三陸の旅 2015.10.12~14      
あの大震災から4年半が過ぎ、現地の復興の進み具合がいろいろと報道されている。遅ればせながら復興状況の見聞を含めて三陸を巡ることになった。
ひとくちに三陸と言っても宮城県の一部・岩手県と青森県全域が含まれるほどに広いが、概ね八戸・宮古・釜石・気仙沼・石巻に至る太平洋岸地帯を表すことが多いという。本来は八戸から石巻までを巡るのが順当だが、交通事情などから3日間では無理であるため、今回はこのうち宮古から気仙沼までを巡ることになった。このルートでは津波によって破壊されたJR山田線(宮古-釜石)とJR大船渡線(盛-気仙沼)が運行休止となっているため、これらの区間にはバスが運行している。鉄道主体の旅だがいたしかたない。
東京からのアクセスには東北新幹線と海岸地域に向かうJRのローカル線を利用し、その後、路線バスと三陸鉄道南リアス線およびJRの代行バス(BRT)を乗り継いでゆくことになる。いずれも過疎路線ばかりなので乗り継ぎなどで待ち時間が長く、非常に効率の悪い行程となってしまうのだが、これほど乗り継ぎの多い旅も珍しいのでのんびり行くことにする。

区間 移動手段 営業キロ 移動時間
1日目 東京-盛岡 東北新幹線 535.0 8:20-10:31 (2:11)
盛岡-宮古 JR山田線 102.1 11:08-13:08 (2:00)
2日目 宮古-岩手船越 岩手県北バス 30.8 10:10-11:14 (1:04)
岩手船越-釜石 岩手県交通バス 24.0 11:49-12:36 (0:47)
釜石-盛 三陸鉄道南リアス線 36.6 14:06-15:02 (0:56)
盛-気仙沼 JR大船渡線BRT 43.7 16:06-17:28 (1:22)
3日目 気仙沼-一ノ関 JR大船渡線 62.0 9:14-10:37 (1:23)
一ノ関-東京 東北新幹線 445.1 16:37-18:52 (2:15)

東京駅

(動画)
東京駅23番線ホーム
8:20発「はやぶさ5号」入線
盛岡→宮古 浄土ヶ浜 宮古→釜石 釜石→盛 盛→気仙沼 気仙沼→一ノ関 平泉

盛岡→(JR山田線)→宮古

盛岡駅の山田線発着ホーム キハ110系「快速リアス」で宮古へ向かう。

盛岡駅東北本線仙台方面行きホームのJR701系。東北新幹線の開通によって東北本線は盛岡駅で南北に分断され、盛岡以北は第3セクターのIGR岩手銀河鉄道(盛岡-目時)と青い森鉄道(目時-青森)に転換された。

宮古駅に到着

JR宮古駅 2012年に改装されたという。

JR宮古駅構内 2面3線のホーム構成 この先の山田線は釜石駅まで津波被害で運休となっているので宮古駅が実質的な終点となっている。

三陸鉄道宮古駅 久慈方面への北リアス線71.0kmの起点駅

JRホームから三陸鉄道ホームへの乗り換え口

片側1面ホームに停車中の北リアス線久慈行き列車。今回は残念ながら北リアス線には乗ることができなかったが、宮古駅を起点に71.0km先の久慈駅までの16駅(起終点を含む)をおよそ1時間40分で結ぶ。

右の線路が三陸鉄道、左はJR山田線盛岡方面

浄土ヶ浜
三陸海岸一帯はもともと陸中海岸国立公園という名称だったが、2011年の東日本大震災による津波で大きな被害を受けたことで、震災からの復興と被害の伝承を目的として三陸復興国立公園と改名した。浄土ヶ浜はその中で中心的な景勝地となっている。
浄土ヶ浜は陸側からの景色のほか、海側から海岸線を眺める遊覧船が運行されている。

火山の活動で形成された白色流紋岩の奇岩や島が点在し岬をつくるなど非常に変化に富んだ景観を呈する。これらの奇岩により外海と隔離された波静かな入り江ができ、美しい浜となっている。
浄土ヶ浜の名の由来は、「宮古山常安寺」の七世霊鏡竜湖和尚が当地を訪れ、その美しさに「さながら極楽浄土のごとし」と驚嘆したことから来ているといわれる。

静かな入り江は海水浴もできるという。外海の水平線が見える。

鋭く尖った岩の連なりは異様だが魅力ある景観だ。

船を追って飛ぶウミネコの群れ。船からの餌付けをしているために集まってくる。
てっぺんの樹木は岩手県の県木であるナンブアカマツの林。
ローソク岩
火成岩が周囲の水成岩を突き破って形成されてできたという。
昭和14年9月に国の天然記念物に指定された。
姉ヶ崎
高さ60メートルの断崖絶壁が連なる。波が長い時間をかけて浸食してできたという。
日出島(ひでしま)
別名を軍艦島といい、宮古市内で最大の島。クロコシジロウミツバメ繁殖地として昭和10年に国の天然記念物に指定されているという。
宿舎「グリーンピア三陸みやこ」

宮古駅前から路線バスで約40分、田老地区の高台にある。

オーシャンビューの部屋からのご来光

このホテルの敷地の一角に建つ仮設住宅。400戸が居住していると聞く。また、ホテル内には住民のために診療所や薬局が開設されている。まだまだ被災者の苦難は続くのだろうか。

宮古→(岩手県北バス)→岩手船越→(岩手県交通バス)→釜石

宮古駅前のバスターミナル ここから岩手船越駅前までは岩手県北バスの路線バスに乗り、引き続き岩手県交通の路線バスに乗り継いで釜石に向かう。
宮古駅前を発車したバスの車窓から見かける津波到達高さを示す標識。ここでは4m00cmまで浸水したという実際の高さに掲げられている。こんな市内で4メートルも水が来たとは想像もつかない。ここに写っている家屋は新しいので、恐らく流されて立て直したのだろう。
同様に、ここでは3m00cmとある。
津波で道路が浸水する区間を表示する標識。
津波襲来時に浸水区間は通行止めになる旨を知らせる看板。
ところどころで並走する山田線の線路。運行休止中のためレールは赤くさび付いている。沿線には新築したらしい家屋が並び立つ。
(津軽石駅付近)
列車の来ない踏切。遮断器や警報灯も取り外されている。
延々と続く工事現場。おもに防潮堤と見られるが、どれも巨大なものだ。
その距離も気が遠くなりそうな長さだ。どれだけの時間と資材とマンパワーをつぎこむのだろう。
(陸中山田付近)

工事現場が途切れると、復活したたくさんの養殖筏が浮かぶ静かで平和な海があった。

やがて、宮古駅からの岩手県北バスは終点の岩手船越駅前停留所に到着した。

JR岩手船越駅は封鎖されている。津波はここまでは来なかったと見えて、駅舎はちゃんと立っている。
因みに、この駅は本州最東端に位置する駅である。

ホームをのぞいてみると、雑草が生い茂り、線路も赤さびだ。

停留所の周りには何もなく、次の釜石行きバスの出発までの待ち時間が長いので、ひとつ手前の「道の駅やまだ」まで歩いて引き返す。

釜石行きは岩手県交通バスに代わる。

釜石→(三陸鉄道南リアス線)→盛

JR釜石駅 「2019ラグビーW杯の開催地決定」の横断幕がかかる

駅前にある新日鐵住金 釜石製鐵所 ラグビーのご本尊だ。

三陸鉄道釜石駅 JR駅の並びにある。
南リアス線は2011年3月11日の震災の津波被害により全線が不通になったが、2013年4月3日に盛-吉浜間が運行を再開し、翌2014年4月5日に吉浜-釜石間も再開したことで全線が復旧した。

三陸鉄道南リアス線(盛ー釜石)と、左はJR釜石線(花巻-釜石)ホーム。
南リアス線は単行運転。1日9往復しか運転されない。

36(さんりく)700形気動車は震災後にクエート国の支援により新造・導入したという。その証として前面左窓下のロゴと側面前部にアラビア語・英語・日本語で感謝のことばが記されている。

釜石大観音 いさり火大観音とも。。。平田(へいた)駅

唐丹(とうに)駅で行き違い交換

路盤も線路もホームもすべて新しくつくりなおしたようだ。基本は単行運転のはずだが、2両編成とは?

唐丹駅はトンネルに挟まれた駅。あの津波の当日、トンネルを走行中だったために助かった列車というのはこのあたりの話らしい。車両もトンネルに残されたために無傷で、南リアス線の復旧開通時にトンネルから引き出され、自力走行して線路の試験運転ができたという。

唐丹-吉浜間の海  唐丹地区の海には津波による大量のガレキが沈んでいるというが、見たところ海面は平穏そのものだ。
吉浜駅付近
三陸駅付近の工事現場
リアス式海岸の様子がわかる。
恋し浜駅
旧駅名は小石浜であったが、地元の小石浜地区で産するホタテのブランド「恋し浜」ににちなんで改名したという。右の「幸せの鐘」の透かし彫りにはこれまた「恋いし浜」というバラの新種があしらわれているとか。よく見るとたしかにバラの花らしきものがある。”コイシハマ”づくしだ。
綾里(りょうり)駅
駅舎に塔と丸っこい建物が見えるが、東北の駅百選に選定されているという。
綾里駅付近
この辺りは津波被害はなかったようだ。
陸前赤崎駅付近
線路は築堤上を走る。震災でその築堤が大きく陥没したという。

盛駅に到着。ホームはJR大船渡線BRTと共用していて、左側はBRT乗り場となっている。

釜石方向を望む。わきに小規模な車両基地と岩手開発鉄道(貨物)の留置線がある。この辺りも浸水して、留置してあった車両はすべて廃車となったという。

車両基地の脇をBRTの回送バスがやってきた。このバス道は大船渡線の線路の上をかさ上げして舗装したもので、バス以外の立ち入りは禁止されている。線路と同じ扱いなのだ。

JR盛駅の駅舎

大船渡線のホームがそのままBRT乗り場となっている。跨線橋もそのまま。この2車線の道路は大船渡線の複線線路跡で、かさ上げしてホームと同じ高さにしている。遠方にはBRTのバスが待機している。

盛→(JR大船渡線BRT)→気仙沼

ここからは、JRが運営する大船渡線BRT(Bus Rapid Transit)バスに乗って気仙沼に向かう。盛-気仙沼間43.7kmのうち、盛-大船渡-小友駅付近の13.2kmおよび鹿折唐桑駅付近-気仙沼2.3kmの計15.5㎞が大船渡線の線路上を舗装したBRT専用道となっている。その他の区間は大船渡線に並行する一般道を走ることになる。

突如虹がかかった! 下船渡付近
BRT専用道を走る(細浦付近)

踏切を通過 遮断機はBRT道を遮断するように下りる。(碁石海岸口付近)

小友(おとも)駅 右ホームの柱の陰にお客さんがひとりいるが、閑散としている。
かさ上げ工事現場
(一般道陸前高田付近)

陸前高田駅 この女性はだれかを迎えにきたのだろうか

かさ上げのための土砂を運ぶ大規模なコンベアシステムだが、9月に役目を終えて10月14日から解体されることになっていた。奇しくもその前日にそばを通りかかったのである。
(新しく設置された「奇跡の一本松駅」付近)

とっぷりと暮れた気仙沼駅に到着。

気仙沼→(JR大船渡線)→一ノ関

気仙沼港の夜景(ひときわ明るいところは魚市場)↑と夜明け↓(気仙沼プラザホテルから)

内湾地域の風景

JR気仙沼駅

大船渡線一ノ関行き キハ100系普通列車

矢越-小梨間の農村風景

真滝駅で下り列車との行き違い交換

一ノ関駅

東北本線の仙台方面行き701系電車(仙台支社所属)
盛岡行き701系電車(盛岡支社所属)

平泉
平泉には中尊寺と毛越寺という奥州藤原氏にゆかりの寺院がある。2011年、これらを含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登録された。

JR平泉駅
2011年の東日本大震災で大被害を受けた駅は中尊寺や毛越寺が世界遺産に登録されることも視野に入れてリニューアルすることになり、同年5月から工事が始まって11月1日にすべての改修を終えた。
この駅はJR東日本のエコステ(さまざまな環境保全技術を導入した駅づくり)のモデル対象になり、駅で使用する電力を自然エネルギーで賄うことを目指しているという。

中尊寺境内から北上川を望む。鉄道線路は東北本線。

中尊寺本堂
関山中尊寺は850年(嘉祥3年)、比叡山の慈覚大師円仁により開山されたといわれる。その後11世紀後半にこの地を平定した奥州藤原氏の藤原清衡が1105年(長治2年)、かつて関所(衣関)のあった要衝の地、関山に中尊寺を造営した。そのため山号を関山という。明治42年(1909)の再建。

金色堂
中尊寺創建時の唯一の遺構で、奥州藤原氏の葬堂として藤原三代の遺体が保存され祀られている。堂内における平安時代の漆工芸・金属工芸・仏教彫刻の粋を凝縮した造りは奥州藤原氏の権勢を示すものとなっている。
金色堂は、堂を風雪から守るために覆い堂がかけられているが、内部の写真撮影は禁止なので、一般に金色堂の写真と言えばこの覆い堂しかない。
不動堂
昭和52年に建立されたというから新しい祈祷堂だ。ご本尊の不動明王は1684年に仙台藩主伊達綱村が天下泰平を祈願して作ったものという。庶民に人気のあるお不動さんはどこでも祀られていてお寺参拝の客寄せになっているようだ。
松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出たのは
奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)で、44日後の5月13日に平泉を訪れた。

「夏草や 兵どもが 夢のあと」
「五月雨の 降り残してや 光堂」

毛越寺(もうつうじ)
中尊寺と同じく慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代に多くの伽藍が造営された。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭ってすべての建物が焼失した。現在は、大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されている。

本堂
平成元年に平安様式で建立された。

大泉が池のまわりは浄土庭園が広がっている。  →パノラマ写真
平泉の仏たち
中尊寺嶺薬師堂
薬師如来
中尊寺瑠璃光院
薬師如来
中尊寺本堂
釈迦如来
14世紀に焼失した丈六釈迦如来坐像を平成25年(2013)に再造立した。
中尊寺薬師堂
薬師如来
中尊寺大日堂
大日如来
中尊寺弁財天堂
弁財天
毛越寺常行堂
宝冠阿弥陀如来
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