すべてはズルから

今に始まったことではないが、まあとにかく官民あげて不祥事のオンパレードだ。あきれかえってしまう。社会保険庁、ゼネコン談合、コムスン、NOVA、ミートホープ・・・・

ズル、ズサン、ズボラ、ずうずうしい・・・これが今の日本の世情を表わすキーワードである。いろんな不祥事や事故、事件はだいたいこれらが根底にあるといって間違いない。

冒頭の不祥事で見ると、大体が官のほうはやるべきことを何もやってなかったという責を問われているのだが、民のほうはやってはいけないことをやった点を問われている。どちらも倫理面での落ち度を追及されているのである。

社会保険庁の場合は典型的な公務員体質のなせるわざで、どうせそんなものだろう、という一種のあきらめに似た感覚だったが、詳細を聞くにつれて末期的状況であることがわかってきた。いくらなんでもこれほどに腐りきった組織がこれまでノウノウと存続してきたというのは前例がなかろう。それでもこれは公務員の体質や制度的に遅れていたりすることから発生しているので、監督不行き届きの範疇だろう。もちろん、年金を無駄に食いつぶしてきたり、年金記録の管理不履行などの大罪は断じて許されるものではない。

一方、民のほうは不正・虚偽行為によって己の利益を追及するというもので、どちらかといえばこっちのほうが意図的で悪質度がはるかに高い。その根底にあるのはズルである。ズルをしてもバレなければ、なにをやってもいいというのである。

聖人君子以外の凡人はだれでも多かれ少なかれ、こころの底ではズルをしたいと思っている。人間の本質かもしれない。たしかにだれにも損をさせなければ個人的にちょっとしたズルをするのは許されるかもしれない。しかしそこは倫理意識がはたらくのが普通である。しかし、これが組織という集団になると怪しくなってくる。「みんなですれば怖くない」の群衆心理が公然とズルをさせるようになるのである。

官公庁の不祥事に対して「こんないい加減なことをしていたら、民間会社ではつぶれている」といういいかたをよく聞く。これは民間会社ではいい加減なことはしていない、というふうに聞こえるがとんでもない大ウソだろう。そうではなくて、「官公庁のようにボンヤリ、ぬるま湯に浸かっていたら民間会社はつぶれる」というべきだろう。しかし、これがズルを誘発する要因となる。

そもそも民間会社というのは激しい競争のなかでの利潤追求がすべてである。ボンヤリしていては競争に負けてしまう。そのためあらゆる手段をとるのが当たり前である。だからズルを承知の行為がでてくる。ズルをしてもバレなければなんでもいい、と高をくくっているのである。そのなかで、たまたまいくつかの会社がバレてやり玉にあがっているだけなのだ。これまでだってこのような例はいくらでもあった。そう考えるとこれからも同じようなことがいくらでも出てくる可能性は大いにある。いまの日本の会社はほとんどが大なり小なりズルをしているのではないかと疑いたくなってくる。

実際、経団連に所属する経営者やその会社がそのようなズルにかかわっていたなどという事実が後を絶たない。経団連というのは日本の経済界をリードする重要な役割を担っている。むしろ不祥事を起こさないように指導すべき立場にもかかわらず、いったいなにをやっているのか。功成り名を遂げたジイさんたちの仲良しクラブでは困る。

集団的ズルの動機にもいくつかのタイプがある。
程度の軽いものからいうと、人手が足りないとか予算がないなどの理由で単純に手を抜く行為である。これはズサン(杜撰)と言われ、やる気がないのでズボラとも言われる。結果的に人命にかかわる事故を起こしたりする場合がある。

多いのがコスト削減という名目である。つまり、まともにやっていたら儲からない、というのである。そこでコストのかかる作業を省いてしまう、ニセモノや不良品を紛れ込ませる、期限切れの食品のラベルを偽装する、賃金を払わない等々の不正をはたらく。コスト削減などというものは企業努力の最たるものである。その努力をせずにズルいことをするのだ。こういうのはチェックがズサンなどと言って片づけられるが、多くは結果的に実害を伴うためにかなり悪質だし、道義的責任を問われる立派な犯罪である。

そして、もっとも悪質なものが積極的に金銭をだましとろうとするもので、書類の偽造や架空の請求書などによって詐欺行為を行う。介護保険や健康保険の水増し請求や不正請求などが典型例である。ここまでになると、もはやズルなどというかわいいものではなく、重罪である。ましてや組織としておおっぴらにやっているわけで、ずうずうしいにもほどがある。

いずれにしてもズルしたいというのは、人間の本質だろう。他人より優位に立ちたいという生物的本能からくるもので、すべての悪事はここから発生する。法律などはまさにこのズルをさせないようにするためにあるのだ。しかしその裏をかいてズルはなくならない。人類の歴史はズルの歴史でもある。このさきも決して変わることはないだろう。

したがって、個人的な範囲でとどまるものはともかく、社会的被害の大きい集団的ズルに対しては厳罰をもって臨むべきである。基本的にはその不正によって得た利益をすべて没収し、社会から退場させるくらいの罰を与えてもいいだろう。「ズルは損だ」という図式を社会に徹底的に根付かせるべきである。いまほど社会全体の倫理意識が薄らいでいるときもないのだ。(2007.07.06)