高知市路面電車 - とさでん交通 2017.09.13
高知市には路面電車が走っているが、これは「とさでん交通株式会社」という事業体が運営している。この会社は2014年土佐電気鉄道・高知交通・土佐電ドリームサービスの3社が経営統合して高知県中部地域で路面電車・路線バス・高速バスなどを運営することになった。高知県と沿線市町村が出資しているので実質的な公企業である。

路面電車(軌道線)を運行する軌道事業は、伊野線・後免線・桟橋線の3路線を有し、総延長は25.3kmで、広島電鉄に次ぐ規模だが、広島電鉄は鉄道線(宮島線)も含むので、軌道線だけとしては、とさでんが日本最大規模である。3路線は、はりまや橋停留所で交差しており、相互に乗り入れしている。
・軌間:1067mm
・電化方式:直流600V
・保有車両数:60両+1編成(超低床車)
・運賃:高知市内は一律200円、市外は対キロ区間制。
    1日乗車券あり。市内:500円、市外含む:1000円

路面電車を運行していた土佐電気鉄道は1903年(明治36年)創立というから高知市は路面電車では114年という長い歴史を持っている。旧社名の「土佐電氣鐵道」という古い字体を比較的最近まで使っていて、いかにも「いごっそう」な印象があった。因みに鉄道を鐵道と表記する会社はいまでも数社あるが、「鉄」は「金を失う」に通じるから、ということらしい。いまの「新日鐵住金」も昔から「新日本製鐵」である。

現在、四国4県で電気鉄道がないのは徳島県だけで、他の3県には古くから電車が走っていた。愛媛県の伊予鉄道(1887年;明治20年)、香川県の琴平電鉄(1911年;大正元年)および高知県の土佐電氣鐵道である。一方、国有鉄道では1987年(昭和62年)3月に予讃本線の高松~坂出間と多度津~観音寺間、土讃本線の多度津~琴平間が電化されたのが最初である。JR四国になった現在、電化区間は香川・愛媛両県下の220kmで、高知・徳島両県はゼロである。その意味で、高知市の路面電車は貴重な存在といえる。

そこで今般、その電車に乗り、かつ撮影をするために高知まで行ってきた。東京から高知に行くには空路が一番だ。早朝の便で出かけて、最終の便で帰ると10時間くらい滞在できる。天気の状態を見計らってパッと行くのがコツである。前後は雨模様だったが、この日は晴れた。

JR高知駅

駅前に立つ幕末の英雄像 
左から、武市半平太・坂本龍馬・中岡慎太郎
可笑しいことに、これらの像は台風が来ると台座から降ろされて避難するそうだ。

高知駅正面 停車している列車は特急「南風」JR2000系気動車

電車乗り場が隣接する

特急「南風」アンパンマン列車 瀬戸大橋を渡って岡山まで直通
土佐くろしお鉄道2000系気動車

奈半利(なはり)行き快速 土佐くろしお鉄道9640(くろしお)系気動車
はりまや交差点
高知市の中心部にある交差点で、3路線それぞれに停留所がある。すぐ近くには名所のはりまや橋がある。

はりまやばし(播磨屋橋)
赤い太鼓橋は平成10年に復元されたもので、後方の石柱が現在の橋

からくり時計 はりまやばしの脇にある。毎正時にからくりが動き出す。このときは午後1時で上に高知城、下によさこい踊りが出て、左右にも桂浜とはりまや橋のオブジェが出ようとするところ。
電車ウォッチング
はりまや交差点では東西方向の軌道と南北方向の軌道とが直角に交わる、いわゆるダイヤモンドクロスとなっている。その上を色とりどりの電車が引きも切らず駆け抜けるという、きわめて見ごたえのある光景が展開している。見ていてまったく飽きがこない。とくに全身を広告で埋め尽くした電車が多い。他の都市でも見かけるが、ここでは窓ガラスにまでラッピングしている電車もあって、ますますエスカレートしているようだ。
 200形 
東京都電6000形をもとに製造されたという 15両在籍
 590形 
元名鉄美濃町線のモ590形電車 2両在籍
 600形 
東京都電7000形電車をモデルに製造された 31両在籍の最大勢力

菱形の行き先板は、とさでんのシンボル
後免線の終点「ごめん」行き

伊野線の終点「いの」行き

桟橋線から伊野線に転線する電車
 700形 
元山陽電気軌道からの譲渡車 3両在籍
 800形 
元山陽電気軌道からの譲渡車 4両在籍
 1000形 
主制御機器は西鉄331形電車の流用車 2両在籍
 2000形 
車体は新造だが200形の機器流用による車体更新車 3両在籍

最近は少なくなった幕式の行き先表示器装着車。下↓は電光式
 100形 ハートラム 
超低床車両 1編成在籍
 桟橋車庫 

桟橋線 桟橋車庫前停留所下車
土佐電鉄時代には車両不足を補うため、ポルトガル・ノルウェー・オーストリアなどから中古の路面電車を導入していたというが、現在はいずれも引退したらしい。
高知城
土佐藩主山内一豊が慶長8年(1603)から慶長16年(1611)にかけて築城した。享保12年(1727)に城下の大火により、追手門を残してほとんどを焼失した。その後、享保14年(1729)に再建が始まり宝暦3年(1753)に完了した。
平山城であるが、それだけに天守までの道のりは急坂続きでちょっとした登山を強いられ、炎天下を汗だくで登った。
高知城は昭和9年に国宝指定を受けたが、昭和25年の文化財保護法により、国の重要文化財に指定替えとなった。しかし当時の「國寳高知城」石碑が建っており、いきさつを記した説明板が横に添えてある。
追手門
大火による被害を免れ、往時の姿をそのまま残している。

天守 寛永2年(1749)に再建された。

石垣に乗っている姿と較べると意外に小ぶりだ。


板垣退助像
鉄道総合サイト:「鉄道少年の成れの果て」
RailVideo:「高知市路面電車」