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東大寺の寺域は広大である。見どころを丁寧に回ったのでは時間が足りないので、南大門から大仏殿、二月堂周辺と正倉院までを歩いてみた。
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東大寺入り口 ここからまっすぐ南大門を抜けて大仏殿まで参道が続く |
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南大門 国宝
東大寺の正門で日本最大の山門である。天平創建時の門は平安時代に大風で倒れたため、現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したものである。正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣功した。屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。よく見ると800年の風雪にさらされてかなり傷んでいる。 |
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南大門の仁王像 阿形(左)と吽形(右) 鎌倉時代の作 |
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大仏殿への長い参道 |
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やっと着いた鏡池から大仏殿を望む |
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大仏殿 国宝
東大寺の金堂で、創建は奈良時代。その後、治承4年(1180)と永禄10年(1567)の二度の兵火に遭い、現在の建物は江戸時代の宝永6年(1709)に再建された。規模は創建当初に比べて東西が3分の2に縮小されたが、東西57.012メートル、南北50.480メートル、高さ48.742メートルにも及ぶ、世界最大の木造建築物である。その後老朽化が進んだため、明治39年(1906)から6年に及ぶ解体補強修理と、昭和47年(1972)から8年かけて昭和大修理が行なわれて現在に至る。このような国宝を守ってゆくのは長い年月と多大の費用がかかることを痛感する。 |
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大仏殿の正面に建つのは八角灯篭(国宝) |
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本尊 毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ) 国宝
天平勝宝4年(752)に開眼供養が行われたが、その後幾度かの損傷に遭い、そのつど修理が行われた。両手は桃山時代、頭は江戸時代に付け替えられた。いまは青銅(ブロンズ)の肌がでているが、当初は渡金されて金色に輝いていたと言われる。下の菩薩像のようなものだったのだろうか。
各部の大きさ
像高:14.98m
頭部: 5.41m
目長: 1.02m
耳長: 2.54m
台座高:3.05m
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脇時として、虚空蔵菩薩(左)と如意輪観音菩薩(右)が祀られている |
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東大寺二月堂への道
右奥の三角屋根が二月堂。そのうしろに枯れ草色の若草山が見える。 |
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二月堂への裏参道
土塀にはさまれた石畳が続く |
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二月堂 国宝
天平勝宝4年(752)創建。本尊として十一面観音菩薩(秘仏)が祀られ、「天下泰平」、「五穀豊穣」、「万民快楽(ばんみんけらく)」を祈願する、修二会(お水取り)の行法が行われる。旧暦の2月に行われるところから二月堂と名づけられたとされる。「おたいまつ」は舞台の左(北)から右(南)に走る。見物人整理のために竹柵が設けられているが、ふだんはなだらかな傾斜地になっている。左の大杉は良弁杉。 |
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二月堂から大仏殿と周辺伽藍を望む
遠方は奈良市内 |
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三月堂(法華堂) 国宝
東大寺最古の建物で、天平12年(740)から19年にかけての創建と考えられている。本尊として不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)を祀る。旧暦3月に法華会が行われるところから法華堂と呼ばれる。
法華会(ほっけ・え)とは法華経を講説する法会。法華八講・法華十講などがある。東大寺・興福寺のものや比叡山延暦寺の霜月会などが有名。(大辞泉から) |
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四月堂(三昧堂) 重要文化財
治安3年(1021)の創建。旧暦4月に法華三昧が執り行われるので三昧堂(ざんまいどう)と呼ばれる。
法華三昧とは、法華経を通して真理に悟入する方法。天台宗で、法華経・観普賢経によって真理を観ずること。また、その境地に達するために法華経などを音読すること。(大辞泉から) |
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正倉院 国宝
大仏殿の北西に位置する。建立は天平勝宝8年(756)前後とみられている。高床の大規模な校倉造りの倉庫で、聖武天皇、光明皇后ゆかりの品や、天平時代の美術工芸品を収蔵していた。もとは東大寺の倉庫であったが、現在は宮内庁の管轄となっている。
奈良時代には、大寺院にはそれぞれの寺領から納められた品や、寺の什器宝物などを収蔵する倉があった。これを正倉といい、正倉のある一画を塀で囲ったものを「正倉院」といった。当時、東大寺をはじめとする興福寺、薬師寺などの南都七大寺にはそれぞれ正倉院があったが、のちに東大寺を除いて廃止された。このため、正倉院は東大寺のものを指す固有名詞と化している。(Wikipediaから) |
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