからないものは捨てざるを得ない苦しい選択なのだろう。カメラやフィルムというものはメーカーだけでここまで発展してきたものではない。各メーカーはおそらく長い年月の中で、プロの写真家やユーザーの経験やノウハウを多く取り入れて、改良に改良を重ねていまのような製品群を開発してきたのだろう。このような光学技術は日本のお家芸であり、その水準は世界をリードしてきた。それが衰退し始めているのである。 さて、カメラの原理を簡単にいうと、レンズを通ってきた光がフィルム面に像をむすんでそれを感光させて記録する。フィルムには感光剤が塗ってあって光を受けるとその波長や強弱によって反応し、フィルム面に粒子を作る。フィルムを現像して化学的に処理すると、この粒子の濃淡が像として見えるのである。したがって、つぶつぶが集まって像を作るので、単位面積あたりのつぶが多く、細かいほど、できる像は鮮明に見える。実はフィルムメーカーの歴史はこの粒子を微細化する技術との戦いであったと言って良い。 ディジタルカメラでも同じで、フィルムに相当する面に撮像素子と呼ばれるものが取り付けられている。これは光を電気信号に変換するものでやはりフィルムと同じように感光素子の集まりである。これを画素という。したがってこの画素が小さく、多いほど画像は鮮明になる。そのため、各メーカーは画素数を大きくする競争に明け暮れている。つまりフィルムメーカーと同じような過程を辿っているわけである。実用上は2000万画素くらいになればフィルムに近づくといわれる。半導体の微細化は年々進んではいるが、実際には高精細フィルムでは分子レベルの細かさであるので、到底追いつけないだろう。その前に人間の目の識別能力が限界になってしまうので、ある程度の実用レベルまでで良いといわれている。 このようにディジタルカメラの心臓部は電子部品であるので、電気機器メーカーのほうが有利である。そのため、電機メーカーがディジタルカメラの主役になっているのである。カメラというよりも家電製品の位置づけである。これまでは比較的一般向けの製品が中心になっていたが、最近は最後の砦であった、一眼レフ分野まで電機メーカーが進出を始めている。一眼レフはプロを含めた写真家といわれる人たちが使う、いってみれば商売の道具である。したがってその性能・機能には非常に高いものが要求される。そのような要求に応えるべく、これまで各カメラメーカーはレンズやカメラボディーだけでなく、「いい写真を撮る」ノウハウや技術を磨いて、製品に反映させてきた。つまり写真の真髄を知り尽くしているのである。これらは一朝一夕にできるものではなく、電機メーカーがにわかに参入してもマネはできない。ドイツのカール・ツァイス製のレンズをつけたり、撮像素子の画素数を増やしただけではダメなのである。そこで、既存のカメラメーカーをそっくり買収することで解決するところが出てきて、電機メーカーのブランドにつけかえた一眼レフが出回るようになった。ソニーがコニカ・ミノルタの一眼レフ部門を買収したのである。買収されたコニカ・ミノルタ、とくにミノルタは昔から独自の技術をもって先進的なカメラやレンズを作ってきた老舗である。しかし、今後そのような技術やノウハウがどこまで大事にされるかが問題で、もうけ至上主義でつまらないカメラになって行くのが心配である。売れないからと言って、ポイと捨てるようなことがあってはならない。 プロの世界ではまだまだフィルムでなければ本当の写真は表現できないという。撮影だけでなく、自分でフィルムを現像し、印画紙に焼き付けるといった暗室での作業全体に写真家独自のノウハウが詰まっている。人間の勘と手作業が微妙な表現を可能にする職人芸の世界である。ディジタルに押されてこのような職人芸までが廃れてしまうことを惜しむ。 それにしても、やはりモチはモチやで、電気屋さんのロゴがついた一眼レフカメラはどうしても使う気にはなれない。(2007.03.26) |