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2012.10.30~31 |
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金沢は加賀百万石の城下町として栄えた古都だが、戦災を免れたこともあって古い町並みが残り、それを維持保存するとともに伝統の工芸や食文化なども今に受け継がれていて魅力ある町となっている。
前日は世界遺産の白川郷の合掌造り集落に山里の古きを訪ねていたのだが、こんどは古都に古きを訪ねるために直行バスで金沢に赴いた。ここではひととおりの定番スポットを巡る予定だったが、急な大雨にたたられて兼六園とその周辺は断念。それでも由緒ある町々を道に迷いながら地図を片手にのんびり散策し、晩秋の古都金沢を十分に楽しんだ。 |
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城下まち金沢周遊バス
市内の観光スポットをつないで巡る路線バスでいくつかのコースがあるが、決められた一方向だけのルートのため、使いにくい面もある。1日フリー乗車券は500円。
橋場町 |
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金沢三茶屋街のひとつ。茶屋街とは芸妓を呼んで客に飲食をさせる店である「お茶屋」が集まる一角で、いわゆる花街のこと。今日では京都の祇園と先斗町がその代表である。
金沢の茶屋街は藩政時代に盛んになったもので、文政3年(1820)に城下に点在するお茶屋を「ひがし」、「にし」に集めたことに始まるとされる。現在は主計町(かずえまち)茶屋街が加わって三茶屋街となっている。 |
石畳の両側にお茶屋が隙間なく並ぶさまは独特の風情がある。1階が格子、2階は雨戸に覆われた茶屋建築は珍しいものとされる。古風な街灯が町並みに似合う。電柱電線が一切ないのも町の格式を上げている。 |
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藩政時代のお茶屋の建物として国の重要文化財に指定されているお茶屋「志摩」。
2階雨戸の小屋根には灯籠を掲げるのだろうか。 |
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金沢の代表的工芸である金箔を作る箔屋「ひかり蔵」 金箔を使った工芸品なども売っている。 |
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金沢にはお寺が多いが、だいたい3か所の寺院群に集められている。ひがし茶屋街の周辺には東山寺院群がある。ほかに寺町寺院群と小立野(こだつの)寺院群がある。 |
お寺の土塀が続く路地。ところどころに民家が混じる。 |
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蓮昌寺 日蓮宗寺院で19世紀前期の建立。山門は切妻造りの高麗門と言われる形式で、二本の親柱のうえに屋根を置き、親柱の後ろにそれぞれ控え柱がついてそのうえに小屋根を設けたもの。この場所は高台にあって海風が強いため、強風対策としての意味があるらしい。この形式の門は金沢で唯一の門として金沢市の文化財指定建造物となっている。また、本堂には金沢三大仏のひとつの六丈の釈迦如来立像を安置しているという。 |
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全性寺(ぜんしょうじ) 日蓮宗寺院で別名「赤門寺」と呼ばれる。ベンガラの朱塗りの仁王門は18世紀後半の建立とされる。門の両側に金剛力士像が安置されるため金剛閣の扁額がかかる。多くのわらじがぶら下がっているのは健康と健脚を願って奉納されたものという。この山門は金沢市の重要文化財に指定されている。 |
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この石川橋を渡ると正面にある石川櫓と石川門。城壁の一部は修復工事中だった。 |
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三の丸広場。橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら;左)と菱櫓をつなぐ2階建ての五十間長屋。武器庫と城壁を兼ねていて石落としと鉄砲狭間を備える。平成13年に復元された。 |
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兼六園入口にたどり着いたとき雨が降り出し、直後に豪雨となった。近くのコーヒーハウスに避難して止むのを待ったが1時間くらいで小雨となるも、止む気配なし。あきらめてタクシーでホテルへ直行。
←レンズに雨粒が。。。
しかし残念なので、2001年8月当時の様子を下に掲げます。このときも雨でした。。。↓ |
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藩政時代、藩主のお目見えが許される中級武士の居住地だった界隈。明治以降一般の住宅地として解放され、家屋や住人も変わったが、家敷を取り囲む土塀や長屋門はそのまま残され維持管理されている。曲がり角の多い石畳の路地には静けさが漂う。 |
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天正11年(1582)藩祖前田利家公が金沢城に入場して以来、加賀藩の直臣であった野村伝兵衛信貞家の住居跡。禄高千二百石でこの地に千坪余の屋敷を拝領していたという。家督は明治4年の廃藩まで11代にわたって続いたという家柄。 |
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金沢には藩政時代から多くの用水が整備され、今でも市内を縦横無尽にきれいな水が流れている。
武家屋敷の土塀沿いに流れる大野庄用水は天正年間に造られた金沢でもっとも古い用水。 |
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にし茶屋街は”ひがし”と同様、茶屋建築の立ち並ぶ町。規模はすこし小さいが道幅は広く明るい感じがする。 |
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右の菓子店のように1階を現代風に建て替えた店もある。 |
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にし茶屋街の周辺に70の寺院が集まる寺町は、3代藩主前田利常の市中整備によるもの。”にし”も”ひがし”も茶屋街と寺院群が接しているのはなにか意味があるのだろうか? |
妙立寺(みょうりゅうじ) 日蓮宗の寺院で寛永20年(1643)加賀藩主前田家の祈願所として建立された。出城(でじろ;本城のほかに国境などの要害の地に築いた城)の役割があったといわれ、敵を欺く仕掛けが施されていて、通称「忍者寺」と呼ばれる。一見2階建てのようだが実際は4階7層の複雑なつくりとなっているという。 |
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三光寺 寛永12年(1635)の創建だが、明治11年(1878)に内務卿大久保利通を暗殺した加賀藩士らの集会所だったという。仁王門は平成3年に再建されたそうだが、コンクリート造りで、よくみると門の両側に仁王像の彫刻がされている。この仁王像は住職自らの彫刻だそうだ。 |
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龍雲寺 曹洞宗の寺院で寛文元年(1661)創建。保育園を併設していて境内は遊具でいっぱいになっている。 |
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本長寺 顕本法華宗に属する寺院で、享徳2年(1453)越中砺波に創建されたがその後、移転再建を繰り返し、元和元年(1315)現在地に再建。
境内に松尾芭蕉の句碑がある。
「春もやや
けしきととのう月と梅」
入口の蝦蟇の置物が面白い。 |
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