高尾山薬王院

高尾山は古くから山岳信仰の霊場で、その中心となるのが薬王院である。正式には「高尾山薬王院有喜寺(たかおさんやくおういんゆうきじ)」と号する真言宗智山派の大本山で、真言宗関東三山として成田山新勝寺、川崎大師平間寺とともに名だたる名刹のひとつである。
草創は奈良時代の天平16年(744)、聖武天皇の勅命により、行基(ぎょうき)菩薩が自刻の薬師如来像を安置したことにはじまるという。南北朝時代の永和年間(1375〜79)になって、山城国醍醐山の僧俊源が入山し、不動明王の御前にて真言密教の秘法を修練し、滝に打たれる水行の末に感得(かんとく)した飯綱権現(いづなごんげん)を一山の守護神として奉安した。以来、高尾山は山岳修験の道場となり、薬師、不動、飯綱権現を併祀する神仏混淆の霊山として現在まで信仰されている。このため、薬王院は薬師如来を安置する大本堂、飯綱権現を安置する飯綱権現堂、不動明王を祀る奥之院不動堂の三堂を中核に構成されている。(参考:JTB刊「江戸東京の古寺を歩く」)

高尾山といえばハイキングコースで名高く、いつでも賑わっているが、昔から東京の小学校の遠足の定番であった。小学校2年生のときに遠足で来たことがあってケーブルカーに乗ったことを覚えているが、このお寺の記憶はない。しかし、どこかの滝のそばで写した写真があるので、この近くに来たのかもしれない。以来高尾山には来たことがなく、薬王院は今回初めて訪れたことになる。このお寺にはいろいろな仏さま、神さまが祀られていて、それぞれのご利益を授かることができる。そのせいか、平日にもかかわらず賑わっており人気のほどがうかがえる。(2005.11.21)
高尾山薬王院
「浄心門」
ここから薬王院の聖域となる。
「蛸杉」
浄心門の手前にそびえる大杉。根が蛸の足のように張っていることから名づけられた。
「神変堂(じんぺんどう)」
修験道の開祖「神変大菩薩(役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ))」を祀る。腰痛平癒、健脚祈願。
「参道」
浄心門から山門まで赤い灯篭が続く。
「百八の石の階段」
参道の途中にある。
百八は煩悩を表す。
傍らの石碑に、「かかる悩み、苦しみを踏み越えるよう一歩ずつ”なむいづなだいごんげん”と念じながら登るように」とある。
「四天王門」
当山の山門で、持国、増長、広目、多聞の四天王が門を護る。
重層、入母屋造り、楼門形式の八脚門。
昭和59年(1984)再建。
「境内」
修行大師のほか、八大龍王(福寿円満)、龍祥園(諸縁吉祥;縁むすび)などの祈願堂が建ち並ぶ。
「修行大師堂」
修行行脚する弘法大師像が安置されている。
身体健全、学業成就祈願。
「大小天狗像」
天狗は修験道の象徴。
「大本堂」
開山本尊「薬師如来」と中興本尊「飯綱大権現」を祀る。
明治34年(1901)建立。
「仁王門」の天狗像
仁王門は江戸中期に建立され、都有形文化財。
「鐘楼」
右下の屋根覆いの下には寛永8年に鋳造されたという「寛永古鐘」が保存されている。
「愛染堂」
愛染明王象を安置する。
良縁成就、寿福長生祈願。
「大師堂」
弘法大師空海の坐像を安置する。
都有形文化財。
「大本坊」
客殿、書院などがある。
「飯綱権現堂」
大本堂に対して大本社とも言われる。飯綱大権現が祀られる。
江戸後期の社殿建築を代表する。
都有形文化財。
極彩色の装飾
「奥之院不動堂」
江戸初期の建立。
室町期に造立されたといわれる「不動三尊像」を安置する。
いずれも都有形文化財。


行基(ぎょうき)
(668〜749)奈良時代の僧。百済(くだら)系の渡来人、高志(こし)氏の出身。和泉(いずみ)の人。法相(ほつそう)宗を学び、諸国を巡って布教。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが、僧尼令違反として禁止された。のち、聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。行基菩薩。(Yahoo「大辞林」から)

飯綱権現(いづなごんげん)
信州飯綱山を中心として東日本に多く勧請(かんじょう;神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)される仏神のことをいう。本地仏(仏教における本来の姿)である不動明王のほか、迦楼羅天(かるらてん)など五神の相を習合した姿といい、武運長久を祈る戦国武将に篤く尊崇されたという。(JTB刊:「江戸東京の古寺を歩く」から)