武蔵国分寺

武蔵国分寺は、奈良時代の天平13年(741)に聖武天皇が発した詔により、全国府に建てられた国分寺のひとつである。国分寺は、国分僧寺(68か寺)と国分尼寺(実数不明)からなる国家安泰を祈願する官寺である。頂点にたつ総国分寺は奈良の東大寺で、この武蔵国分寺は東大寺に次ぐ規模を誇ったといわれている。しかし、元弘3年(1333)、新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼした分倍河原の合戦の際、この国分寺は焼失した。2年後の建武2年(1335)、失われた旧国分寺の片隅に新田義貞が再建したのが、いまの「医王山最勝院(いおうざんさいしょういん)国分寺」と伝えられている。(JTB刊「江戸東京の古寺を歩く」から)

国分寺というのは歴史で習ったが、奈良時代のことであまりに古く、実在しているという実感がなかった。行ってみると再建とはいえ、なかなかのお寺である。周辺には旧国分寺跡の遺蹟が散在しているが、いま国分寺として存在するのは、本堂、楼門、薬師堂、仁王門などである。武蔵野のけやき林のなかにひっそりと建つ薬師堂や、万葉植物園となっている本堂など、なによりも静けさがいい。花の咲いている季節に行けばさらに美しいだろうと思う。このお寺から湧いている水が小川となって国分寺駅の方向に流れている。ホタルが棲めるといわれるが、たしかにきれいな流れである。この小川に沿って遊歩道があって「お鷹の道」と呼ばれている。歩いてみたが、ご多分にもれず民家が押し寄せていて、私道を歩いているような気分である。いたるところに「静かに歩いてください」とあった。(2005.03.02)


楼門

国分寺本堂

仁王門
薬師堂 国分寺駅


楼門
江戸時代の建築で、もとは米津寺(東久留米市)にあったものを明治28年に移築したという。
国分寺市指定重宝となっている。(説明板:国分寺市教育委員会)

本堂側から見た楼門
すぐ横にまで民家が迫っている。


武蔵国分寺

境内は万葉植物園となっていて、万葉集で詠まれている草花約160種が栽培されている。草花のひとつひとつに詠まれた歌が添えられている。


仁王門
薬師堂への入り口にある。宝暦年間(1751〜1763)に建立された。入母屋造り八脚(やつあし)門という。(国分寺市指定重宝)
左右には享保3年(1718)に造立された阿吽(あうん)二体の仁王像が安置されている。


薬師堂
建武2年(1335)、新田義貞の寄進により国分僧寺の金堂跡付近に建立されたと伝えられている。その後、享保元年(1716)に修復され、宝暦年間(1751〜1763)に現在地で再建された。国分寺市重宝に指定されている。
堂内に安置されている木造薬師如来坐像は平安時代末期、あるいは鎌倉時代初期の作と考えられている。国指定重要文化財。(説明板:国分寺市教育委員会)

鐘楼堂
撞木がはずされているので日ごろ撞かれていないと思われる。


国分寺駅
遊歩道「お鷹の道」を通って行く場合はここから。

西国分寺駅
直接武蔵国分寺へはここが最寄り駅。徒歩10分。

JR中央線上り列車


西武国分寺線
国分寺と東村山をむすぶ