東急電鉄6000系
東急電鉄にまた新型車両が登場した。3月28日から運行が始まる大井町線の急行用に使われる新6000系である。現在、営業運転開始に向けて慣熟試運転をしているので偵察に出かけた。

東急電鉄の電車といえば、ステンレス車体に先頭車両の正面がまっ平らな切妻のデザインが特徴であったが、この伝統はさきごろ引退した8000系以来のもので、それ以前は丸みや傾斜をつけた正面スタイルの電車があった。1960年に登場した旧6000系もそのひとつで、正面がステンレス平板に丸みをつけたスタイルだった。この車両は1台車に1モーターという独特の台車を履き、電力回生ブレーキを装備していた。20両製造されて東横線で急行としても活躍したが、その後大井町線、こどもの国線を走り、一部は地方私鉄に譲渡された。

1969年に8000系が登場すると切妻スタイルはそのあと8500系、9000系、1000系、2000系などに引き継がれて東急電車の標準スタイルとなった。しかし1999年登場の目黒線用3000系以来、先頭車両の正面を切妻から再び丸みをおびたデザインに変えてきている。3000系から5000系、7000系と正面がだんだん丸っこく、傾斜が大きくなってきたが、この新6000系に至ってきわめて個性の強い顔つきとなった。大きく「くの字」に突き出した正面はこれまでの東急電車に慣れた目にはかなり奇抜なスタイルに映る。ずいぶん思い切った形にしたものである。あまり大きく突き出した結果、巨大なスカート(排障器)が付いて全体として厳めしい風貌である。ステンレス車体の側面には先頭形状に合わせたのかオレンジ色の「くの字」がフィルムで描かれているほか、なんと屋根は赤色に塗られている。外観からはとても東急電車とは思えないが、大きく変わろうとする東急電鉄の意気込みを感じる。車体構造は5000系、7000系とともにJR東日本のE231系との共通化による製造やメンテナンスコストの低減が図られているという。

車両編成は6両で今回6編成が投入されるようだ。
編成は以下の通り。
大井町←6100−6200−6300−6400−6500−6600→二子玉川

急行列車は途中、自由が丘(東横線乗り換え)・大岡山(目黒線乗り換え)・旗の台(池上線乗り換え)のみに停車し、現行各駅停車より、所要時間が6分短縮されるという。追い越しは上野毛と旗の台で行われる。このために上野毛駅上り線に急行通過線を設け、各駅停車を追い抜く。旗の台駅も2面4線のホームに大改造され、ここでは緩急接続となる。将来的には等々力駅を地下化し、上下線とも通過線を設けてここで追い抜きをすることになっているが、付近にある等々力渓谷への地下化による悪影響を懸念する地元との折り合いがついていないため大幅に遅れている。また、急行は6両編成となるため、自由が丘駅では二子玉川方向にホームが延長された。各駅停車は現行のまま5両編成である。


偵察に出かけたこの日はまことにラッキーなことに、2編成(6102Fと6104F)が試運転しているのに遭遇した。前日に二子新地駅を通った時に、4線あるうちの内側の2線に2編成の6000系が留置されているのを発見した。あいにく駅に降りるヒマがなかったので、翌日に改めて留置されている電車を撮ろうと二子新地駅を目指して出かけたのである。

ところが自由が丘駅のホームの運行表示盤を見ると、次々発に「回送」とあった。これは試運転に違いないと思い、次発の電車に乗って尾山台駅で待ち伏せすることにした。この駅は直線上にあるので、見通しが良いうえ、相対式ホームなので撮影に絶好である。電車をおりて下りホームでカメラの準備をしていると、なんと上り線にも試運転列車がやってきた。かなりの速度で通過していくのを撮って見送ると、こんどは九品仏駅方向からも6000系がやってきた。ちょうど九品仏駅と尾山台駅の中間あたりですれ違いが見られる。またとないチャンスである。しかし駅ホームからはかなり遠い。ズームレンズの望遠ぎりぎりでもちょっときつい。あとはトリミングでなんとかしよう、とシャッターを切る。続いて下り試運転列車が近づいてくる。これもかなりのスピードで通過して行く。そういえば、この駅ではすでに急行接近のアナウンスが流れているのに気がついた。慣熟運転だけでなく総合的な試運転になっているのだろう。

次に来た電車で試運転列車のあとを追う。終点二子玉川駅に着くとホームの先の引き上げ線に停まっている。折り返して再び大井町に向かうものと思われる。ホーム先端に行くと引き上げ線で待機する新旧電車のツーショットが撮れた。その後、6000系列車は引き上げ線から本線にでてきて、3番ホームに数分停まったあと、また大井町に向けて引き返して行った。

・現実となった「幻の急行」
ここ数年来、変貌著しい東急電鉄だが、大井町線にも変化の波が押し寄せた。写真を撮った尾山台駅は上下線それぞれにホームがある相対式ホームになっているが、これは1964年頃にそれまでの島式ホ−ム(上下線の間にホームがある形態)だったのをいまのように変更したのである。このときの変更の理由を「将来大井町線は都心に地下鉄で乗り入れて急行列車が運転されるので、尾山台通過時にスピードアップのために直線線路が必要だから」という話が流れた。そのときは「大井町線に急行なんてありえない」と思っていたが、その後1966年に田園都市線の溝の口−長津田間が開通し、大井町線を含めて田園都市線として大井町まで乗り入れるようになるに及んで、これはひょっとすると急行が走るかもしれない、と思うようになった。しかし1977年に、こんどは新玉川線ができて二子玉川と渋谷がつながると田園都市線はそちらに行ってしまい、人の流れも大方は移っていった。大井町線は名称ももとに戻り、しかも二子玉川止まりになってローカル色が濃くなった。もちろん急行の話なども聞かれなくなった。

それから約30年間、大井町線に大きな変化はなかった。一方、田園都市線沿線は急速に開発が進み、田園都市線の輸送力に限界が見えてきた。首都圏の私鉄ではダントツの混雑する電車になってしまった。東急電鉄もいろいろ手を打っては来たがあまり効果がなく、結局は人の流れを減らす以外にないとして、その一部を大井町線に逃がすことで二子玉川−渋谷間の混雑を緩和する決定をした。つまり田園都市線から都心に出るのに渋谷経由だけでなく、大井町、目黒(大岡山から目黒線)、五反田(旗の台から池上線)経由の経路を積極的に活用しようとするものである。その方策として大井町線に急行列車を走らせることで所要時間を短縮することになった。かくして紆余曲折を経たものの、幻の急行が現実のものとなったのである。大井町線の都心部乗り入れはなくなったが、40数年前にそれを見越して尾山台駅を改良して直線にしたことが、今やっと実を結ぼうとしている。(2008.03.18)


尾山台駅上り線を通過する試運転列車 6104F

大井町に向かう試運転列車
遠くに下りの6000系が見える

6000系同士のすれ違い。 またとない瞬間!     (尾山台−九品仏間) 尾山台駅下り線ホームから写す。

尾山台駅に接近する試運転列車 6102F
行先表示は「回送」となっている

尾山台は通過する
二子玉川駅引き上げ線に並ぶ新旧の電車。 時代の流れがはっきりわかる。
右は8590系8693Fで、かつて東横線で活躍していた。大井町線は一部の列車が田園都市線に直通するが、その際に田園都市線列車との誤乗を防ぐために正面窓下にグラデーションのついたテープと「大井町線」のシールを貼っている。
試運転時の6000系の行先表示は大井町方面行きは「試運転」、二子玉川方面行きは「回送」を表示するようだ。

大きく突き出した先頭部は非常に個性的。これに合わせて側面には”く”の字のパターンが貼られている。

再び大井町に向けて引き返す。ホームに居並ぶ乗客たちも興味津々の様子?

急行運転開始後 
急行で自由が丘−二子玉川間を往復してみた。ひとことで言うと、あまり速くない。とくに二子玉川ゆきは徐行が多い。九品仏駅と等々力駅の手前のカーブではじれったくなるほどである。それでも上り電車は、上野毛駅の急行通過線から九品仏手前まではなんとか急行らしい走りを見せる。しかしその先、自由が丘までの直線区間はノロノロで各停よりも遅い感じである。先行列車に追いついてしまうからだろう。やはり追い越し設備の配置が適正でないからである。たしかに止まらない分早く目的地にが着けるのだが、途中ノロノロ運転では急行のイメージも半減である。開業後80年の古い路線なので、簡単に退避や追い越しの設備を増設したりはできず、現に当初計画の等々力駅通過線は、いまだに地元ともめている。少なくともこの問題が片付くまではノロノロ急行の状態が続くのだろう。(2008.04.04)


大井町駅に接近する急行列車

ホームに進入する6105F

2番ホームに入線

各駅停車の8090系(8099F)5両編成

各停用と急行用に分けられている乗車位置
鉄道総合ページ:「鉄道少年のなれの果て」