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熊野那智大社は神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸したとき、原生林の間に光り輝く大滝を見て、神として祀ったことを起源とすると伝えられる。当初は滝壺間近にあったと言われる神社はその後、大滝を望む山の中腹に社殿を設け、主神を熊野夫須美大神として、ほかの神々も併せて祀ったのが現在の那智大社であるが、創建時期については不明。大滝を祀った飛龍(ひろう)神社は那智大社の別宮として存在している。ここでは社殿はなく、滝に向かって祈祷所が設けられている。
那智大社の隣には青岸渡寺(せいがんとじ)が並ぶように建つ。まさに神仏習合を象徴する光景だ。 |
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境内。正面は拝殿。右奥には大楠と青岸渡寺の屋根が見える。 |
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御本殿の一部。屋根しか見えないが第一殿から第五殿の5棟の社殿が並ぶ。
・祭神 【本地仏】
第一殿<滝宮>大己貴命(大国主神)【千手観音】
第二殿<証誠殿>家都御子神(けつみこの大神・素戔嗚尊)【阿弥陀如来】
第三殿<中御前>御子速玉神(みこのはやたまの大神・伊弉諾尊)【薬師如来】
第四殿<西御前>熊野夫須美神(くまのふすみの大神・伊弉冉尊)【千手観音】・・・主神
第五殿<若宮>天照大神【十一面観音】
これらの社殿は江戸時代後期の再建だが熊野造りといわれる古来の神社様式をそのまま受け継いでいるという。
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宝物殿(左)と右端は第六殿(八社殿)、中間の小さい社殿は御縣彦社で、八咫烏に化身したとされる建角身命、稻荷大神が合祀されているという。八社殿には天神地祇八神という神々が祀られている。 |
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八咫烏 |
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樹齢800年の大楠。
高さ27メートル、幹の周囲8.3メートル、枝張り約25メートル、平重盛の手植えによるものと伝えられている。
根元に人がくぐれる程の空洞があり、無病息災を願って胎内くぐりができるようになっている。
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青岸渡寺(せいがんとじ)の創建は那智大社と同様はっきりしないが、伝えられるところでは仁徳天皇の時代(4世紀)ともされる。宗旨は天台宗、本尊は如意輪観音。
当初は如意輪堂と称し、隣接する那智大社とともに神仏習合の修験道場であった。明治の廃仏毀釈によって、熊野本宮大社と熊野速玉大社の仏殿はすべて廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂の棄却を免れ、後に信者の手によって青岸渡寺として復興したというきわめて貴重な存在である。 |

境内と本堂
この本堂は、織田信長南征の折に焼き打ちされたが、天正18年(1590)豊臣秀吉によって再建され、桃山時代の建築をとどめる、紀南で一番古い国指定の重要文化財建造物となっている。 |
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本堂正面。
山号を「那智山」といい、西国三十三観音霊場の第一番札所となっている。 |
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日光華厳の滝、袋田の滝(茨城県)とともに日本三名瀑のひとつに数えられる。落差133メートル、滝幅13メートル。那智山中には多くの滝があり、滝修行の場として那智四十八滝とよばれる48の滝のうち、一の滝が一般に那智滝といわれる滝である。 |
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滝の落ち口は3つに分かれて流れ落ちるため三筋の滝とも言われる。落差133メートル、滝幅13メートルと合わせて”3”つながりとなっている。
上部の注連縄は年に2回、神職によって張り替えられるという。 |
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滝を御神体として祀る「飛龍(ひろう)神社」
この先にさらに滝壺近くの「お瀧拝所」に行ける。 |
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流れ落ちる水の斑紋を見ていると、たしかに神々しさのようなものを感じる。
(動画はこちら)
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