日暮里・上野・谷中・根津

上野を中心とする周辺地域は、江戸時代には徳川将軍家のご威光のもと、寛永寺など多くの神社仏閣が集まっていたところである。明治になって広大な寺社領地は召し上げられ、文化的な地域として生まれ変わった。しかし領地は狭くなったものの多くの寺社は健在で、まわりをとりまく街並みとともに古い江戸・東京の雰囲気を残している。昨今、このような古い東京探しがブームになっているが、日暮里や谷中界隈はいつでもそのような人並みが絶えない。なかには狭い路地にズカズカはいり込んで写真を撮りまくるマナーの悪い連中もいて、住民の顰蹙を買っているという。そんな人ごみを避けながら撮った神社仏閣の写真を中心にまとめてみた。(2008.10.17)

日暮里
諏方神社
日暮里・谷中の総守護神社。この鳥居は谷中方向に建っている。
養福寺仁王門
養福寺は正式には補陀落山観音院養福寺と号する真言宗豊山派の寺。如意輪観音菩薩を本尊とする。宝永年間(1704〜11)の建立と伝えられるが昭和20年の戦災により、仁王門を残してすべて焼失したという。仁王門は宝永5年(1708)の建立で、荒川区の指定文化財。このあたりで、仁王門があるお寺はめずらしい。
長久山本行寺
日蓮宗の寺院で月見寺とも呼ばれる。大永6年(1526)に創建されたが、その後移転を繰り返し、現在地に移ったのは宝永6年(1709)といわれる。月見寺というのはこの場所が景勝地で月見の名所であったからとか。
大黒山経王寺
日蓮宗の寺院で、明暦元年(1655)に創建された。この寺は慶応4年(1868)の上野戦争において、幕府方の彰義隊をかくまったために、新政府軍の攻撃を受け、山門にはそのときの弾痕が残されているという。たしかにいくつかの穴があいているが、虫食いだか弾痕だか判然としない。
急傾斜の屋根をもつ小ぶりな本堂が印象的。(画像にマウスをあててください)
上野
花園稲荷神社
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を祀る。
正式には忍岡稲荷という。もともとは石窟社であったのを、承応3年(1654)に天海の弟子である晃海僧正によって再建され、上野の山の守護神とされたという。明治6年に再建されて現在の花園稲荷となった。
寛永寺
天台宗関東総本山
寛永2年(1625)創建
開基は徳川家光、開山は天海で、江戸の北面を守るという目的で創建されたため、京都の比叡山に因んで山号を東叡山とした。
徳川将軍家の菩提寺として6人の将軍が眠る。
もともとはいまの上野公園一帯が寺域だったが、、現在は本堂である根本中堂、清水観音堂、弁天堂、五重塔、東照宮などが残り、周辺に19の子院が現存する。
寛永寺根本中堂
天台宗では本堂を根本中堂というが、この堂内は非公開であるためか、参詣者もまばらでいつもひっそりしている。本尊は秘仏の薬師三尊像。
五重塔(重要文化財)
初代の塔は寛永8年(1631)に建立されたが寛永16年(1639)に焼失し、同年に再建されたものがこの塔である。現在は東京都が所有しているので「旧寛永寺五重塔」と呼ぶ。
東照宮
寛永4年(1627)創建
他の東照宮と区別するために上野東照宮とも呼ぶ。
徳川家康(東照大権現)、徳川吉宗、徳川慶喜が祀られている。権現造りの社殿は重要文化財。
清水観音堂(重要文化財)
寛永8年(1631)建立。千手観音像を祀る。規模は小さいが京都の清水寺本堂と同様の舞台を持つ。
弁天堂
不忍池の中之島にある。天海が琵琶湖の竹生島宝厳寺の弁才天を勧請して建立したといわれる。昭和20年の空襲で焼失し、昭和33年(1958)に再建された。鉄筋コンクリート建て。
黄昏れる不忍池
弁天堂を望む。
谷中
谷中名物 観音寺築地塀
山門の先を右に折れると、約40メートルにわたって続く。瓦と粘土を交互に積み上げて造られている。
観音寺
創建は慶長16年(1611)。真言宗豊山派。本尊大日如来と阿弥陀如来。赤穂浪士四十七士が吉良上野介討ち取りの談合をした寺とされる。
落語家の三代目桂三木助の墓がある。
天王寺
もともとは鎌倉時代(1274年)に開山された感応寺(日蓮宗)であったが、元禄12年(1699)に天台宗に改宗、さらに天保4年(1833)に護国山天王寺と改称された。
感応寺時代の元禄13年(1670)には富くじが行われるようになり、湯島天神、目黒不動尊と並ぶ江戸三富として大いに賑わったというが、その様子は落語「富久」、「御慶」などで今に伝えられている。
谷中大仏
天王寺境内にある。台座には「大聖釈迦牟尼如来」とある。元禄3年(1690)に鋳造建立された。 
 
天王寺五重塔跡
有名な五重塔は2度再建されたが、昭和32年の放火心中による焼失後は再建されず、その礎石が残されている。
 
徳川慶喜公墓所
谷中霊園にあるのは慶喜公が神道を通したために、歴代将軍の廟には葬られなかったと言われる。
夕焼けだんだん
谷中銀座商店街の手前にある階段。階段の上から見る夕焼けが美しいというので、その名がついたと言われるが、土地ッ子の友人に聞いたら知らないという。おそらく情報誌あたりが言い出したのだろう。
朝倉彫塑館
明治から昭和にかけての彫刻彫塑家である朝倉文夫のアトリエと住居を改装した美術館。
根津
根津神社
楼門(重要文化財)
根津神社は根津権現ともいわれ、須佐之男命、大山昨命、誉田別命、大国主命、菅原道真公を祀るが、創建は不明。
社殿(重要文化財)
宝永3年(1706)徳川綱吉の造営とされ、権現造りの傑作としていまに残る。
根津「はん亭」
根津交差点近くにある串揚げ処。
明治末期の建築と言われる、3階建ての木造家屋をそのまま使っていて、ひときわ目立つ存在。串揚げも絶品!