落語の起源は室町時代といわれるが、職業としての落語が成り立ったのは江戸前期の延宝(1673〜1681))から元禄(1688〜1704)にかけての時代とされる。そのころ、士農工商の工商、すなわち町人たちの生活も豊かになり、いろいろな町人文化が花咲きだした。文政期(1818〜)になると浄瑠璃、小唄、講談、ものまねなどに木戸銭(席料)をとって客を集める場所がはやった。これが寄席(よせ)で、落語はその中心芸能であった。寄席は町人文化のひとつの象徴として今も続いている。

当時、江戸の人口はおよそ130万人で、すでに世界一となっていた。そのうち武士が65万人、寺社が5万人、町人が60万人である。これだけの人間が江戸の市中に住んでいたが、土地面積では全体の7割は江戸城や将軍家をはじめとする諸大名、旗本、御家人などの武家屋敷が占め、残り3割を寺社地と町地(まちぢ)に半分ずつ割り当てられていた。

これからわかるように、人口の半数を占める町人はわずか1割5分の面積の中にひしめいていた。人口密度からみると1平方キロあたり約7万人にもなるという。後年、町人たちは経済的な面で武士階級をしのぐようになるが、衣食住の衣と食は勝っていても住だけはどうにもならなかった。

その狭い土地のなかでも、表通りに面したところは大店(おおだな)と呼ばれる商家が並び、比較的財力がある商人が住んでいた。そのほかの職人や棒手振り(ぼてふり)と呼ばれる行商人などの町人が住んでいたのはその裏に作られた長屋である。長屋は文字通り、長い家屋を仕切って部屋にした共同住宅で棟割長屋とよばれたが、いわゆる九尺二間(くしゃくにけん)といわれる代表的な1軒分は間口が九尺(2.7メートル)奥行き2間(3.6メートル)で、3坪(約10平米)の広さである。障子戸を開けると2畳分の土間で、奥が四畳半ひと間だけの部屋になっている。土間にはかまど(へっつい)と水がめ、流しが置いてあり、台所兼用となっている。

江戸東京博物館や深川の江戸資料館には実物大の長屋のレプリカがあるが、これをみても相当の狭さであることがわかる。長屋にはふた間あるものや二階建てもあったようだが、多くは九尺二間の裏長屋だったらしい。このような家が5、6軒つながった長屋が路地をはさんで2棟ずつ向かい合っているのが標準的な長屋の建て方といわれる。考えてみれば、今だって似たようなアパートはあるし、ワンルームマンションも同じようなものかもしれない。ただ、マンションにはトイレ、浴室はついているが、長屋は共同便所だし、風呂は銭湯に行くことになる。

江戸の町人たちの多くはこのようなところに住んでいたのである。つまり、超過密な人口は長屋というシステムで吸収されていたとも考えられる。

しかし、こんなに狭くても江戸っ子たちは苦にしない。狭いので家財道具などは最少限のものしかなく、借家であるから気軽に移転できるため、江戸の名物である火事で焼け出されてもたいした損害もなく、気楽なものであったらしい。いまの我々のようにモノに占領された狭いところに住んでいるよりずっと健全であるかもしれない。

こういったところに大勢が毎日顔つき合わせていれば、いいにつけ、悪いにつけ何事かあるのは当たり前である。落語にはこの長屋を舞台にしたものが非常に多いのはそういった身近な”事件”を題材にしているからだろう。事件といっても多くは他愛のないものばかりで、凶悪、深刻なものは落語とは無縁である。

長屋の各戸は薄い板一枚で仕切られていたそうで、今で言うプライバシーもなにもあったものではなく、隣の夫婦喧嘩はまる聞こえだし、隣で物を投げたり取っ組み合って壁にぶつかれば、棚の上のものが落ちてくるなどという光景は落語の定番である。こんなときに仲裁に出てくるのが大家さんである。

よく「大家といえば親、店子(たなこ)といえば子」というように、おおかたの大家さんは店子から一目置かれていて、”いい人”に描かれているが、いつもそんな関係だったわけではないようで、なかには因業(いんごう)大家などと言われて店子たちから総スカンを食う大家もでてくる。

大家というのはその長屋の管理人であって、町役(ちょうやく)を兼務していることが多い。店賃(たなちん;家賃)の取立てのほか、店子の祝儀不祝儀の面倒をみたりする反面、長屋の住人の代表としての責任を負っていた。そのため、長屋から縄付きを出したりすれば町奉行所からのおとがめを受けることになり、それだけに厳しく管理する大家は因業にならざるを得なかったのかもしれない。

噺の舞台はこのような長屋が圧倒的に多いが、ほかにも、商家、遊廓、寺社、武家屋敷、旅先、旅籠、屋台、髪結い床、湯屋、船宿に、はては火事場やお白州までいろんなところが舞台となる。このような舞台で繰り広げられる噺から、当時の町人を中心とした人々の生活やら社会の様子が手に取るようにわかるのである。かく言う私の江戸についての知識の大半は落語から教わったものである。まさに学校では教えてくれないことを落語は教えてくれる。

現在の日本人の基本的な精神構造や生活様式は江戸時代に確立したという説があるが、その意味でも江戸というのはこころのふるさとであり、落語はそれを実感させてくれる最も身近な存在である。