西新井大師

西新井大師は、正式には「五智山遍照院総持寺(ごちさんへんじょういんそうじじ)」と号する、真言宗豊山派(ぶざんは)の寺院である。川崎大師と並ぶ厄除け大師の霊場として知られる。天長年間(824〜834)に弘法大師によって開創された。弘法大師は十一面観音と自身の尊像を刻んで、当時蔓延していた悪疫除去を祈念したところ、疫病は絶え、大師像を投げ入れた涸れ井戸からは清水が湧き出したという。この霊水の井戸が「西新井」という地名の由来とされる。
あらゆる厄災除けにご利益があるとして庶民の信仰を集めてきたが、度重なる被災にもその都度またたく間に復興したため、火伏せ(ひぶせ)の霊験あらたかとしてますます信仰されたという。江戸時代になって幕府のご朱印寺に指定されたり、八代将軍吉宗公が鷹狩の際に休息したことから御膳所ともなり、以来、幕府と将軍家の尊崇する寺として栄えた。(参考:JTB刊「江戸東京の古寺を歩く」)

東武伊勢崎線の西新井駅から出ている大師線に乗って次の大師前駅で降りるとすぐ横がお寺である。大師線はこの2駅をむすぶ全長1Km、所要時間2分の日本一短い路線で、2両編成の電車が8分おきに往復している。
ちょうど縁日で、ごった返していた。だいたい「お不動さん」や「お大師さん」では祈祷を受ける人々がいつも絶えないが、縁日には人出に加え、それをあてこむ露店や参道沿いのみやげ物屋の商魂うずまく巷と化す。それだけご利益があるということだろうか。(2005.02.21)


参道入り口

山門

本堂

不動堂

三匝堂

鐘楼



大師前駅
大師線の運賃は西新井駅で支払うため、大師前駅では集改札をしない。切符を持たないで電車に乗るのは世田谷線や都電とこの路線だけかもしれない。


ワンマン運転2両編成の電車が1本で8分〜10分おきに往復する。運転士はさぞかし飽きることだろう。




参道入り口
正面に山門が見える。両側には煎餅や、だんごを売る店が多い。
税務署の横断幕は景観を損なう。


山門
江戸後期に建立されたもので、入母屋造り、総檜材、楼門造り。
両脇に仁王像を安置するが非常に古いもので傷みも激しい。



山号「五智山」の扁額がかかる


本堂
旧本堂は昭和41年(1996)に火災により焼失したため、昭和47年に新本堂として落慶した。「遍照殿」といわれる。堂内には弘法大師自刻の十一面観音と大師像を祀るが秘仏とされる。


本堂から見た境内
左の塔が三匝堂(さんそうどう)、右端は不動堂


大日如来尊像
出羽三山のひとつの湯殿山の大日如来を勧請したもので、文政年間の作。
勧請(かんじょう):神仏の分身・分霊を他の地に移して祀ること



不動堂
当山は関東三十六不動霊場のひとつで、第二十六番札所である。
「お大師さん」と「お不動さん」が一緒になっているところは多い。



三匝堂(さんそうどう)

一見、三重塔にも見えるが、江戸後期に多く建造された仏堂の一形式で、内部にさざえの殻に似た螺旋階段があることから栄螺(さざえ)堂とも呼ばれる。現存するものでは当山のほか、福島県会津若松市飯森山の旧正宗寺三匝堂(さざえ堂;国指定重要文化財)があるくらいで貴重な建造物とされる。
堂内には初層に本尊の阿弥陀如来と八十八祖像、ニ層に十三仏、三層に五智如来と二十五菩薩を祀ってあるが、本尊は新本堂に移されている。
むかしは、ここに参れば諸国の霊場、諸仏を巡拝したのと同じご利益があるとされ、さざえの殻のような堂内を初層から三層までを巡拝したという。(説明板:足立区教育委員会)


鐘楼堂
この鐘楼堂は、元禄期に建立され、文政3年再建、明治40年および昭和27年に大修築を加えて現在に至る。梵鐘も昭和27年に造られたものである。