赤井御門守(あかいごもんのかみ)
石高十二万三千四百五十六石七斗八升九合半の大名である。丸の内に屋敷を構え、親戚筋には杉平柾目正(すぎだいらまさめのしょう)がいる。なかなかの殿様で、よく出かけては米の相場やそばの作り方など、いろんな耳情報を得て、城中で諸大名に議論を吹っかけるのを楽しみにしていた。もっとも有名なのが、狩りの途中で立ち寄った目黒でさんまを食して以来、「さんまは目黒にかぎる」を流布させたことで【目黒のさんま】、これはいまでも「さんま祭」を毎年やっているのでもわかる。わずかな供ををつれて江戸の市中を歩くうち、たいへんな国宝級の太鼓を見つけたり【火焔太鼓】、見かけた器量のいい娘、おつるを見染めて側室にした。おつるはお世継ぎを生んだが、その節に、がさつな兄がいるので、ぜひお目通りをかなえてほしい、と殿様に進言したので、「兄、八五郎を呼べ!」ということになった。なにしろがさつな八五郎、覚えてきた口上を述べるがさっぱりわからない。「朋友に申すごとく申してみよ」との仰せで、八五郎は「ありがてえ」ってんで、べらんめえでまくしたてるが、殿様にはますますわからない。しかし、鷹揚な殿様は「そうかそうか」と聞いてるうちに、「面白いやつ、召抱えてつかわせ」と八五郎は侍になった。【妾馬(めかうま)または、八五郎出世】
田中三太夫(たなかさんだゆう)
赤井御門守に仕える赤井家の重役である。剣術、柔術の猛者であるが、そんな力自慢もお手あげになったことがある。赤井家の親戚筋にあたる杉平柾目正家臣、治武田治武右衛門(じぶたじぶえもん)が当家に使者に来たとき、なんと使者の口上を忘れたという。なんでも子供のときから物忘れがひどく、そのたびに親父に尻をつねられて、「痛いっ」と思うと思い出すという。「ついてはみどもの臀(いしき)をおつねり願いたい」とて、「いと安きこと」とばかりつねってみたが、子供のときからつねられてるもんで、タコになっていて生半可な指先では歯が立たない。どうしたものかと思案していると、となりの部屋で仕事をしていた大工の留公(とめっこ)が、指先に凄い力量があるという。それじゃあというので、職人のままでは都合悪かろうと、裃を着て、名も中田留太夫として満身の力をこめて尻をつねってやると、「思い出してござる!」、三太夫、喜んで「して、お使者のご口上は?」に「屋敷を出るおり、聞かずに参った」。
このとき留っこは、隠し持ったくぎ抜きで治武右衛門の尻っぺたをひねりあげたのである。【粗忽の使者】
また、田中三太夫は殿様に忠義を尽くすあまり、いろいろと口やかましく、殿様と町人とのやり取りのあいだにも、町人の口の利き方に、いちいちちょっかいを出すので、「三太夫、ひかえておれ!」とそのたびに殿様から叱咤される場面がいくつもある。【八五郎出世】
治武田治武右衛門(じぶたじぶえもん)
杉平柾目正の家臣であるが、生来物忘れがひどいのと、粗忽なため、家中では名物になっている。やることなすことがおかしいので、みんな腹を抱えて笑うようなことをしょっちゅうしでかすのである。そんなわけで、殿様も側においてかわいがっている。いろんな失敗談があるが、先日の赤井御門守の使者には参った。なにしろあの指先のおかげで尻っぺたに穴が空いてしまった。【粗忽の使者】
尾形清十郎(おがたせいじゅうろう)
いまは裏長屋にいるが、もとはれっきとした武士である。釣りが好きでよく行く。きのうは向島に出かけたが、雑魚一匹も釣れず、帰ろうとしたら葭(ヨシ)の茂みからカラスが三羽飛び出した。中を覗いてみると生々しい髑髏、屍があった。気の毒とふくべに残った酒をかけてねんごろに回向して戻ってきたが、その晩向島から来たという若い女の声。さては、狐狸妖怪のたぐいがたぶらかしに来たかと、がらりと戸を開けると、きれいな娘がすうッとはいってきて、「きょうの回向で浮かばれます。お礼におみ足なりともさすりましょう」というので、足をさすらせ肩を叩かせていたところを、隣の八五郎が壁に穴を開けて覗いていた。「あっしもあんないい女なら幽的でもいいから一晩みっちり話がしてみてえ」、と大事にしている釣竿を無理やり借りこんで、向島にとんでいって、大騒ぎをしでかす。【野ざらし】
小言幸兵衛(こごとこうべえ)
麻布古川の家主だが、なにしろ一日中小言の種を探して歩いている。「魚屋!、そうむやみに魚のはらわたをまきちらすな、不衛生でいけねえ。のり屋のばあさん、そんなとこで赤ん坊に小便させちゃいけねえ。あとがくせえじゃないか。くせえと思ったらどっかでめしがこげてるよ!熊公んとこだな。あすこはのべつにめしをこがしてやがる・・・だれだい?はばかりで唄ァうたってるのは。ひどい声だねえ。・・・ほんとにどいつもこいつも、なっちゃいねえ。あきれけえった奴らだ・・・バアさん、いま帰ェったよ」てな具合で、もううるさくってかなわない。きょうも空き家を借りたいてんで、何人かが来ていたが、いろいろ難癖をつけて断っちまった。【小言幸兵衛】
ご隠居(ごいんきょ)
多くは横丁に住んでいて、もう家業を倅にゆずって悠々自適の毎日を送っている。町内でも物知りで通っていて一目置かれているので、なにかと聞きに来る者が多く、頓珍漢なことにもいちいち屁理屈をつけて答えているのには頭が下がる。【浮世根問い、天災】
同じご隠居でも根岸の里などのご隠居はもう少し優雅で、向こう三間両隣を招いて茶の湯を催したりしている。むかしちょっと習っただけなので大方忘れてしまったのを、思い出しながらやっているので、いささか怪しいお茶を出しているらしく、ご隠居も小僧も、どうもこのところ腹具合がおかしくて、ご隠居は16回もはばかりにいったし、小僧ははいったきり出られなくなったと言う。調べてみたら、お湯に青黄粉(あおぎなこ)を入れて、椋(むく)の皮を加えて泡立てたものだった。こんな具合なので、招ばれるほうもなにかと理由をつけて辞退するようになったが、だんだん断りきれずにみんなで引越しする騒ぎになってしまった。【茶の湯】
屑屋の久六(きゅうろく)
立て場ではちったァ名の知られた屑屋だが、たまたま、らくだの家の前を通りがかったのが運の尽きだった。顔中が切り傷だらけの男がらくだの家から呼ぶので、行ってみると、なんとらくだの野郎がくたばっていたのである。前の晩にふぐを自分でさばいてあたったらしい。らくだの兄弟分という傷の男は、とむれえをだしてやりてえんだが、勝手がわからないので、長屋から香典を集めて、大家には、いい酒三升と煮しめを届けるように言えという。長屋中から毛虫のように嫌われているらくだのために、そんなこととてもできない、と断るが、「おとなしく言ってるうちに行け!つべこべ言うなら俺が出て行くが、面倒なことになるぜ」とおどされて、使いっ走りをやらされて、挙句の果てには大家さんの家にらくだの死骸を運び込んで、かんかんのうを踊らされたり、さんざんな目にあった。一段落して、せしめた酒を無理やり飲まされているうちに、だんだん本性が現れて、こんどは兄弟分の男に使いっ走りさせることに。久六は酒乱なのである。実は久六はもとは立派な職業をもっていたが、酒のために零落して屑屋になったのだという。
【らくだ】
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