惜別 東急8000系

自由が丘駅に到着
ホームにはマニアがひしめいている。左は東京メトロ03系日比谷線直通列車。

とうとうこの日が来てしまった。2008年1月13日、40年近くを走り続けた8000系が東横線を引退した。最後のさよなら運転のイベントがあるというので寒風吹きすさぶなかを出かけた。自由が丘駅を見渡せる、いつもの撮影ポイントに行くと、すでに黒山のマニアの群れである。そのためベストポジションは確保できなかったが、なんとか8000系の最後の晴れ姿を撮ることはできた。だいたいこのような”さよならイベント”にはあまり行かないのだが、この8000系電車は登場したときからずっと身近な存在で、特別な思い入れがあるのでぜひ最後の姿を見届けたいと思って出かけたのである。

私が社会人になって東横線で通勤するようになってから2、3年あとに、この8000系は登場した。爾来39年、ほとんどを東横線で通勤した私の会社人生とほぼ重なる形で8000系は走り続けた。こちらはひと足先に引退したが8000系は今日までがんばってきた。そういう事情もあってこの電車にはひときわ愛着がある。

最後の電車は8000系第9編成の8017Fで臨時特急として運転された。渋谷、元町・中華街間を2往復して最後に元住吉駅でお別れになるという。2往復目が通過するのを撮ったあと、すぐに自由が丘駅から横浜に向かった。ひょっとすると元町・中華街から折り返してくるラストランに乗れるかも知れない。横浜までの沿線の鉄橋、踏切、駅のホームはカメラの放列である。マニアの危険行為を防止するために駅や踏切には東急の職員が立っている。なにかものものしい。

横浜駅は大混雑だったが、うまい具合に引き返してきた最後の8000系列車に乗ることができた。元住吉止まりの特急のせいか意外に空いている。特急とはいっても臨時列車で、通常ダイヤをぬって走るためそんなに速く走らない。8000系独特の走行音を楽しみ、線路際のマニアの列を見やりながら終着元住吉に着いた。乗客を降ろしドアを閉めた列車は回送列車となって静かにホームを離れ始める。すると期せずしてホームにとどまった乗客やマニアたちから拍手と歓声が沸き起こった。なかには涙ぐんでいるマニアもいる。そして、最後部の車両からお別れの警笛音を2度長く残して最後の8000系は車両基地に向けて去って行った。

8000系は現在、大井町線で5両からなる1編成がまだ活躍している。これがなんと8000系第1編成の「8001F」である。つまり実際に39年間を走り通した最古参の8000系電車なのだ。東急電鉄は最後の最後までこの編成を大事に走らせて、3月頃にこの最古参のトップナンバー8001Fに有終の美を飾らせる気なのだろう。こころにくい演出である。シリ−ズとして40年近くを走り続けた電車は他にあまり例をみない。それだけ優秀な車両であったということだろう。車体も頑丈に作られていてまだまだ活躍できそうな気もする。しかし、保守や省エネなどの面から新型車両に替えたほうがコスト的にも見合うとなれば是非もない。東横線では新鋭の5050系が18編成にまで増えた。同系列の横浜高速Y500系とともに8000系に代わってこれからの東横線の主力となる。昨年秋に登場した池上・多摩川線用の新7000系に続いて大井町線急行用の新6000系がまもなく登場する。このように新型車両が続々と現れるなかで8000系の引退は、ひとつの時代が終わって新しい世代にバトンが引き継がれたことを告げている。(2008.01.14)

臨時特急として元住吉に向けて出発する。「特急元住吉」という行く先表示は普段見られない。
元住吉からはさらに元町・中華街行きとなり、再び元住吉に向けて最後の営業運転となる。

ヘッドマークは”ありがとう8000系”。
編成番号”8017F”は渋谷側の先頭車両の車両番号に”F”(Formationの意)をつけたもの。
ともに活躍してきた9000系のラストナンバー”9015F”と最後の顔合わせ。

寒風のなか辛抱強く待ち続けるマニアの群れ。一般の人も混じって8000系の人気のほどがうかがわれる。
8000系のあとがま、5050系
最新の第18編成”5168F”
これからの主役を担う。
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