大谿山豪徳寺

大谿山豪徳寺は世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために建立したと伝えられる弘徳院を前身とする。天正12年(1584)中興開山「門菴宗関(もんなんそうかん)」(高輪泉岳寺の開山)のとき、臨済宗から曹洞宗に改宗した。
寛永10年(1633)彦根藩世田谷領の成立後、井伊家の菩提寺に取り立てられ、藩主直孝の法号により豪徳寺と改称した。直孝の娘、掃雲院は多くの堂舎を建立、寄進し、豪徳寺を井伊家の菩提寺にふさわしい寺観に改めた。仏殿とその三世仏(さんぜぶつ)像、達磨・大権修理像および石灯籠2基、梵鐘が当時のままに現在に伝えられている。
境内には直孝をはじめ、井伊家代々の墓所があり、桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓は都史跡に指定されている。(豪徳寺説明板-世田谷区教育委員会)

また、豪徳寺と井伊家を結びつけたといわれる「招福猫児(まねぎねこ)」を祀る「招福観音堂」があり、いわゆる「招き猫」の発祥としても有名である。

豪徳寺の最寄り駅は実は東急世田谷線の「宮の坂」である。小田急線の豪徳寺駅からは徒歩で15分くらいかかる。宮の坂駅から5分ほど歩くと左側に立派な門柱が建っていて、正面の総門に続く松並木の参道がある。境内には仏殿、本堂、鐘楼、庫裏などのほか、現在新たに三重塔を建立中である。(2005.02.05)

参道

総門
鐘楼
仏殿
本堂

境内

招福観音堂

井伊家墓所



小田急「豪徳寺駅」
ここから歩くと豪徳寺まで15分程度の道のり。
複々線工事で駅舎は新しくなったが未完成。



東急世田谷線「宮の坂駅」

ここが最寄り駅。参道入り口まで徒歩5分


豪徳寺参道
よく手入れされた松並木。正面に総門が建つ。


総門 

碧雲関という扁額がかかる


鐘楼
梵鐘は延宝7年(1679)に完成以来のもので、世田谷区指定有形文化財(工芸品)


仏殿
井伊直孝の娘、掃雲院が藩主直澄を弔うために建立。延宝5年(1677)に完成した。
仏殿内には5躯の仏像が安置されている。
・木造三世仏(さんぜぶつ)坐像:弥勒菩薩、釈迦如来、阿弥陀如来
・木造大権修理菩薩(だいげんしゅりぼさつ)倚(い)像
・木造達磨大師坐像


仏殿扁額
「さんぜぶつ」と書いてある


仏殿前の左右の2基の石燈籠は仏殿と同じく掃雲院が奉納したもの


本堂
コンクリート造りの昭和の建築物


本堂内部
立派な天蓋がさがる


境内


招福観音堂
門をはいった正面が観音堂。招福猫児(まねぎねこ)を祀る。
由来はこちら


観音堂の内部には招き猫が安置されている
ガラスが反射して残念ながら本尊は写らなかった


招き猫のサンプル 総受付で販売している
右端の2号ネコは身の丈6センチほどで500円也
このほかに1センチくらいの”豆”ネコがあって300円也


奉納された招き猫の群れ
あまりに多くて棚にのりきれず風雨にさらされている


井伊直弼墓所(都史跡)
井伊直弼(1815〜60)は彦根藩主直中の子で、兄を継いで藩主となり、嘉永3年(1850)大老となる。勅許を待たず日米修好通商条約など安政五ヵ国条約に調印。また13代将軍家定の後継をめぐって、反対派の一橋慶喜らに対し強硬策を実施し、さらに安政の大獄を断行するにおよんで、常に暗殺の危険にさらされ、ついに安政7年3月、江戸城外桜田門外において、水戸・薩摩の浪士らに暗殺された。井伊家菩提寺としてここ豪徳寺に埋葬されている。(「井伊直弼の墓」説明板-世田谷区教育委員会)


六地蔵
墓地の一角にある六地蔵。
娑婆の六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)を守る。