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天音山道成寺(てんのんさんどうじょうじ)は大宝元年(701年)文武(もんぶ)天皇勅願寺として、紀大臣道成卿が建立した寺で、和歌山県下に現存するものでは最古の寺である。開基は義渕僧正(ぎえんそうじょう)で、当初は法相宗(ほっそうしゅう)であったが、江戸時代に入って天台宗となり現在に至る。
能楽、歌舞伎などの芸能にとりあげられている安珍・清姫の物語の舞台になったお寺で、その言い伝えが「道成寺縁起絵巻」としていまも残る。
2005年10月8日、あいにくの小雨のなか道成寺を訪れた。有名なお寺なので大寺院を想像していたが、意外にも堂宇はそう多くはない。ほかの寺と違うのは鐘楼がないことで、実はその鐘楼こそがこの道成寺のキーワードであった。「道成寺縁起絵巻」では最後のクライマックスに「鐘」が重要な役割を果たすのである。そういえば、この寺の所在地も和歌山県日高郡川辺町鐘巻(かねまき)とあって、そのことを物語る。
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仁王門(重要文化財)。もともとは文明13年(1481)に建立され、この門は元禄7年(1694)に再建されたものだが、近年、朱が塗りなおされたということで新築同様に美しい。 |
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本堂(重要文化財)
正平12年(1357)に再建され、現在までの約600年の間に3度の修理が行われた。直近では昭和62年(1987)から3年かけて解体修理をしたが、そのときに2体の本尊千手観音のうちの1体の胎内から天平時代(8世紀前半)に造られた千手観音像が発見された。 |
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この本堂は南向きの正面のほかに北向きにもそれぞれ千手観音像が本尊として安置されていたので、南面と北面に軒の張り出しをつけてあり、前後面とも正面とする珍しい建物とされる。そのため「両正面裏無し堂」とも呼ばれている。(写真は南正面)
北面の本尊は「北向観音」と呼ばれ、33年に一度、33日間だけ公開される秘仏となっている。胎内仏が発見されたのはこの北向観音像である。 |
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三重塔(県指定重要文化財)
宝暦12年(1762)創建当初にあった場所に再建された。堂内に大日如来像を安置する。和歌山県下で唯一の三重塔。 |
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「鐘巻之跡(かねまきのあと)」の石碑
三重塔の足元に立つ。この場所に「道成寺縁起絵巻」の「鐘巻」の鐘撞堂があったと伝えられる。 |
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大宝殿(宝物館)
昭和53年建立。国宝千手観音をはじめとする20数体の仏像を安置する。 |
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十王堂
閻魔大王など十王像を安置する。明治時代の建物 |
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護摩堂
弘化4年(1847)建立
護摩堂とは修験者が護摩を焚いて修行するところ |
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ひろびろとした境内 三重塔の前に有名な枝垂桜の木が見える。 |
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「道成寺縁起絵巻」あらすじ
寺の創建から230年経った、延長6年の物語。参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げこんだ安珍を、鐘に巻きついて鐘もろとも焼き殺すという「安珍清姫の物語」を絵巻にしたもの。またこの悲恋物語は「法華験記」(11世紀)に記され、「道成寺もの」として能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎でもよく知られている。(道成寺HPから)
このように、鐘撞堂はなくなってしまったが、正平14年(1359)に二代目の梵鐘が鋳造された。しかし清姫の恨みのせいか音が悪く、また近隣に疫病が流行ったため埋められてしまった。のちに豊臣秀吉の兵によって掘り出されて京都妙満寺に献納されたがこれは現存している。その後道成寺に鐘楼は建てられず、その跡地だけが残っている。
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「道成寺縁起絵巻」(重要文化財)
僧を焼き殺す大蛇
大蛇に姿を変えた女は、道成寺の鐘に巻きつき、中に隠れた僧もろとも炎で焼き尽くす。
(講談社:「五木寛之の百寺巡礼」から)
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