一般に川崎大師と呼ばれるが、正式には「金剛山金乗院平間寺(こんごうさんこんじょういんへいげんじ)」と号する、真言宗智山派大本山である。「厄除弘法大師」を本尊として奉り、関東厄除・第一霊場である。
平安時代に、無実の罪により生国を追われ、諸国を放浪の末にここ川崎に住みつき、漁師として暮らしていた武士が、夢枕に立った高僧のお告げのとおり、海から弘法大師の木像を引き上げた。武士はその像を草庵に奉り、日夜信仰していたが、諸国行脚の途中に立ち寄った高野山の尊賢上人と一緒に太治3年(1128)に建立し、武士の姓・平間をもって「平間寺(へいげんじ)」と号し、本尊を厄除弘法大師」と称したのが由来である。永治元年(1141)、近衛天皇により勅願寺となり、江戸時代になって徳川将軍家も帰依した。(平間寺縁起から)

厄除けといえば川崎大師というくらい、その名は広く知れわたっている。初詣の人出では成田山と並んで一、ニを争う人気のお寺である。厄除けに加え、自動車交通安全祈祷もあって常に祈祷を受ける人が絶えないが、とくに縁日には寺の境内は人の波と露店で埋め尽くされる。川崎大師駅前には厄除門という門があってそこから表参道にはいり、その先に仲見世がある。参道は普通の商店街だがかなりの距離がある。途中で右に折れて正面に山門が見える仲見世にはいるとようやくお寺の雰囲気が出てくる。山門を始め当初からの多くの建物は戦災で焼失したために、現在のほとんどの堂宇は戦後の建物である。(2005.02.11/23)


表参道

仲見世

山門
本堂
経蔵

八角五重塔

不動堂

聖徳太子堂

遍路大師

鐘楼

降魔成道釈迦如来像

祈りと平和像

自動車祈祷殿


京浜急行「川崎大師駅」


大師線は京浜急行発祥の路線
京急700形



厄除門 表参道の入り口


仲見世入り口


仲見世の通り
咳止め飴、葛餅、煎餅、まんじゅうなどが名物

縁日の賑わい


大山門
昭和52年に当山開創850年の記念事業として落慶した。門の四方には四天王像(持国天、増長天、広目天、多聞天)の像が安置されているが、京都の東寺の国宝・四天王像を模刻したものである。


大本堂
昭和39年に建立された。堂内には、本尊厄除弘法大師を中心に不動明王、愛染明王、稚児大師、救世観音、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅が奉安されている。


護摩修行
大本堂において毎日行われ、世界平和、国家安穏、信徒安全が祈願される。
護摩(ごま)とは、梵語でホーマ(homa)といい、「焚く」、「焼く」などの意味をもつことばで、仏の智慧の火をもって煩悩を焼き尽くすことを表す。
本尊の前に設けられた護摩壇の周囲に香華をはじめ五穀、供物をそなえ、斎戒沐浴して心身を清めた導師が中央の炉の中に護摩木を焚いて本尊厄除弘法大師の供養をする。壇信徒も同席して祈りをささげる。右後方の行列は順番を待つ信徒たち。


経蔵
平成16年に建立された当山でもっとも新しい堂宇。経蔵とはお経を納める建物であるが、ここには説法釈迦如来が奉安されており、「乾隆版大蔵経(けんりゅうばんだいぞうきょう)」という中国最後の木版大蔵経が収蔵されている。

大蔵経:仏教の聖典を総集したもの。経・律・論の三蔵を中心に、それらの注釈書を加えたもの。一切経(いつさいきよう)、蔵経などともいう。


八角五重塔

昭和59年弘法大師1150年遠忌を記念して建立された。塔の八角は真言の様式にかなうよう、華麗にして格調ある形であり、最も円に近い建造物であるといわれ、「包容力」、「完全性」が象徴されているという。


不動堂
昭和39年に建立された。堂内には成田山新勝寺の本尊不動明王の分躰が勧請、奉安されている。また、武相不動尊霊場第一番札所、関東三十六不動霊場第七番札所となっている。


不動門
大山門から南に少し行くと不動門がある。当山第43世隆超和上が有縁の地より移築し、戦災後復興の最初の建造物として、不動堂の正面に移築、建立されたものである。当山ではもっとも古いと思われるが縁起は不明。正面の青い屋根は不動堂。


聖徳太子堂
日本仏教興隆の祖である聖徳太子を祀る。成田山にも同様のお堂がある。


清龍権現堂(せいりょうごんげんどう)
聖徳太子堂のとなりに建つ。昭和49年建立。本尊は如意輪観世音、准胝観世音のニ菩薩で、京都の醍醐寺の清龍権現の分躰を勧請、安置した。

遍路大師尊像
昭和48年弘法大師生誕1200年記念事業として造られ、5月に開眼法要が執り行われた。健康、健脚を祈願する。
道標

寛文3年(1663)川崎宿の渡し場(現在の六郷橋のたもと)近く、大師に至る道の入り口に建てられたものである。「従是(これより)弘法大師江の道」と刻まれている。(川崎市歴史記念物)
終戦後に六郷橋の拡張にあたり当山に移設された。


鐘楼堂
寛政元年(1789)当山33世隆範の代に建立されたが、大正2年の震災により倒壊したため、移築されたがさらに昭和20年の戦災により焼失し、昭和23年に再建されたものである。梵鐘は寛政7年に再鋳されて現在に至っている。


降魔成道(ごうまじょうどう)釈迦如来像
昭和52年当山開創850年記念事業として造られた。胎内にはインド大菩薩会を通じて勧請された真身仏舎利が奉安されている。

「降魔成道」とは、釈尊が「さとり」を啓いたときの姿をいう。
釈尊が「さとり」を完成しようとして菩提樹の下に座っていたとき、種々の悪魔が現れて誘惑しあるいは脅迫して妨害しようとしたが、釈尊はこれをことごとく退けて「さとり」を啓いた。
このとき、釈尊は左手を膝の上におき、右手を伸ばして大地を指した。この姿を「降魔成道」という。



祈りと平和の像
昭和59年、弘法大師1150年遠忌を記念して建立された。


自動車交通安全祈祷殿
 
自動車と持ち主が祈祷を受けている