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大雄山最乗寺(だいゆうざんさいじょうじ)は開創以来600年余の歴史をもつ曹洞宗の専門修行道場である。本尊は釈迦牟尼仏で、脇侍として普賢、文殊の両菩薩を奉安する。曹洞宗での格式は永平寺、総持寺に次ぐ高さであり、この三寺をもって曹洞宗三大名刹とされる。
開山「了庵慧明禅師(りょうあんえみょうぜんじ)」は相模国大住郡糟谷庄(おおすみごおりかすやのしょう;現伊勢原市)の生まれで、長じて地頭職にあったが、戦国乱世の虚しさから鎌倉の不聞禅師のもとで出家し、さらに能登総持寺の峨山禅師、丹波永沢寺通幻禅師の教えを受け、その後永沢寺をはじめ多くの寺に住持し、大本山総持寺にも住持した。
50歳半ばにして相模国に帰り、曽我の里(現小田原市)に庵を結んだ。そんなある日、一羽の大鷲が、了庵禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に飛び、大松(袈裟掛けの松)の枝に掛けるという出来事があった。その啓示によりこの山中に大寺を建立し、応永元年(1394)に大雄山最乗寺と号するに至った。(大雄山最乗寺ホームページから)
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この寺には昔、箱根への家族旅行の途中、車で来たことがあるが、今回は鉄道で来てみた。小田原駅から伊豆箱根鉄道の大雄山線に乗って21分で終点大雄山駅に着く。単線のまことにローカルな鉄道だが、沿線は意外にも新興住宅地が広がっていて、ミニ開発風の小住宅がずっと並んで線路際まで迫っている。
大雄山駅から、同じ伊豆箱根鉄道のバスが参道入り口の「道了尊」まで運んでくれる。町をはずれると仁王門があって、茶色がかった門が建っている。本来はここからが参道で、3Km先の道了尊までは急カーブ、急勾配の本物の山道となる。約10分でみやげ物屋などがある参道入り口の「道了尊」に着く。このさきは、大杉の古木が林立する参道が続いているが、とにかく見渡す限り杉ばかりで、春はさぞかし花粉がものすごいだろう。
しかし、このような人里はなれた山中にあるのはいかにも曹洞宗の修業道場らしい。あじさいや紅葉が美しいと聞いているが、さすがに真夏の暑い日にわざわざ訪れる人は少なく、ゆっくりと参詣できた。
(2005.08.05)
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伊豆箱根鉄道大雄山線
小田原-大雄山間9.6Kmで全線単線。1925年大雄山最乗寺への参詣鉄道として開業。その後1941年に駿豆鉄道に合併となり、1957年伊豆箱根鉄道と改称した。大雄山線のほかに駿豆鉄道以来の、三島と修善寺をむすぶ駿豆線(19.8Km)がある。 |
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大雄山駅 |
伊豆箱根鉄道 5000系車両
3両編成で小田原-大雄山間の10駅を21分で結ぶ |
ここは足柄山の金太郎のふるさとで、8月6日、7日は金太郎まつりがあるらしいが、1日違いで見損なった。駅の横にある、熊にまたがる金太郎の像 |
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参道
見渡す限りの杉の森 |
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山門
参道から境内にはいるには、ふたつの門がある。手前にあるのが「瑠璃門」で、いわば通用門。正門は奥の「碧落門」である。 |
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瑠璃門(るりもん)
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碧落門(へきらくもん)
本堂の正面に建つ、当山の正門 |
境内
本堂を中心に左側には僧堂、鐘鼓楼、開山堂が、右には光明亭(赤い屋根)、書院が連なる |
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僧堂(選仏場)
修行僧が日夜座禅修行に励むところ |
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本堂(護国殿)
本尊釈迦牟尼仏、脇侍の普賢菩薩、文殊菩薩を祀る |
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開山堂(金剛寿院)
開祖了庵慧明禅師像、歴代住侍の霊牌を祀る |
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多宝塔
文久3年(1863)建立。
多宝如来を祀る。
多宝如来は、法華経にちなむ如来で、「過去の東方の無限のかなたにある宝浄国」というところの如来である。
釈迦が法華経を説法中に突然大地から七宝で飾られた宝塔が出現した。なかから多宝如来が現れて釈迦の説法を賞賛し、宝塔のなかに釈迦を招きいれ、座を半分譲って二人で並んで座った。この稀有の光景を見て人々は喜び賛嘆したという。
この話にちなんで「釈迦・多宝二仏併座像」といわれる仏像が作られるようになったといわれる。(PHP文庫「仏像がわかる本」から)
暗くて見にくいが、この塔内は「二仏併座像」ではなく、多宝如来の単独像が祀られていると思われる。 |
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鐘楼
四隅の柱の彫刻がみごと
僧が合掌し黙祷して精神を集中させる |
午前11時、いままさに鐘を撞かんとするところ
この鐘の音を合図に昼の行が始まる |
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寺紋
天狗の葉団扇をデザインしたと思われる
本堂の鬼瓦 |
御真殿の鬼瓦 |
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結界門(けっかいもん)
これより先は当山の守護「道了大薩埵(どうりょうだいさった)」の浄域とされる。
門の両脇には大天狗、小天狗がいて護りを固める。 |
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道了尊者は、修験道のすべてを会得し「行者相模房道了尊者(ぎょうじゃさがみぼうどうりょうそんじゃ)」として世に知られていたが、大雄山開創にあたり、了庵禅師のもとに参じ、土木の業に従事して約1年にしてこの大事業を完遂したが、その力量は五百人力で、幾多の霊験を現わしたと伝えられる。
応永18年(1412)了庵禅師の死後、「以後山中にあって大雄山を護り、多くの人々を利済する」と山中に身を隠した。そのとき道了尊者は姿を変え、火焔を背負い、白孤の背に立って天地鳴動のなか去ったといわれる。
それ以後、諸願成就の「道了大薩埵(どうりょうだいさった)」と称されて絶大な尊崇を集め、十一面観音の化身であるとの信仰をいよいよ深くしている。(大雄山最乗寺ホームページから) |
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最乗寺の守護である「道了大薩埵」は修験者であるところから、超人的な能力をもって多くの霊験を現わしたと考えられる。天狗というのも、もともとが修験者が姿を変えたものといわれる。当山に天狗が祀られているのは修験行者の力を借りて開山し、その後の守護として崇められているからと考えられる。
「道了大薩埵」が十一面観音の化身とされるのは仏教世界と修験道世界の融合を図るものかもしれない。
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大天狗(上)と小天狗(左)
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「道了大薩埵」に化身したとされる
十一面観音像 |
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結界門をはいるとすぐ右手に77段の御真殿への階段がある
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御真殿(妙覚宝殿)
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当山の守護「道了大薩埵」を本尊に大天狗、小天狗が脇侍として祀られている。
朝晩のほか日中にも祈祷と修行が行われるが、この日も午前11時の梵鐘の音を合図に行われていた。
しめなわが張られているのは神仏習合をあらわす。 |
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「道了大薩埵」の扁額
手前の「ろうそくたて」も天狗の葉団扇を
かたどっている |
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奉納された天狗の高下駄と葉団扇
・・・すべて鉄製 |
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小田原城址公園
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小田原城天守閣
小田原城祉公園の最北端にあり、新幹線の窓から一瞬見える
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小田原城のお濠と隅櫓(すみやぐら)、隅櫓橋(左)、学(まなび)橋
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大賀蓮(おおがはす)の群生 |
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東京大学の大賀一郎博士が弥生時代の種子から発芽させたことで有名。博士の名にちなんで大賀蓮と名づけられた。 |
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