真言宗智山派大本山
成田山新勝寺

成田山新勝寺は天慶3年(940年)寛朝大僧正によって、開山された真言宗智山派の大本山である。
寛朝大僧正は平将門の乱平定の勅命を受け、弘法大師開眼による不動明王像とともに難波の津の港(現大阪府)より海路を東上して尾垂ヶ浜(千葉県匝嵯郡光町)に上陸、更に陸路を成田の地に至り、乱平定のため平和祈願を行い成就した。その後、不動明王の霊験により東国鎮護の霊場とすべく「成田山」が開山されたといわれている。以来1060年以上にわたって全国不動尊信仰の中心として栄え、現在年間1300万人の信徒が参拝するという。

当山は長い歴史から由緒ある古い建造物が多く、重要文化財に指定されているものも多い。

初詣も終わって、すいているだろうと思って出かけたが、結構多くの参拝客でにぎわっていた。やはり人気随一のお寺だけのことはある。開山以来1000年以上たってもこうして栄えているのは「お不動さん」のご利益が絶大なのかもしれない。(2005.01.27)

表参道

参道の賑わい

古い旅館「大野屋旅館」がひときわ目立つ
成田山入り口
山門

仁王門とも呼ばれ、文政13年(1830)建立。左右に密迹(みっしゃく)金剛、那羅延(ならえん)金剛の仁王像が、裏側には広目天、多聞天が安置されている。(重要文化財)
大本堂

昭和43年(1968)建立。弘法大師によって敬刻開眼された不動明王を本尊として成田山の中心となるお堂。
釈迦堂

安政5年(1858)建立。前本堂である。釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、千手観世音菩薩、弥勒(みろく)菩薩を安置する。(重要文化財)


江戸後期の寺社建築様式で、均整の取れた非常に美しい形をしている。
光明堂

元禄14年(1701)建立。旧本堂である。(重要文化財)
本尊として真言密教の教主である大日如来が安置されている。屋根は入母屋造り瓦ぶきで江戸時代中期における寺社建築様式。

光明堂内部 正面が本尊大日如来
三重塔

三重塔 (重要文化財)

正徳2年(1712)建立。その後3回の大修理を経て、昭和58年現在の姿に復元された。
本尊、五智如来を安置する。総高約25m。
装飾については江戸関東風の典型とされる
  

雲水紋の彫刻をほどこした各層の垂木(たるき)は一枚板でつくられていて珍しいものとされる

各層四方に置かれた十六羅漢像のひとつが見える

一切経堂と鐘楼
一切経堂:享保7年(1722)建立。文化6年(1809)に再建された。一切経全4500巻を納めており、台をまわせば一切経全巻を唱えたと同じ功徳があるとされる 鐘楼: 元禄14年(1701)建立。梵鐘は昭和61年(1986)新大本堂の建立を記念して新たに鋳造された。

聖徳太子堂

平成4年(1992)建立。日本仏教興隆の祖である聖徳太子を祀る。
額堂

額堂とは、信徒から奉納された額や絵馬を掲げる建築物(重要文化財)
この建物は2番目の額堂で、文久元年(1861)の建立。最初の額堂(三升の額堂)は文政4年(1821)江戸歌舞伎の七代目市川団十郎によって寄進された。市川歌舞伎が成田屋といわれる所以であるが、その額堂は昭和40年に焼失した。

開山堂

開山寛朝大僧正の像を安置する。また堂内には歴代先師の肖像画 が掲げられている昭和13年の成田山開基1000年記念事業として建立された総桧作りの建物。
正面に注連縄を張っているのは神仏習合のあかし。
天満宮

朝日観音堂(左)と天満宮 神仏混交の場
朝日観音堂:
慶応3年(1867)建立。朝日観音菩薩を祀る。
この朝日観音の縁起は不明。
天満宮:
明治20年(1887)再建。菅原道真公を祭神として祀る。
成田山公園
成田山公園の石碑群

いたるところに寄進した人の石碑が建っている。古いものが多く、昔から親しまれたお寺であることがうかがい知れる。

高浜虚子の句碑
もともと台座には七代目団十郎と六代目団蔵の像があったが戦時中の金属供出により撤去され、代わりに八代目団蔵が昭和18年に七代目の追善供養のために高浜虚子の句
「凄かりし月の団蔵七代目」
を得てこの句碑を建てたというが、古くてよく読み取れない。