公開講座のナゾ


東京大学では一般人向けに公開講座を50年以上にわたって続けている。
私もここ3年ばかり聴講しているが、それなりに面白い。

あらかじめ決められたテーマに沿って、東大の第一線で活躍する先生たちがいろいろな専門分野の立場から繰り出す多彩な話が聴けるのがミソだ。

毎年春と秋の2回ずつ開催されるが、1000人収容できる会場の安田講堂は毎回満席になるくらいに人気がある。

ところが、驚くのは参加者のうち、おそらく90%以上がいわゆる60代以上の高齢者の部類に属する人たちと思われることである。かく申す私もその部類だが、とにかく1000人近い老人(老女も多数)が安田講堂を埋め尽くすのである。なかには後期高齢者とおぼしき姿も散見する。空前の老人大集会なのだ。こんな光景はめったに見られないだろう。向学心に燃える老人パワーをこれだけ動員できるというのも東大の実力なのか。

それはそれで良しとしても、一方でこのような光景を喜んでいいのかどうか、判断に迷うところだ。
あまりにも年齢層が偏っていて若い世代の姿がほとんどいないからである。東大生や高校生は無料で聴講できるそうだが、あまり見かけない。公開講座というのは、もう現役を退いた人たちのためにあるのだろうか?たしかにその面もあるかもしれないが現役世代がいたっておかしくはないだろう。

そんななかで、「あ、やっぱり」と思うことがある。それは、講師の先生方のなかには、「ほんとはもっと若い人たちに聴いてもらいたいのに。。。」という本音がチラッと見えることである。たしかにそうだろう。
東大の第一線の先生にしてみれば、最新の技術やら研究を披露し、未来への夢を語るには若い人でなければ張り合いがないのだ。だから会場を見回したとたん、「オヤオヤ」ということもあるに違いない。

しかし、なぜこんなに老人ばかりで若い人たちがこないのか。謎である。

聴講するには4000円の受講料を事前に支払って申し込むだけで、ほかにはなんの制約もない。受講料も手ごろだし簡単である。定員(約1000人)になったらどうなるのかわからないが、とにかくそれまでは詰め込むのだろう。

講義内容は広く一般社会人向けであって、とくに老人向けということはない。もっとも、土曜日の午後ということもあって、老人はヒマだが、働き盛りの人たちにとってはせっかくの週末をつぶすのは嫌ということはあるだろう。

講議数は、一講義50分で1日3講議、全期間5日で15講議である。
ただ50分という時間制限ではいささか物足りない面もある。いきおい、さわりの部分で終わりというケースも少なくない。もっとも、教養講座としての位置づけであれば、老人にはこれくらいがいいのだろう。トイレの関係もあるし、集中力も限界となるころだから。

当然、講義は一方通行で質疑の時間などはないからただ聴いていればいいのだ。だから、居眠りしたりしても咎められることはない。実際イビキが聞こえることもある。

こうして見ると、たしかに老人に向いているが、だから若い世代が来ないという理由にはなりにくい。謎のままである。

どうやら、長年続いているうちに若い世代には魅力がなく、いつのまにか老人向けというイメージが定着したのかもしれない。そうだとすれば、主催者側の怠慢だろう。天下の東大が老人のヒマつぶしやデイサービス化しているのはいかにももったいない。

来年の春からは大幅な刷新を予定しているとのことだが、ジイサン・バアサンたちの枠を減らしても若者や働き盛りの人たちを集めて、講師の先生方をガッカリさせないようにしてほしいものだ。
(2011.09.14)