長光山妙蓮寺は日蓮宗に属し、もとは観応9年(1350)当時に現在の横浜市神奈川区にあって、大経院妙仙寺と称していた。これは土地(生麦)の波木井善太郎という篤志家が池上本門寺の第3祖「日輪上人」の熱烈な信者であり、日輪上人が当時住んでいた鎌倉の妙本寺から池上本門寺の日蓮大聖人の廟所への往還の宿とする草庵をつくった。これを日輪上人を開祖とする大経院妙仙寺としたのである。 その後明治41年(1908)になって横浜鉄道臨港線(現JR横浜線)の引込み線敷設のため、当寺は移転のやむなきにいたった。当時の住職第41世慈性院日體上人は移転先として、池上本門寺の末寺で、檀家も少なく不便な地にあって維持困難であった淨寿山蓮光寺を選んだ。これが現在の妙蓮寺の地である。 蓮光寺は天正年間(1580年頃)に正乗院日運上人が池上本門寺第13世日惺上人を請じて開山とし、自らは第2世となって創建した寺である。 そして、明治41年、両寺の住職、檀信徒が相談のうえ、ひとつの寺とすることになり、妙仙寺の「妙」と蓮光寺の「蓮」をとって「妙蓮寺」と改め日體上人が第1世となった。 大正15年(1926)東京横浜電鉄(現在の東急東横線)開通に際し、妙蓮寺の境内を線路が通ることになったが妙蓮寺側は境内を無償で提供し、ここに妙蓮寺駅ができたのである。以前の横浜鉄道のことといい、鉄道との縁が深い寺である。(妙蓮寺ホームページから要約) |
妙蓮寺は横浜への途中駅でこれまで下車したことはなかった。改札口をでると目の前が山門で、駅はまさに妙蓮寺と一体となっているかのようだ。踏切を渡った反対側は商店街となっている。 14世紀に創建された古い歴史をもつが比較的こじんまりとしたお寺である。斎場経営に力を入れているとみえて立派な斎場が2ヶ所もある。(2005.02.04) |
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