瀬戸大橋・高松・松山鉄道旅 2015.09.15~16
鉄道道路併用橋としては世界最長の瀬戸大橋を列車で渡って四国の高松市と松山市の鉄道旅に出た。

瀬戸大橋とは瀬戸内海をまたいで本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)の間に浮かぶ塩飽(しわく)諸島の5つの島伝いに架けられた6つの橋梁と、それらを結ぶ高架橋の総称である。1978年から9年半の歳月をかけて1988年4月10日に開業した。橋梁部は9368mで高架部を含めると13.1kmの長さをもつ。橋梁は2階建てになっていて上部を4車線の道路(瀬戸中央自動車道)、下部には鉄道(JR本四備讃線;愛称「瀬戸大橋線」)が走る。鉄道は、現在は複線の在来線が運行しているが、将来の新幹線用複線線路敷設の準備がされている。

四国には社用で高松まで空路で行ったことがあるが、鉄道では行ったことがない。JR瀬戸大橋線には岡山駅と高松駅間を結ぶ快速マリンライナーがほぼ30分おきに運転されており、1時間弱で結んでいるので、まず空路で岡山に飛んで岡山駅から四国に渡ることにする。
おおまかな行程は、
羽田空港(空路)→岡山空港→岡山駅(宇野線・瀬戸大橋線・予讃線)→高松駅(予讃線)→松山駅→松山空港(空路)→羽田空港
途中の坂出駅で下車し、「瀬戸大橋記念公園」に立ち寄る。
岡山市路面電車 瀬戸大橋線 瀬戸大橋記念公園 高松駅 高松駅を出入りする列車 玉藻公園
琴平電鉄 予讃線で松山へ 松山駅 大手町駅の平面交差 松山市駅 道後温泉
ANA651便岡山行き787機
羽田空港7:25発

岡山市路面電車
8:40岡山空港到着、リムジンバスで岡山駅へ。ここでマリンライナー出発までの間に駆け足で岡山市の路面電車をチェックする。公営交通ではなく、岡山電気軌道株式会社が運営する路面電車で、東山線3.1kmと清輝橋(せいきばし)線1.6kmの2路線からなる。JR岡山駅前にはターミナルがある。

岡山駅前停留所

瀬戸大橋線
10:23発の快速マリンライナー21号でいよいよ瀬戸大橋を渡る。瀬戸大橋線(本四備讃線)は宇野線(岡山-宇野)の茶屋町駅と四国の宇多津駅および坂出駅までを結ぶ新しく建設された路線である。すべての列車が宇野線を通って岡山駅発着となる。四国にはいると、線路は高松方面と松山方面に分岐し、それぞれ予讃線の坂出駅と宇多津(うたづ)駅につながるという複雑な配線となっている。なお、宇野線の終点である宇野駅からはJR宇高航路(宇野-高松間)として連絡船が運航されていたが、瀬戸大橋の開通により1988年に廃止となった。
岡山駅で、途中下車する坂出駅までの切符を買ってからマリンライナーのホームに行くと、予想外に混んでいて行列ができている。客層はサラリーマンやジャージを着た学生の団体、お年寄りなど地元民と思われる人が多く、観光客らしき人はそれほど見当たらない。開業以来四半世紀以上たって瀬戸内海を越えて鉄道で移動する人の大きな流れが定着しているものと見える。30分おきに快速マリンライナーが運転されていることでもわかる。

5両編成の電車に乗り込むと窓側の座席は埋まっている。海を渡る車窓風景を撮影するにははなはだ不都合だが、幸いドア付近は立っている人がいないのでドアのガラス越しに撮影することにした。このほうが右側も左側も自由に移動して写すことができる。

マリンライナー21号は岡山駅を発車すると妹尾・茶屋町・児島の順に停車する。児島駅はJR西日本とJR四国の境界駅なので乗務員が交代する。児島駅を出てすぐ鷲羽山トンネルに入り、そのトンネルを出るとそのまま最初の下津井瀬戸大橋(1436m)にさしかかる。上にはすでに道路が来ていて2層構造の吊り橋である。この先以下のように5つの島伝いに6つの橋梁を渡ってゆく。

橋梁名 長さ 橋梁の形 経由する島など
1 下津井瀬戸大橋 1436m 吊り橋 児島半島-櫃石島
2 櫃石島橋  729m 斜張橋 櫃石島-岩黒島
3 岩黒島橋  792m 斜張橋 岩黒島-羽佐島
4 与島橋  875m トラス橋 羽佐島-与島
5 北備讃瀬戸大橋 1611m 吊り橋 与島-三つ子島
6 南備讃瀬戸大橋 1723m 吊り橋 三つ子島-坂出市番の州
参考(日本鉄道旅行地図帳:新潮「旅」ムック)



こんなに長い時間(橋梁部約10分)を電車で海を渡るようなところは日本で唯一だろう。しかも瀬戸内海という美しい海の俯瞰がすばらしい。

瀬戸大橋を渡り終えて四国側に到達するとそこには坂出の工場地帯が広がる。これは川崎重工坂出工場で、コンテナ船とLNGタンカーを製造する造船所である。

やがて線路は宇多津駅方面と坂出駅方面に分岐する。奥の線路は宇多津方面で、特急「しおかぜ」などが松山方面に向かう線路。この列車の走る線路は坂出駅に向かう線路で、マリンライナー専用である。大橋を渡って最初の停車駅は坂出駅。ここで途中下車して瀬戸大橋を間近に見られる公園に向かう。

瀬戸大橋記念公園

坂出駅は瀬戸大橋の最寄り駅。駅前から「瀬戸大橋記念公園」行きの路線バスが出ている。

坂出駅から約30分で記念公園に着く。平成3年の開園当時は賑わったのだろうが、展示館などの建物は早くも遺跡のような雰囲気である。しかし、公園の突端から展望する瀬戸大橋の威容はすごい。来てよかった、と十分に思わせる。

公園上空を横切る高架橋

与島との間にかかる2つの吊り橋。南備讃橋(手前)と北備讃橋。

与島にかかるトラス橋(与島橋)と、2つの斜張橋(岩島島橋と櫃石島橋)。右側のループ橋は与島パーキングエリアへの連絡道。

上は自動車専用道、下は鉄道の2層構造。電車と比べると橋の巨大さがわかる。

高松駅(愛称:さぬき高松うどん駅)
坂出駅から再びマリンライナーに乗って15分で高松駅に到着する。高松駅は予讃線(高松-松山-宇和島291.3km)と高徳線(高松-徳島74.5km)の起点である。かつては現在の駅の300m先に高松桟橋があって岡山県宇野港と結ぶ宇高連絡船が接続していた。そのため、その名残で線路が行きどまりになる頭端式のホーム構造となっている。ホームは4面9線という大規模なものだが、駅正面入口から改札を通ってホームまで全く段差がなく、完全なバリアフリーである。そのかわりホーム間の連絡通路はホーム頭端部だけである。

車止めのある行きどまりの頭端式ホーム。砂利を盛り上げてあるが、ホーム間移動でショートカットして渡らないように通行禁止の看板がある。

4面のホームにずらりと並ぶ5本の列車。左端のホームは非電化の高徳線気動車用(架線が張られていない)。右の3面は予讃線電車用ホーム。

高松駅正面出入り口。ホームまでは完全バリアフリー。2階には飲食店などの商業施設がある。

高松駅を出入りする列車
高松駅には予讃線・高徳線のほか土讃線・瀬戸大橋線直通列車が発着する。ホームは4面で、のりばは9線あるが、そのうち高徳線用のホームは先端の一部を切り欠いて1番~3番のりばを設置している。3面ある予讃線用のホームには4番~9番のりばが設置されている。

7番のりばの2000系気動車特急「いしづち」13号と、8番のりばの普通電車6000系

3番のりばの高徳線2000系気動車特急「うずしお」と、4番のりばの予讃線121系普通電車

5番のりばの岡山行き「快速マリンライナー」 基本的にJR四国の5000系(手前の3両)と、JR西日本の223系(後方2両)を連結して5両編成で運転される。高松寄り先頭車は2階建ての有料指定席車。

快速マリンライナーと並ぶ6番のりばの特急「いしづち3号」松山行き8000系電車。高松発の「いしづち」は3両または2両編成で、宇多津駅で岡山からくる特急「しおかぜ」と連結して松山駅に向かう。

1番のりばの高徳線引田行き1500形気動車 ワンマンの単行運転

高徳線3番のりばに進入する2000系気動車の特急「うずしお」

予讃線観音寺行きの7000系普通電車

1番のりばに進入する高徳線の1000形気動車による普通列車

荒木経惟がデザインした特別ラッピングの113系電車(アラーキー列車) 

玉藻公園(史跡高松城跡)
高松城は天正15年(1587)に生駒親正によって築城され、以来4代54年の治世ののち、寛永19年(1642)から松平家が11代228年にわたって城主となり、高松は松平家の城下町として栄えた。明治になって一時廃城になり政府の所有となったが、明治23年(1890)に城跡の一部が松平家に払い下げられたが、昭和29年(1954)に高松市が譲り受けて翌年に高松市立玉藻公園として一般に開放された。城跡には重要文化財の3つの櫓と城門のほか、石垣と堀が残り、国の史跡に指定されている。玉藻(たまも)の由来は、柿本人麻呂が万葉集で讃岐の国の枕言葉に「玉藻よし」と詠んだことにちなんで、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたためという。

内堀 右の石垣は天守閣跡

天守閣は明治17年(1884)に老朽化を理由に取り壊されたが、平成17年から天守台修復工事が行われて平成25年に完成した。地元では今後天守閣復元への期待があるらしい。

内堀と水門 この城は堀に瀬戸内海の海水を引き入れた水城(みずしろ)で、干潮時の水位調節のために水門(画像奥)が設けられている。堀にはタイやチヌなどの海の魚が棲息しているという。なお、日本三大水城として、高松城のほか愛媛県今治城・大分県中津城がある。

石垣や堀に接している琴平電鉄の高松築港駅ホーム。

鞘橋(さやばし) 本丸と二の丸をつないでいる唯一の動線で、この橋を落とすことによって本丸だけを守ることができるようになっていた。橋の本丸側(右端)の屋根と欄干の色が違うのは、平成18年から行われた天守台石垣の修理工事に伴って、橋の本丸側の一部が解体修理されたが、石垣が修理されたことに伴い、橋の長さが伸ばされたためらしい。おそらく屋根は銅葺きで、伸長部はまだ緑青が発生していないため銅色をしているのだろう。

艮(うしとら)櫓 重要文化財に指定されている3つの櫓のひとつ。中堀にかかる旭橋と旭門。
走る電車の車内から撮影した。

高松琴平電鉄
高松琴平電気鉄道(愛称ことでん)は香川県下に3つの路線を持つ。1943年に高松市周辺の鉄道事業者が合併して発足した。
路線は、琴平線(高松築港駅-琴電琴平駅 32.9km)・長尾線(瓦町駅-長尾駅 14.6km)・志度線(瓦町駅-琴電志度駅 12.5km)で、すべての路線は瓦町駅に集まる。

玉藻公園入口に隣接する高松築港駅

2面2線のホームで、1番ホームは琴平線乗車、2番は同降車専用、3番は長尾線の乗降ホーム
動画

高松築港駅に入線する電車

高松築港駅に停車する電車。
左は長尾線1300形(もと京急電鉄1000形)で、ラインカラーは緑色。右は琴平線1100形電車(もと京王電鉄5000系)で、ラインカラーは黄色。高松築港駅から片原町駅手前までは長尾線(左)と琴平線(右)が単線で並走する形になっている。

公園の鞘橋から高松築港駅のホームを見る。

高松城の中堀に沿って走る琴平線1200形電車。もと京急電鉄700形を改造したもの。一見、逆走しているようだが、ここでは琴平線と長尾線が単線で並走しているのだ。

片原町アーケード街を横断する電車。

片原町駅前の踏切。

瓦町駅で待機する志度線の600形800番台の電車。もと名古屋市交通局の車両。瓦町駅の志度線ホームは琴平線・長尾線ホームとは離れた場所にあって、相互の乗り入れはしない。ラインカラーは赤色。

予讃線で松山へ
2日目は高松から予讃線の特急「いしづち」に乗って松山へと移動する。194.4kmの距離を2時間半で走破する。評定速度は約78km/h。それほどの速さではないが、ノンビリと行くことにする。

高松駅6番のりばに入線する「いしづち3号」8000系特急型電車。3両編成で最後部(この写真では最前部)は指定席車両。宇多津駅で岡山から瀬戸大橋線経由で来る5両編成の「しおかぜ3号」と連結して8両編成で松山に向かう。
指定席車両は木製のシートでちょっと高級感がある。座ってみると、モケットなどはいい感じだ。足元は広いが、幅が少し狭いような気がする。隣に体格の良いサラリーマンが座ったが、窮屈なのか頻繁にごそごそ動くたびにシート全体が結構揺れるのが気になった。こちらも写真を撮るのにからだをひねったりして動くので、お互いさまなのだが。

瀬戸大橋線との分岐点。前方の高架線は瀬戸大橋線からの合流線。 坂出-宇多津間

せっかく海側の窓席をとったのに、小雨模様で期待していた瀬戸内海の景色は望み薄だ。海岸寺付近

海から遠ざかると農村地帯が広がる。 みの-高瀬間

川之江城と思われる天守閣 川之江付近

大王製紙の工場付近を通る 伊予三島付近

大浦付近の海岸線

松山運転所が見えてきてまもなく松山駅到着だ。

松山駅

現在のJR松山駅は1927年(昭和2年)に国有鉄道の予讃線(当時は讃予線)が通じて開業したものだが、それは全国の県庁所在地で最も遅い国有鉄道の開通だった。一方、四国で初めて、日本で3番目の私鉄となる伊予鉄道が40年前の1888年(明治21年)に開通し、そのターミナルが市内中心部に「松山駅」として開業していた。国有鉄道の駅は中心街から離れた市街地の西端に建設されることになったが、国有鉄道を運営する鉄道省は伊予鉄道に対して「松山駅」の駅名を譲るよう要求した。伊予鉄道側はこれに反発し、「伊予松山駅」とでもすればよい、と反対して紛糾したが、鉄道省側が中央からの圧力をかけ、結果として伊予鉄道は「松山駅」を国有鉄道に譲って、「松山市駅」と改称した。しかしJR松山駅は市の中心部から隔たっていることから、いまもなお松山市駅が市の中心駅であり続けている。
松山駅では、1953年に建てられた駅舎の老朽化が進んでおり、2000年に駅本屋をレトロ調に改装したものの、構造的にも利用者に不便を強いていることから、高架化とともに建て替えの計画がある。

松山駅前には伊予鉄道の路面電車が発着する「JR松山駅前」停留所がある。松山市駅にはこの路面電車で連絡している。電車のりばの看板に「市駅」とあるのは松山市駅のことである。

大手町駅前の平面交差
松山駅の正面道路を路面電車沿いに歩くと、伊予鉄道高浜線の大手町駅がある。ここでは路面電車(大手町線)との平面交差が行われている。鉄道線と軌道線の平面交差は貴重なシーンだ。

平面交差の現場 直交する架線も興味の的だ。

高浜線の電車が豪快なジョイント音を響かせて渡ってくる。3000系(もと京王井の頭線の3000系)↑↓


軽快にわたってゆく路面電車↑↓

松山市駅
松山市駅は伊予鉄道の中核駅で、郊外線の3線(高浜線・横河原線・郡中線)が集まり、市内線(路面電車)のターミナルもある。松山市の中心街にあって松山市の実質的な中心駅となっており、JR松山駅と区別して「市駅」と呼ぶことが定着している。
松山市駅ビルの1階にある入口。
ホームは地下にある。
この駅ビルには四国最大のデパートである「いよてつ高島屋」が入居している。
駅前にある市内線(路面電車)停留所。坊っちゃん列車も発着する。
路面電車の引き上げ線。
坊っちゃん列車を牽引する機関車の方向転換が行われるという。
動画

道後温泉行電車の入線・発車

道後温泉

道後温泉駅前のアーケード街入口。ここを入ってゆくと道後温泉本館に行ける。途中で鯛めしを食したが、ちょっといまいち。

道後温泉本館
夏目漱石の「坊っちゃん」で主人公が足しげく通った温泉のモデルとなった。漱石は明治27年(1894)に建てられた本館によく通ったといわれる。

道後温泉は日本最古の温泉の一つとして知られるが、もっとも有名なのが公共の入浴施設として建てられた近代和風建築の本館建物。当時のままの様子はひときわ目立つ。

道後温泉停留所

坊っちゃん列車第1編成
坊っちゃん列車とは軽便鉄道時代の伊予鉄道に在籍していた蒸気機関車と、それが牽引していた列車をいう。夏目漱石の「坊っちゃん」の中に、この列車が「マッチ箱のような汽車」として登場しており、主人公の坊っちゃんがこれに乗ったことから、坊っちゃん列車と呼ばれるようになった。2001年に2編成が復元され、市内線で運行されている。本来は蒸気機関だが、ディーゼル機関を動力としている。


発車を待つ坊っちゃん列車第2編成
動画

坊っちゃん列車発車(道後温泉駅)

松山の繁華街「大街道」
ここから松山城ロープウェイに行きかけたが、とうとう雨が降り出した。
残念だが取りやめて、松山空港行きリムジンバスに乗るために松山駅に引き返す。

雨の松山空港
帰りのANA596便は30分遅れて到着した。このところ帰りの飛行機には遅延やら機材変更などなにかとトラブルが多い。それでも帰りの便なので、後のスケジュールへのしわ寄せはないのだが。。。
鉄道総合サイト:「鉄道少年の成れの果て」