宇宙人のお遊び |
やっぱり投げ出したか! ここ2ヵ月くらいの間に自らをどんどん窮地に追いこんで行く姿を見て、遠からず行き詰まるな、と思っていたがとうとう現実になってしまった。 これで4代の首相が毎年続けて代わったことになる。この国はいったいどうなっているのだろう。しかも4人のうち3人は政権を投げ出し、放りだしたという無責任きわまりないことをやったのである。それがあたりまえのように続くというのはどう考えても異常事態である。とくに悲願の政権交代を成し遂げ、国民の期待を一身に背負って華々しいスタートを切ったはずの政権が投げ出しによって崩壊するなどとはわずか9か月前にはだれも考えなかったことだろう。 だが、その予兆はあった。しかもそれは新政権発足後3ヵ月頃にはすでに現われていた。前稿の「思いのほか・・・しかし、そしてもはや・・・」では連立する政党とのゴタゴタと首相のリーダーシップの欠如を述べた。そしてこの政権が参議院選までもたない、という声があることも述べた。それがまったく当たってしまった。しかしこれは当たったというよりも、そうなるべくしてなった状況なのであって、それだけいい加減な首相と政権だったことを物語っているにすぎない。そしてその崩壊劇も内実は「政治とカネ」の疑惑を持たれる総理と党幹事長が同時に辞めることで、この9ヶ月間の失政をチャラにしようとするものだ。間近に迫った参議院選挙を意識したものであることは見え見えである。 たしかにその後の支持率はV字回復している。これはなによりも、行く先々でその場しのぎの発言で自分の首を絞め続けてきた総理の行動に国民がウンザリしていたうえに、なんとなく重くのしかかる二重権力構造の元凶といわれる剛腕幹事長の存在が取り払われたことが大きく効いているのだろう。それに加えて沖縄の基地問題のこじれで、ゆがんだ連立の一角が崩れるというケガの功名もある。 そしてまた新しい総理が立って新しい政権がスタートした。新総理はその出自が、これまで何十年も続いた政治家系ではなく、ごく一般的な家庭の出であることが売りのようで、例によってメディアは「庶民宰相」などと持ち上げている。しかしこれとても手放しで歓迎という具合にゆくものかどうか、様子を見てみなければわからない。一般家庭の庶民出ではあるが、政治路線は市民運動系で、一時的にせよ、非武装中立などというバカなことを大真面目で標榜していた政党に加担したりしていた過去もあり、楽観は禁物である。 それでも所信表明ではかなり現実的な目線で、ことばを選びながらの演説だった。もともと論客として鳴らした人だが、あまりに軽いことばで世間を惑わし続けた前首相の轍を踏まないようにしたのだろう。いまや国民は耳障りのいいことばは”まゆつば”であることを学習してしまった。それを見越してか、新総理は「最小不幸社会の実現」ということばを出した。たしかに世の中は不幸なことのほうが多い。国民個人が自分でこれを乗り越えるのは難しいことも多い。その困難を100%ではないが、できるだけ最小になるようにするのが政府や政治の役目ということだ。これはかなりわかりやすい。無責任に最大幸福社会などのリップサービスをするよりいくらかましである。 新内閣の顔ぶれはほとんどが前政権を引きついでいるので大枠は変わらないだろうという見方が多いが、かなめの官房長官や党幹事長は入れ替わり、前政権の路線からは大きく方向を変えた。さらにもう一方の連立政党が、郵政改革見直し法案のこじれから事実上無力になったことで内閣の安定感を増したように見える。しかし回復した支持率もご祝儀相場だろうから、目前の参議院選挙で本当に信任を得られるのか、今がまさに正念場だろう。 それにしても、上海万博のジャパンデーに出かけて行って「上海は妻の生まれたところなので・・・」などとシャアシャアとのたまう前首相のノーテンキ、厚顔無恥ぶりにあきれ返っているのは私だけだろうか?この9か月間は宇宙人のお遊びだったのか?(2010.06.13) |