ひたちなか海浜鉄道・鹿島臨海鉄道     2012.06.27
茨城県南東部の海岸沿いを南北に走るふたつのローカル鉄道がある。勝田と阿字ヶ浦を結ぶ、ひたちなか海浜鉄道湊線と、水戸から鹿島神宮に至る鹿島臨海鉄道大洗鹿島線である。茨城県下では、かつては茨城交通、筑波鉄道、水戸電気鉄道といったいくつかの民営鉄道が運営されていたが相次いで廃止となり、今世紀になってからでも日立電鉄や鹿島鉄道などの鉄道が廃止されてしまった。現在、JR以外の生き残っている鉄道は関東鉄道常総線と竜ケ崎線、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線、ひたちなか海浜鉄道湊線の4路線だけとなった。ほかに第三セクターの真岡鉄道とつくばエクスプレスの一部が茨城県下を走っている。
そんななかでもひたちなか海浜鉄道と鹿島臨海鉄道はローカル色濃厚な路線であるらしい。それに両鉄道とも海沿いを走るイメージがあるので、どこかでおいしい魚を食べられるのでは?と思って出かけたのである。
ルート:
上野駅→(JR常磐線)→勝田駅→(ひたちなか海浜鉄道湊線)→阿字ヶ浦駅→(湊線)→勝田駅→(JR常磐線)→水戸駅→(鹿島臨海鉄道大洗鹿島線)→鹿島神宮駅→(鹿島線・成田線・総武線経由)→東京都区内。湊線と大洗鹿島線では適宜途中下車。

旅の始まりはJR東日本が誇る最新鋭特急車両のE657系による「スーパーひたち」である。目がつりあがった形相はちょっとひょうきんだが、なかなか速そうだ。最高速度130km/hで上野から水戸までをノンストップで駆け抜け、勝田には1時間23分で到達する。

上野駅16番ホーム 

 ■ひたちなか海浜鉄道湊線
 ひたちなか海浜鉄道湊線は茨城交通湊線がその前身であるが、1913年(大正2年)に勝田−那珂湊間を開業した湊鉄道がスタートというから、かれこれ1世紀の歴史をもつ。1944年(昭和19年)に湊鉄道は同じ茨城県内の水浜電車、茨城鉄道と対等合併し、茨城交通が発足してそれぞれ茨城交通の湊線、水浜線、茨城線となった。その後水浜線と茨城線は廃止となり、湊線も経営が危うくなって廃止の瀬戸際に立たされたが、2008年(平成20年)に第三セクター方式で運営することになり、ひたちなか海浜鉄道が経営を引き継いだ。

湊線の列車はJR勝田駅の1番線ホームに発着する。キハ20形5号気動車が待つ。
 湊線は勝田−阿字ヶ浦間14.3kmで昭和3年(1928)に開通した。全線単線非電化。中間駅は7駅。
 キハ205はもと国鉄のキハ20形522号で、JR西日本、水島臨海鉄道キハ210を経てひたちなか海浜鉄道にやってきた。昭和40年製だがよく手入れがされていてきれいだ。 扇風機からは水島臨海鉄道の前にはJR西日本にいたことがわかる。
クリーム色と朱色の塗り分けは旧国鉄の一般型気動車の標準だったが、最近ほかの地方鉄道でも国鉄・JRからの譲渡気動車を同じように塗装し直している例がいくつかある。国鉄車両の動態保存的な意味合いがあるのだろうか。
 車内は両側にロングシート、中間にクロスシートを配したセミクロスシート形式。
 運転台

 両側たんぼの直線線路が続く 中根−那珂湊間

那珂湊駅には車両基地がある。全線で唯一の有人駅。

ミキ300形103号  2008年に廃止になった旧三木鉄道(兵庫県)から購入した車両で、当時のままの姿で使用されている。

キハ3710形気動車。阿字ヶ浦駅
 茨城交通時代の1995年に製造された車両。"3710"は「みなと」のごろ合わせとか。
 阿字ヶ浦駅周辺はなにもない。海水浴シーズンにはごったがえすというが。。。
数分歩いてやっと見つけたコンビニでおにぎりを買って昼食をとった。おいしい魚の期待は水の泡となった。那珂湊あたりで下車すればよかったのだ。
 ユニークな駅名板

 中根駅をでて那珂湊駅に向かう下り列車。
このひとつ手前の金上(かねあげ)駅との間で東日本大震災の揺れによって線路築堤が溜池の水に浸食され、線路が宙ぶらりんになったらしい。現場は新しいコンクリートで修復されていて車内からでもそれとわかった。
ひたちなか海浜鉄道湊線の勝田駅に戻るとすぐ隣のホームに常磐線水戸行き電車が滑り込んできた。乗り換えは至極便利だ。水戸までは一駅約6分の乗車である。

E501系常磐線水戸行き普通列車  勝田駅2番線ホーム
 
■鹿島臨海鉄道大洗鹿島線
 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線はJR水戸駅と鹿島サッカースタジアム駅を結ぶ第三セクターの鉄道である。終点の鹿島サッカースタジアム駅はサッカーが開かれるときだけ使われる臨時駅で、通常は列車は停まらずそのままJR鹿島線鹿島神宮駅まで直通している。もともとこの路線は国鉄鹿島線の水戸−北鹿島(現鹿島サッカースタジアム)間の路線として1971年(昭和46年)に着工したが、国鉄の財政悪化により第三セクターの鹿島臨海鉄道が営業を引き受け、1985年(昭和60年)に開業した。鹿島臨海鉄道は1969年(昭和44年)に鹿島臨海工業地帯の貨物輸送を目的に国鉄、茨城県および鹿島臨海工業地帯に進出した企業が出資して第三セクターとして設立したものである。大洗鹿島線は全線単線非電化で、全長53.0kmに15駅(起終点を含む)ある。

大洗鹿島線の列車はJR水戸駅の東端の8番線ホームから発車する。乗り換え時間が4分とあって急いで8番ホームに停まっている赤い列車に駆け込む。おかげでホームでの写真を撮り損ねた。

水戸駅を出るとしばらく常磐線と並走し、やがて高架となり大きく曲がって東に進路をとる。

横を流れる那珂川の支流を鉄橋で越える。 

東水戸駅で行き違い交換

延々と続く高架線路。 ほとんどはスラブ軌道だが駅の周辺はバラスト軌道となっている。
全体に高架線部分が長いが、開業が新しい(1985年)ために踏切をなくし直線区間の長い線形にしたのだろう。そのために列車の最高速度も95km/hと地方鉄道としては高速である。そのかわり列車の乗り降りには階段を使わねばならない。もちろんエスカレータやエレベータなどはない。
大洗駅で行き違い交換
主力車両の6000形気動車は、1985年(昭和60年)の大洗鹿島線開業時に6両が新製されたが、その後増備が続き計19両がつくられた。

客室内は両脇にロングシート、中央部に転換式クロスシートを配置したセミクロスシート方式となっている。

運転台には料金収納箱と整理券発行機が設置されている。
1両ワンマン運転のときは運転士側(前方)のドアのみが出入口となる。

大洗駅構内には車両基地がある。 4台の6000形が留置されている。

大洗をでるとしばらく山の中を走る。切り通しと短いトンネルが連続するが最長の大貫トンネルは1360m。

 トンネルを抜けると涸沼駅。周辺には人家もある。

 鹿島旭駅で行き違い交換。このあたりは高架線を降りて地平を走る。
それにしても鹿島臨海にしては海がまるで見えない。

●北浦湖畔駅 
おそらく全線でもっともさびしい駅だろうということで下車してみた。隣の大洋駅との間で東日本大震災による路盤の崩壊があって、線路が宙吊りになったという。

北浦(広義の霞ヶ浦の一部)を望む吹きさらしのホーム。

築堤上のホーム。駅前には公衆トイレと自転車置き場以外はなぁ〜んにもない。これぞローカル度満点の風情だ。

駅の入り口と水戸行き上り列車。自動販売機がなにかわびしい。

見渡す限り田畑が広がる。北浦には白鳥が飛来するそうだ。そのころに来れば少しは絵になったかもしれない。湖畔まで行こうと試みたが意外に遠くて、次の列車に間に合わないので途中で引き返した。やはり「近くて遠い、いなかの道」だった。

5、6分遅れであわててやってきたように見える次の列車。

やってきたのは大洗駅ですれ違った車両だ。
ひたちなか海浜とか鹿島臨海という海に沿っているというイメージだったが、そんなことはなかった。一部は海に近づいてはいるもののほとんどは内陸の田園地帯を走る路線である。水戸や勝田以外は各駅とも町や集落のはずれに位置しているようで、まわりには何もない駅が多い。その意味ではローカル度満点で、ひとけのない駅にボーッとしに行くのならピッタリの鉄道である。
鉄道総合ページ:「鉄道少年のなれの果て」