御代替わりによって、元号が「令和」と改められた。これで二度目の改元という幸運に浴することになったが、今回の御代替わりは今上陛下が生前退位されるということから実現したものである。天皇の生前退位は直近では202年前の1817年(文化15年)に光格天皇の例があるというので調べてみると、このときには改元はされず、次の「文政」は翌年に制定されたとある。当時は天皇と元号は必ずしも関連していなかったようで、天皇と元号を一代一元号として厳密に関連させるようになったのは明治以降のことである。さらに天皇は終身在位であり、皇室典範では生前退位の規定はなかった。それを、今上陛下の生前退位を認める特例法を制定して今回の御代替わりが行われたのである。
この特例法により、天皇は上皇、皇后は上皇后となられ、一切の公務から手を引かれることになった。
そしてきょう、令和元年5月1日から日本は新しい時代にはいる。新天皇即位に伴う諸儀式が現在行われており、一部の様子が報道されている。このような情景を見るにつけ、日本という国の長い歴史と伝統を思い起こす。そしてこれらが連綿と引き継がれてゆくさまを国民が共有し、日本国民であることの喜びと誇りを再認識する絶好の機会なのだ。この一連の行事を寿ぐために10連休という異例の措置がとられた。もともとのゴールデンウィークを利用してのものだが、このおかげで日本中は祝賀気分に沸いている。
前回は昭和天皇崩御に伴う改元であったために、日本中が喪に服して新天皇の即位にもお祝い気分はなかった。なんとも重苦しい平成のスタートだったことを覚えている。しかし、明仁天皇は即位からすぐに象徴天皇としてのあるべき姿を探す歩みを始められた。爾来30年、天皇はひとつの解に到達された。それは、常に国民を思い、国民に寄り添った行動をすることだった。とくに先の戦争での犠牲者への慰霊や災害に遭った国民へのお見舞いなど、そのたびに日本中を皇后さまとともに訪問し激励された。訪問地では常に親しく声をかけ、ときには避難所の被災者の前で膝をついて目線を合わせて話された。その姿に国民は共感し象徴天皇というものを見出し受け入れた。このスタイルは新天皇・皇后両陛下などほかの皇族方にも伝わり、天皇・皇族と国民との距離が一気に縮まったのが平成時代だった。
昼前に新天皇陛下の即位後初めての「おことば」があった。
「自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、寄り添いながら、憲法にのっとり、象徴としての責務を果たす」
と述べられた。先帝によって敷かれた道を踏襲するということだろう。
因みに新天皇陛下は我々世代にとって初めての年下天皇である。そのため、ご誕生からこれまでのご様子は逐一存じ上げているだけに親しみが深い。
今日の東京は一連の儀式が行われている間は、前日の雨が上がって晴れ間ものぞく天気となった。新しい令和時代の始まりを祝福するかのようだった。
(令和元年5月1日)
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