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メンデルスゾーン(1809~1847)
交響曲第3番イ短調 作品56 「スコットランド」 |
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ことし(2009年)はメンデルスゾーンの生誕200年にあたるそうで、世界中でメンデルスゾーンの音楽がいつもより多く演奏されることでしょう。
メンデルスゾーンの番号つきの交響曲は1番から5番までですが、そのなかでも圧倒的に演奏される機会の多いのは3番「スコットランド」と、4番「イタリア」で、逆にほとんど知られていないのが第1交響曲です。この曲を収めたCDを探してもまず見つかりません。それほど珍しい曲を、あるアマチュアオーケストラの演奏会で初めて聴くことができました。ラッキー!と楽しみにしていたのですが、これがあまり面白くないんですね。最初の交響曲はだれでも若い時に作るため、音楽としては未熟なものがあるので作品価値は高くないのが普通でしょうが。。。その点、円熟期まで第1交響曲をあたためていたブラームスの戦略は見事に効を奏したといえます。
しかしこのような、ある意味で貴重な音楽を聴かせてくれたオーケストラの英断には感謝です。
さて、第3交響曲は1829年にメンデルスゾーンがスコットランドのエジンバラを訪れたときに着想を得たとされています。これよりさき、メンデルスゾーンは活動拠点であったベルリンにおいて、当時の音楽界の要職にあった音楽家やその一派と対立し、複雑な立場にありました。これを逃れてロンドンを訪れたメンデルスゾーンはここの音楽界に歓待され、大いに親近の情をもつようになります。そしてスコットランド訪問が新交響曲作曲のきっかけとなるのです。ところがこの曲は1842年まで完成されませんでした。その間約10年に6回渡英し、そのたびに曲の推敲を重ねていたからと言われます。どうもイギリスのための音楽を作るのにはイギリスにいないと作曲が進まなかったらしいのです。このような作曲過程から、この曲はスコットランド地方の風物などをあらわしているだけでなく、メンデルスゾーンとイギリスとのかかわりが背景になっているのです。したがって、スコットランドの風土を単に音にしたという音楽ではありません。
1842年1月にやっと完成した「スコットランド交響曲」は同年3月、ドイツのライプチッヒで初演され、続いて5月にデュッセルドルフ、そして6月にロンドンで演奏されました。その直後にメンデルスゾーンはバッキンガム宮殿に招かれ、その栄誉を記念するためにこの交響曲を王室に献呈したといわれます。(参考:全音樂譜出版スコア)
曲の全体は4つの楽章から成っていますが、作曲者の指示により各楽章は続けて演奏されます。スコットランド的な雰囲気がもっとも濃い(と個人的に思う)第1楽章に続いてスケルツォが第2楽章に、第3楽章に緩徐楽章が置かれ、そのまま終楽章に続きます。テンポの速い民族舞踏曲風が中心ですが最後に近くそれが消え入るようにおさまると、、一変して重々しい調子になって、フルオーケストラのまま終曲に向かいます。この部分は終楽章だけで見ると唐突に見えますが、メンデルスゾーンは、この部分を曲全体の締めくくりとしたのでしょう。そのために全体を休むことなく演奏するように指示したのです。
楽器編成:
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、バスーン2、フレンチ・ホルン4、トランペット2、ティンパニーに弦楽五部。
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