一病息災 |
最近、昔の仲間との集まりが多い。一線を退いてそれぞれに自分の時間がもてるようになったこともある。現役時代の集まりとは違って仕事から離れた多彩な話題に花が咲くが、なかでも必ずと言っていいほど出るのが病気の話である。普通は食事をしながら病気の話などしないものだが、どういうわけか、こういう集まりではだれからともなく始まるのである。 そのほとんどが手術とか入院といった自分の経験談を語るのだが、大体が病気から無事に生還したという武勇伝である。語り手はいかにしてその病気を克服し、快癒したかの経緯をとくとくと披露し、最後に皆さんもそうならないようにと勧告して締めくくる。聞き手は、なるほどと感心しながらも自分がそうでなくて良かったと思うと同時に、そうならないように、またそうなったときのことに思いを馳せる。 人間だれしも病気を恐れる。だからその経験者の話は非常に興味深い。ましてやそれを克服した話は貴重である。そのためついつい話に引き込まれるのである。おまけに同じ経験をした者がいたりすると、さらに話は盛り上がる。当の本人は、いまこうやってみんなの前で武勇伝を話せることに無上のしあわせを感じているのだろう。 むかしから無病息災というのが生きていく上での理想である。しかし、なかなか無病というわけにはいかない。人間を長くやっていればどうしてもあちこち傷んでくる。そしてひとつやふたつの持病を抱えることになる。多くはその治療のために病院に通い、医者の指示に従って、薬を飲み、食事に配慮し、運動を心がけるなど、規則正しい生活をするようになる。もちろん、なかには言いつけを守らない不心得者もあるだろうが、一般にはかかりつけの医者のいうことには従順であることが多い。その結果、ひとつくらいの病を持っていたほうがむしろ息災にできるということにもなる。一病息災などと言われる所以である。 こういう人たちが、寄るとかならず病気談義になるのである。さしあたり持病のない者は話にはいれず、いささか肩身の狭い思いをしたりする。とはいえ、そうやって病気と共存していくことはむしろ良いことである。最近はガン患者であることを公表してガンとともに生きていこうとする人が多くなった。そのほうが、変に隠すよりも本人はもちろん周りの人にとっても、ずっと気持がラクになる。さらに気持が前向きになることで希望や勇気が湧いてくる。 いくら気をつけていても病気になるときはなるのである。すぐに退治できればそれにこしたことはないが、長く付き合わなければならないときは、ジタバタせずに一病(二病でも三病でも良いが)息災を心がけたほうが人生も楽しくなるだろう。(2007.07.07) |