駒込界隈 2007.03.29
六義園
六義園(りくぎえん)は川越藩主、柳沢吉保が元禄15年(1702)に築園した代表的な大名庭園。
六義園 中の島を望む(パノラマ合成)

有名なしだれ桜 正門をはいったすぐのところにある。シーズン中はこのとおりの混雑。
人間がはいらないように仰ぎ見て撮ると、つまらない絵になってしまう

しだれ桜はソメイヨシノと違って、枝が細く長くて非常に繊細。

しだれ桜の先端部分           

見事な「こぶし」の巨木

こぶしの花 よい香りがする
吉祥寺
曹洞宗の寺だが、創建は室町後期というから非常に古いお寺である。おおもとは現在の和田倉門あたりにあったが、徳川家康による江戸城域拡張に伴い、吉祥寺は神田駿河台に移転を命じられた。ところが明暦3年(1657)に起きた、いわゆる振袖火事により、吉祥寺も全焼した。幕府はその後の復興事業に際し江戸城周辺の寺社を移転させることにし、この吉祥寺は現在の駒込に移転させられた。このとき、おかしなことに神田駿河台の吉祥寺門前住人たちは寺とは遠く離れた武蔵野に移住させられたのである。この住人たちが新しい町を作ったときに吉祥寺の名前をつけたといわれている。これが現在の武蔵野市吉祥寺で、したがって武蔵野市には吉祥寺という寺は実在しない。
現在ここの地名は本駒込3丁目だが、昭和41年までは駒込吉祥寺町だった。

吉祥寺 本堂としだれ桜

二重塔とソメイヨシノ すでに満開

吉祥寺山門 扁額の「旃檀林(せんだんりん)」とは仏教で「学校」という意味で、江戸時代に曹洞宗の学寮として、多くの学僧をを教育したという。
いま、東京には多くの寺があるが、寺町とよばれるようなお寺が集まっている地域がいくつかある。おそらく江戸時代に幕府の都市計画によって形成されたものと思われる。ここ駒込周辺もそのひとつで、ほかに上野・浅草、三田・高輪、品川などには多くの寺院が集まっている。