女房、山の神、嬶(かかあ)
いわゆる主婦のこと。かみさん、おっかあ、などもある。だいたいが、亭主よりもしっかりもので、「おまえさんが商売が下手で、ろくなもん食べさせないんで、このごろ胃が丈夫になっちゃったィ」【火焔太鼓】、「おまえさんみたいな者は豆腐の角に頭をぶつけて死んでおしまい!」【穴どろ】などと、日ごろから亭主の尻をひっぱたいている。亭主のほうは、「あんなうるせえかかあはいねえな、ああいうのはずうずうしいから、生涯うちにいるかも知れねえ・・・」とぼやきながら商売に出かけたりするのである。仕事もせずに富くじに夢中になっている八五郎に、「そんなに富がよかったら富と一緒になったらいいだろう!離縁しとくれッ!」と、なにかというと離縁、離縁を連発するおかみさん【御慶】。
しかし、亭主がうまく儲けたりすると、「お前さんは商売がうまいねェ・・・」【火焔太鼓】とか、千両富に当たって、気を失いそうになって亭主に水を呑まされながら「・・・だからあたしゃお前に富をお買いと言ったんだ・・・」【御慶】などと見事に豹変するのである。いずれも亭主がだらしないから叱咤するのだが、亭主が成功すれば素直に喜ぶ、気のいいおかみさんたちなのである。
花魁(おいらん)
落語に登場する女性のうちでも一番目立つのが花魁である。遊女、女郎などともいうが、吉原や品川の遊郭を舞台に、そういうところで彼女たちはしたたかに生きている。
花魁では喜瀬川という名がよく出てくるが、起請文(きしょうもん)を三人の客に書いておいて、それがばれると居直ったり【三枚起請】、一度に五人の客をとったが、田舎から出てくる、杢兵衛大尽(もくべえだいじん)に貼りついて、ほかの四人をほったらかしにした【五人まわし】が、その後だんだんこの杢兵衛大尽にも愛想がつきて、とうとう自分は死んだことにしてしまった。杢兵衛は本気にして墓に案内しろという。しょうがないので若い衆が杢兵衛を連れて吉原の裏の山谷の墓地で他人の墓を拝んでまわるはめになったり【お見立て】、名うての女郎である。
品川にもお染という花魁がいたが、だんだん年をとって移り替えの金もできなくなって、とうとう心中しようと、本屋の金蔵をにひっぱりこんだが、土壇場で金ができると、先に海に跳びこんだ金蔵を見捨てた【品川心中】。
といったように、花魁は手練手管で客をだますのが身上であるが、それを承知でだまされに行く男たちがいて噺が成り立っているのである。
もっとも、だます女ばかりではない。因州鳥取の藩士、島田重三郎と契りを交わした「高尾太夫」は、仙台候に身請けされたが、お手打ちなっても重三郎に操を立てたという。その後、重三郎は夜な夜な、高尾と取り交わした反魂香(はんごんこう)を焚いては高尾の亡霊を呼び出し、逢瀬を楽しんでいる【反魂香】。
権助(ごんすけ)
権助というのは、飯炊き男または下男のことで、だいたいが田舎出で、田舎ことばまるだしでしゃべる。しろうと芝居で役者が不足になったために、「村芝居(むらすべえ)では”あまっ子がた(女形)”に出ていた」と豪語する権助を代役に仕立てたが、頓珍漢なやりとりで大騒動になる【権助芝居】。ほかにも【権助提灯】など権助ものがあるが、いずれも、その田舎ことばで田舎者ぶりを存分に発揮している。しかし、しっかり世の中を見ていて、なかなかどうして、軽々に”いなかもん”とはあなどれない。
泥坊(どろぼう)
落語の世界ではなくてはならない重要な役者である。しかし、いずれも本業でちゃんと仕事ができないがゆえに、こうして落語で後々までも語り伝えられているのである。泥坊にもプロと、アマがある。プロの泥坊は初めから狙った家にはいり込むのであるが、アマのほうは、金策がうまく行かずに歩いているうちに、たまたま裏木戸が開いていたので、つい出来心で上がり込んでしまった、というくちである【穴どろ】。プロは一応、名前を持っているのもいるが、いずれもぱっとしない。石川五右衛門の遠い子分で、石川二右衛門半とか鼠小僧の子分で、土竜(もぐら)小僧泥之助、その子分の鼬(いたち)小僧才五兵衛など、聞いただけでドジを踏みそうな名ばかりである。
その鼬小僧は、さる旦那の妾の家に忍び込んだが、色仕掛けに引っかかって夫婦約束をし、有り金を巻き上げられて追い返されたが、翌日行ってみると、もぬけの殻だった。これほど見事にだまされた泥坊は他に例がない【転宅】。
うまく忍び込んで仕事をしていたら、家人が戻ってきて、あわてて台所の床下に隠れたが、置き忘れた大きな風呂敷づつみを巡ってその家で夫婦喧嘩が始まり、床下から出てきて仲裁にはいった泥坊【締め込み】。
ちゃんと下見をしないで、とてつもない貧乏人のところにはいって言われるがままに、たばこや金を与えてしまった粗忽な泥坊【夏どろ】。
やはり、仕事中に家の者が帰ってきたので隠れたが、その住人が大家の盗難調べに過大な申告をするので、いたたまれなくて飛び出した正義派の泥坊【出来心】。
うまく忍び込んで、大きなつつみをこしらえて、これをしょって逃げようとすると、パチリ、パチリと碁を打つ音がする。音にひかされて、つつみをしょったまま座敷にはいって、脇で助言を始めた、碁のめっぽう好きな泥坊【碁どろ】。
などなど、まだたくさんの盗っ人が出没するが、まさに「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」のとおりである。
狐狸(きつねたぬき)
人間だけでなく、きつねやたぬきも落語世界の常連である。両方とも化けることで噺に関わるわけだが、比べてみると、きつねは人や物に化けて人間をだますが、たぬきは大入道や唐傘(からかさ)の化け物などになって、「ももんがァーっ!」などと人間をおどかして喜んでいる。したがって、木の葉の小判や、馬糞のまんじゅうや、肥溜めで湯に浸かっているようにだますのは、きつねの仕業である。どちらかというとたちが悪い。その点、たぬきのほうは化けるのは下手で、化けそこなったり、ひどいときには化けるのを忘れて、たぬきのまま出てきてとっ捕まってしまう、という間抜けなところもあって愛嬌がある。それに、たぬきはいたずらはするが、人間の手伝いをしたりするので、重宝なところもあるのである。
子供につかまって殺されそうになっていた子だぬきが、助けた八っつあんに恩返ししたいと、一円札に化けたり、さいころに化けたりするが、裏に毛が生えていて、なんとなくあったかい札だったり、転がると言うより横にずってゆくさいころだったりで、怪しまれる噺【狸賽(たぬさい)】とか、人使いの荒い隠居の家に住み着いたたぬきが、一つ目小僧や、三つ目大入道の化け物になっておどそうとするが、隠居は一向に動じない。それどころか、つぎつぎに用事を言いつけるので、四日目にお暇を願い出た【ばけもの使い】とか、滑稽なことが多い。一方、きつねにも、人間をだまそうとうまく町娘に化けたものの、料理屋に連れ込まれ、酒を飲まされて不覚にも眠ってしまい、油断して化けの皮がはがれて、散々な目にあって逃げ帰る。だました人間は後で、お稲荷さんのお使い狐と聞いて、あんころもちを土産に、狐の穴に謝りに行くが、子狐に親狐が「食べるんじゃないよ!馬糞かもしれない」というすぐれたサゲの噺【王子の狐】がある。
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