大統領選から見えたもの |
アメリカの次期大統領候補を決める予備選挙がたけなわである。共和党は候補者が決まったが、一方の民主党のそれは連日のようにオバマ、クリントン両候補の戦いが克明に報道されている。歴史上初の黒人大統領か、はたまた初の女性大統領かという話題性もあって注目度は高い。しかし、かつては強力な候補者がでて圧倒的な支持で早々と指名されていたのが、今回はいつもよりずっと予備選が長引いている。長引いているのは大接戦になっているためだが、これはこのふたりの候補にはどちらも圧倒的な決め手に欠けるからだろう。そのため、お互いに敵失を狙っての攻防が続いている。あからさまな激しい非難中傷合戦などはわれわれの目には極めて異様に映るが、アメリカの選挙民はどう見ているのだろう。おそらくはどちらになっても不満が残るのではないか。アメリカも人材がいなくなったのだろうか。 一足先に韓国では新しい大統領が誕生した。こちらは圧倒的な支持のもと、すんなり決まった。これまでとは方向性も大きく変わると見られるが、これは韓国民の民意の表われである。アメリカもそうだが韓国でも大統領選挙戦における国民の熱気はすごい。自分たちで直接指導者を選ぶというのだから当然だろう。だから選ばれた大統領は国民に対して重い責任をもたねばならないが、国民も選んだ責任を感じるはずだ。大統領がヘマをすればその責めは選んだ国民にもあるのだ。 われわれ日本人からすれば、このような大統領選はつくづくうらやましい。自分たちの指導者を直接決めるというのは民主主義の根幹であるはずだが、日本では地方自治体など行政の長はそうなっているものの、もっとも大事な首相は国民の民意を直接反映しない形で決められてしまう。これでは国民に対する切実な責任感などは希薄だろうし、国民のほうも直接選んだのではないから失政に対しても直接的な糾弾ができず、傍観せざるを得ない。代わってマスコミあたりが攻撃するが、必ずしも民意を反映したものとは限らない。まさに隔靴掻痒の態である。 いま、この国の政治はうまくいっていない。その理由のひとつはこのように首相が国民から直接の信任を受けないで政(まつりごと)にあたるシステムにあるように思う。しかもどんな失政をやった場合でも首相みずからが辞めるという意思表示をしなければ辞めさせられないというおかしなことになっているのである。戦前はともかく、民主主義の時代になってからもう60年以上もこんな制度が続いている。もちろんこれまで世論の圧力によって失政の責任をとって辞めた首相はたくさんいる。しかしそのほとんどは責任をとるというよりもとらされたという、むしろ被害者意識をもっていやいやながら辞める決心をしたように見える。非常に潔くない。 本来は辞めさせるかどうかを決めるのはのは主権者たる国民である。そろそろ、国民が直接信任を与える首相公選や国民投票など新しいシステムを真剣に検討する時期がきているのではないか。憲法を変えるなどのハードルはあるが必要なものは変えれば良い。国民からの信任を受ければ常に国民を意識する。いい加減なことをやっていればただちにリコールだが、ちゃんとやっていれば国民は強い味方である。 そのかわり、国民ひとりひとりも自覚と責任をもって賢くならなければならない。日本人は江戸幕府以来の強力な中央集権社会で、お上の言うことに従順であることに馴らされてきた。お上の言う通りにやっていればひとまず平穏で、逆らうことを是としない風潮があった。その結果、過った方向に突き進んでひどい目にあった。戦後の日本は自由にものを言える社会になったが、ものを言っても政治に影響するようなシステムにはなっていない。そのため、結局は政治に無関心となり、お上のいいなりはそのままである。さらに、唯一国政に参加できる国会議員選挙でさえ、自分たちが選出した議員たちがちゃんと仕事しているかどうかを把握できないでいる。要するに国民が賢くなれないシステムになっているのである。というよりも政治的に国民はバカでいいとしているのである。したがって、バカが選んだ議員は間違いなくバカである。そんな議員を集めた国会などロクでもないことは、きょうこのごろの国会の状態をみればわかる。 世界はどんどん変わっっている。旧態依然としたシステムでは新しいことはなにもできない。昨今の株安や日本売りといったことは、世界が日本では改革が進んでいないと見ているからといわれるが、たしかにそうだろうと思う。目先の人気取りやこて先の改革ではもはやどうにもならない。根本的な大改革が必要である。強力なリーダーシップをもった指導者を国民が直接選べる制度の確立がその第一歩だろうと思う。(2008.03.10) |