第三巡  平成16年9月9日
第十二番 無量山伝通院寿経寺(むりょうさんでんづういんじゅきょうじ)
経路 奥沢(目黒線、南北線)→後楽園
南北線後楽園駅の小石川口を出て、「えんま通り」(びっくりする名前だが、近くにある「こんにゃくえんま」に因んでつけられたらしい)をしばらく進み、左に折れて善光寺通りにはいる。文字通り、善光寺というお寺が現れる。その横をそのまま行くが、うねうねとした急な上り坂となる。まわりはこぎれいな住宅が並び、ところどころにお寺がある。小石川は東京でも古い山の手の住宅地。雰囲気のいい町だ。やがて、右に淑徳学園という学校が現れて、その隣に目指す「伝通院」がある。門をはいると両側に桜並木があり、正面に本堂がある。ここの本尊は「阿弥陀如来」で、札所本尊として「無量聖観世音菩薩」が祀られている。帰りは、正面の広い通りを直進し、春日通りから後楽園に戻って飯田橋経由で、護国寺駅に向かう。

第十三番 神齢山悉地院大本山護国寺
(しんれいさんしっちいんだいほんざんごこくじ)
経路 後楽園(南北線)→飯田橋(有楽町線)→護国寺
有楽町線護国寺駅出口を出ると仁王門の前。ひろびろとした参道を本堂に向かう。途中緑に囲まれた階段を上ると「不老門」という門が印象的。ここをくぐると、正面に本堂がある。本尊は「如意輪観世音菩薩」。本堂にあがって、お参り。この本堂(観音堂)は元禄期(1697)に建立されたものとのことで、さすがに貫禄がある。境内にはいろいろな建造物が建っているが、鳩山一郎夫妻の像などもあった。地元(音羽)ゆかりの人だからだろうか。

第十四番 神霊山金乗院(しんれいさんこんじょういん)
経路 雑司が谷(都電荒川線)→学習院下
護国寺からつぎの札所は交通の便がよくないので、都電の雑司が谷駅まで歩くことにした。途中、雑司が谷の墓地を突っ切って約20分。墓地内から遠望するサンシャインビルはまわりの墓石と妙にマッチする。雑司が谷で都電に乗って「学習院下」で降り、歩くこと約5分で金乗院に着く。本尊は「聖観世音菩薩」。またここには「目白不動明王」が安置されており、江戸五色不動(青、黄、赤、白、黒)のひとつ。200年前に建てられたという山門が残る。再び、学習院下にもどり、都電で早稲田に向かう。

第十五番 光松山放生寺(こうしょうさんほうしょうじ)
経路 学習院下(都電荒川線)→早稲田
早稲田駅から早稲田大学に向かう。このあたりはホテルやマンションが建ち並んで昔とは大きく変わってしまった。5分ほどで正門と大隈講堂の前に出る。ここは昔とはあまり変わっていない。しかし、構内と正門の斜め前では大規模なキャンパス建替えが行われていて、近いうちにがらっと変わるだろう。大隈候の銅像はそのままだったが、こころなしか小さく見えた。大学周辺も妙にこぎれいな店が増えて、かつてのワセダの雰囲気は失せた。やがて、馬場下交差点に出る。ここには虫封じの「穴八幡神社」があって、その隣に目指す放生寺がある。もともとは一緒だったらしく、放生寺も「虫封霊場」とある。階段をあがるとすぐに本堂がある。小高いところで見晴らしがよく、気持ちがいい。本尊は、「聖観世音菩薩」。馬場下にもどって、天丼を食べて次に向かう。

第十六番 医光山長寿院安養寺(いこうさんちょうじゅいんあんようじ)
経路 早稲田(東西線)→神楽坂
神楽坂駅の出口の前は早稲田通り。だらだらと坂を下ると神楽坂上の交差点にでる。その角に目指す安養寺はある。小さなお寺である。本堂の重い扉を開けてあがりこんで、本尊「十一面観世音菩薩」にお参り。
寺をでると平日なのに神楽坂はにぎわっていた。このあたりは古い東京がまだ息づいているというが、まったくそのとおりで、なにか違う雰囲気がある。下町っぽいのだがそれともちょっと違う。かつての花街からくる雰囲気だろうか。神楽坂をそのまま下って坂下(飯田橋)から地下鉄にはいって次に向かう。

第十八番 金鶏山真成院(きんけいざんしんじょういん)
経路 飯田橋(南北線)→四谷
四谷駅から新宿通りを新宿方面に進み、文化放送に行く道にはいると一変して静かな住宅地となる。道幅が狭く、かつ迷路のようになっているのはいまも変わらない。途中で道を間違えて迷ってしまった。やっと見つけた「四谷霊廟」の看板にしたがってゆくと急に台地から低地となる。その台地の突端に真城院があった。道はそのまま観音坂という急坂となって低地に続く。お寺は大きな鉄筋コンクリート建てで、本尊「潮干(しおひ)十一面観世音菩薩」はその3階の観音堂に安置されている。鉄の扉を開けて中でお参りした。「潮干」とは、昔この辺は海岸で潮の干満によって観音さまの台石が濡れたということから名づけられたという。こんなところが海岸だったとは驚きだ。
四谷駅への帰り道、住宅地のなかに建つ、かつて通った予備校がまだ健在なのを確認した。