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東京の相互直通運転事情    2013.01.03
2013年3月16日、東急東横線の副都心線直通運転が開始される。一方で、それに伴って日比谷線直通運転が廃止されるという事態となった。日比谷線の直通は東急電鉄における他社線との相互乗り入れの先駆けとなったものだが、開業以来約半世紀を経て終了ということになった。いま東京の鉄道では相互乗り入れ花盛りである。そんななかでの廃止は残念ではあるが、副都心線との相互乗り入れによって東横線がさらに新しい姿に発展するための発展的解消と考えればいいのだろう。
そこで、東横線・日比谷線直通を中心に東京および周辺における相互乗り入れの状況について整理してみた。

東京では異なる鉄道会社間の相互直通運転は地下鉄を中核に発展してきた。
東京の鉄道事情は明治時代からの、市内は路面電車、郊外は鉄道線という政策に沿って整備されてきた。郊外というのは、おおよそ山手線より外側のことで、郊外へ向かうほとんどの私鉄の鉄道線は山手線の駅をターミナルとして放射状に建設された。そのため、このような鉄道の電車は「郊外電車」と呼ばれていた。これらの郊外鉄道は長い間「山手線の壁」に阻まれ、市内への進出ができなかった。

一方、地下鉄は1939年(昭和14年)に現在の銀座線の浅草-渋谷間が全通した。戦後初の地下鉄新線は丸ノ内線で、1959年(昭和34年)に新宿-池袋間が完成した。これに引き続いて1956年(昭和31年)に当時の運輸省内の都市交通審議会によって出された第1号答申「東京およびその周辺における都市交通」において、新たに5路線の地下鉄の建設が決定された。そのなかでは地下鉄と郊外鉄道の相互乗り入れが盛り込まれた。これは「山手線の壁」を越えて郊外電車を都心部に入れることにより、乗り換えの利便性や、輸送力の増強を図ったものである。

この答申に基づいて行われた最初の相互乗り入れは京成電鉄で、1960年(昭和35年)12月に都営浅草線と押上駅で接続して相互直通運転を開始した。また、営団(現東京メトロ)では1961年5月に日比谷線の北千住延伸とともに東武伊勢崎線、続いて1964年8月に同じく日比谷線の中目黒延伸による全線開業と同時に東急東横線との直通を開始した。その後に建設された地下鉄においても、かならず他社線との相互乗り入れが行われてきた。

このような相互乗り入れの普及は東京近郊に住む利用者にとって非常にありがたいものになった。”郊外”からそのまま都心部に直行できるということが実現したのである。乗り換えなしにその列車一本で目的地に行けるということは利用者には大きなインパクトである。まだ、銀座線と丸ノ内線だけだったころ、”郊外”の我が家から銀座に行くには渋谷まで東横線に乗り、銀座線に乗り換えるというのが一般的だった。それが東横線が日比谷線に直通するようになって、直接銀座に行けることになったのだ。東横線の駅にやって来る日比谷線の3000系電車、中目黒駅に来ている見慣れない東武の電車、そして東急の7000系電車が遠く上野の地下を走る光景など、どれもが新鮮で鉄道の新しい時代の息吹きを感じたものだった。

日比谷線により、東急-メトロ(営団)-東武の3社線がつながることになったが、東急、東武はそれぞれメトロとの2社線直通だけで、東急と東武の乗り入れは行われなかった。東急線発は北千住駅止り、東武線発は中目黒駅までの運転で、しかもこれはメトロ車にも適用されたのである。当時の目論見では、郊外から都心部への乗り入れという視点だけだったと思われる。たしかに東横線から北千住以遠に行くという利用者がどれほどいるかといえば疑問だろう。伊勢崎線の場合も同じである。日比谷線開業前の予測では、東横線からの乗り換え客が相当数あるだろうと見込まれていたが予測ほどではなく、逆に伊勢崎線は直通によって沿線の開発が進み、都心直行の利便性が受けて乗客数が予想を大幅に上回ったという。それは、伊勢崎線が山手線にターミナルを持たなかったゆえでもある。沿線の利用者はそれまで北千住駅で常磐線に乗り換え、さらに日暮里駅や上野駅で山手線や京浜東北線に乗り換えて、東京・有楽町・新橋などに向かうことを余儀なくされていた。それが乗り換えなしで銀座・有楽町・霞が関に直行できるようになって、必然的に日比谷線経由に乗客が流れるようになったのである。そのために東武鉄道では北千住-北越谷間を複々線として輸送力の増強を行った。つまり、日比谷線を自社線のようにみなして直通列車が円滑に運行できるようにしたのである。この複々線区間は18.9キロに及び、JR以外の鉄道線では全国で最長である。

また、東急田園都市線や北総鉄道は鉄道会社とデベロッパーが同じ事業体で、大規模なニュータウン開発のために建設された鉄道である。この場合も都心部に直通するために、最初から地下鉄との相互乗り入れを前提としている。とくに田園都市線沿線の発展は目覚ましく、渋谷から半蔵門線に直通した田園都市線の乗客数は年々うなぎのぼりとなり、混雑率が都内ワースト10の常連となるような時期もあった。

このように、郊外鉄道の地下鉄乗り入れの効果は絶大で、現在地下鉄(東京臨海高速鉄道を含む)14路線のうち銀座線・丸ノ内線・大江戸線を除く11路線すべてで大手私鉄線もしくはJR線との相互乗り入れを行っている。乗り入れの形態は2社線間、3社線以上などがあるが、基本的な要件は各社(第1種・第2種事業者)の車両が相互に乗り入れして直通運転をしていることである。

主な相互直通事例の一覧

2社線相互直通
駅名 路線名 接続駅 路線名 駅名  営業キロ
橋本 京王相模原線・本線
新宿 都営新宿線 本八幡  61.6
森林公園 東武東上線 和光市  東京メトロ有楽町線 新木場   68.4
飯能 西武池袋線・有楽町線 小竹向原  60.3
西高島平 都営三田線※1 目黒 東急目黒線 日吉  38.4
 成田空港 京成押上線・本線・
成田スカイアクセス※2 
押上   都営浅草線 西馬込  76.6
東武動物公園 東武伊勢崎線 北千住  東京メトロ日比谷線 中目黒  54.2
北千住  東京メトロ日比谷線  中目黒  東急東横線※3  菊名  36.9
川越 JR川越線・埼京線 大崎 りんかい線 新木場  65.2
三鷹  JR中央線  中野  東京メトロ東西線※4  西船橋  40.2
中野  東京メトロ東西線※4  西船橋  東葉高速鉄道  東葉勝田台  47.0
海老名 相鉄本線※5 羽沢横浜国大 JR埼京線・川越線 新宿・川越 104.5
※1 都営三田線の白金高輪-目黒間は第2種鉄道事業者として南北線の線路を共有する。
※2 成田スカイアクセスは北総鉄道・千葉ニュータウン鉄道・成田高速鉄道アクセス・成田空港高速鉄道各社の線路をつないだもので、スカイライナーとアクセス特急用のルート。京成電鉄が京成高砂駅-成田空港駅間を第2種事業者として一体的に運営にあたるので、京成-都営の2社間直通とみなす。
※3 北千住-中目黒-菊名間の直通運転は2013年3月15日をもって廃止。
※4 保安装置の関係で、JR東日本の車両は東葉高速線、東葉高速の車両はJR線には乗り入れできない。東京メトロの車両だけが両社線に乗り入れる。 
※5 2019.11.30開業。東急新横浜線との直通は2022年度開業予定。

3社線・4社線相互直通
 地下鉄をあいだに挟んだ3社線直通と、さらにその先が2社線直通になっている4社線相互直通
駅名 路線名 接続駅 地下鉄 接続駅 路線名 駅名 営業キロ
南栗橋
東武日光線・
伊勢崎線
押上  半蔵門線  渋谷 東急田園都市線  中央林間  98.5
久喜  東武伊勢崎線  94.8
浦和美園 埼玉高速鉄道 赤羽岩渕 南北線 目黒 東急目黒線 日吉 47.4
取手 JR常磐線 綾瀬 千代田線 代々木上原 小田急小田原線・
多摩線
唐木田 80.4
森林公園 東武東上線  和光市   副都心線  渋谷 東急東横線+
みなとみらい線 ※1
 
 元町・中華街  88.8
飯能  西武池袋線・
有楽町線
 
小竹向原  80.9
羽田空港
京急空港線・
本線
泉岳寺   浅草線 押上  京成押上・本線・
成田スカイアクセス※2 
成田空港  85.4
三崎口  京急本線  136.6
羽田空港  京急空港線・
本線
 
京成押上・本線+
北総線※3
印旛日本医大  66.3
※1 横浜高速鉄道は東急電鉄に横浜-元町・中華街間の列車運行・管理を委託しているが、第1種事業のため、東武/西武-東京メトロ-東急-横高による4社間直通とみなす。東武と西武間の乗り入れはしない。
東横線と副都心線相互直通運転は2013年3月16日開始。
※2 成田スカイアクセスは京成の第2種事業のため、京急-都営-京成による3社間直通とみなす。
※3 北総線は高砂-小室間は第1種、小室-印旛日本医大間は第2種事業のため、京急-都営-京成-北総による4社間直通とみなす。
 
地下鉄を挟まない3社相互直通
駅名  路線名  接続駅 路線名 接続駅 路線名  駅名 営業キロ 
西馬込  都営浅草線  押上  京成押上・本線  京成高砂  北総線  印旛日本医大  57.5

相互乗り入れの中核となる地下鉄

東京の地下鉄は、約80年にわたる絶え間ない建設工事の末、2008年(平成20年)に開業した副都心線を最後に、東京地下鉄と東京都交通局に東京臨海高速鉄道を含めて14路線、総延長314.0営業キロの地下鉄網が完成した。

東京の地下鉄の歴史は1927年(昭和2年)に浅草と上野間2.2キロの開業に始まる。この開通までには幾多の曲折があった。最初の建設出願は1906年(明治39年)だったが実現せず、その後いくつもの計画がされて、最終的に東京地下鉄道が1923年(大正12年)に着工を認可された。しかし、第一次大戦の戦争特需の終了による株価暴落や、続く関東大震災の影響で資金集めが難航した。そのため浅草-新橋間の計画を浅草-上野間に大幅に縮小してようやく開業した。その後もさまざまな曲折を経て延伸し、12年後の1939年に浅草-渋谷間を全通したのがいまの銀座線である。

1938年(昭和13年)に地下鉄の建設・運営を目的とする公共的な特殊法人の設置が決定され、これに基づいて1941年(昭和16年)に帝都高速度交通営団(営団と略す)が発足し、東京市内の地下鉄道事業が一元化されたのである。以後、営団によって地下鉄の建設が促進することになるが、行政改革推進のもと2004年(平成16年)に民営化されて、営団の地下鉄事業のすべてを継承する東京地下鉄(東京メトロ)が発足した。一方、1956年(昭和31年)には東京都も地下鉄建設が認められ、1960年に都営地下鉄1号線(現・浅草線)押上-浅草橋間が開業し、京成電鉄とのあいだで最初の相互直通運転が始まったのである。

直通運転のためには、各社間で軌間、電気方式、保安設備、車両の規格などの取り決めが必要になる。東京の鉄道の軌間は1067mmが多く、標準軌の1435mmは京急と京成電鉄だけである。それに加えて東京ゲージと呼ばれる1372mmの京王電鉄がある。ほとんどは地下鉄ができる以前からの鉄道であり、乗り入れにあたっては地下鉄側が合わせるほかはないが、京成電鉄だけはそれまでの1372mmを1435mmに改軌して地下鉄側に合わせた唯一の例である。この工事は1959年10月からわずか2か月の突貫工事で完成し、その間列車の運休なしで達成したことから快挙と称讃されたという。

乗り入れする東京メトロの路線すべては1067mmとなったが、都営地下鉄では、浅草線の1435mm、新宿線の1372mmおよび三田線の1067mmという3種の軌間を持つことになった。また、大江戸線は標準軌ながら駆動系がリニアモーター方式(鉄輪式・リニアインダクションモーター推進方式)の独自規格となって他線との互換性はまったくない。

電気方式は乗り入れ各社すべてが直流1500Vの架線方式だが、ATCなどの保安設備は統一されていないこともあり、それぞれ乗り入れ先の保安装置も搭載することになっている。車両については車両限界を共通化することや、ドアの位置なども基本的には同じだが、編成によっては違いもあるので、今後導入が進むホームドアの設置では対応を考えなければならない。

路線番号 路線名 事業体 開業 全線開業 営業区間 営業キロ
1号線 浅草線 東京都交通局 1960 1968 西馬込-押上 18.3
2号線 日比谷線 東京地下鉄 1961 1964 北千住-中目黒 20.3
3号線 銀座線 1927 1939 浅草-渋谷 14.3
4号線 丸の内線 1954 1962 池袋-荻窪 24.2
丸の内分岐線 1962 1962 中野坂上-方南町 3.2
5号線 東西線 1964 1969 中野-西船橋 30.8
6号線 三田線 東京都交通局 1968 2000 西高島平-白金高輪 24.2
白金高輪-目黒(第2種) 2.3
7号線 南北線 東京地下鉄 1991 2000 目黒-赤羽岩淵 21.3
8号線 有楽町線※ 1974 1988 和光市-小竹向原-新木場 28.3
9号線 千代田線 1969 1978 綾瀬-代々木上原 21.9
1979 1979 綾瀬-北綾瀬 2.1
10号線 新宿線 東京都交通局 1978 1991 新宿-本八幡 23.5
11号線 半蔵門線 東京地下鉄 1978 2003 渋谷-押上 16.8
12号線 大江戸線 東京都交通局 1991 1997 (放射部)光が丘-都庁前 12.9
2000 2000 (環状部)都庁前-都庁前 27.8
13号線 副都心線※ 東京地下鉄 2008 2008 小竹向原-渋谷 11.9
番外 りんかい線 東京臨海高速鉄道 1996 2002 大崎-新木場 12.2
有楽町線と副都心線は、小竹向原駅-和光市駅間で同じ線路を共有する。